Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日からの読書

2019年01月09日 23時21分37秒 | 読書


 昨日から読み始めた本は「ジャポニスム 流行としての「日本」」(宮崎克己、講談社現代新書)。年末に購入して数ページは読んではいたが、そのまま放置をしていた。発行は昨年12月18日、出版されたばかりである。
 まだ第2章に入ったばかりなので、感想も書けないし、評価も出来ない。が勉強にはなる。

 夕方帰宅すると、一太郎2019の案内が来ていた。すでに6年前に更新しているので、まだ更新の必要性は感じない。軽快に動いている。
 一太郎はワープロがパソコンに変わったころからのお付き合いである。宣伝するつもりではないが、私にとっては使いやすく重宝している。退職者会の新聞は割り付けも含めて一太郎で作成している。縦書き、エクセルの貼り付け、レイアウト枠、オブジェクト枠など重宝している。
 しかし最近はワードに押されっぱなし。簡単な文書は一太郎で作成して、ワードでも保存したりしている。作り替える必要がなくなった文書はPDFでも記憶させている。


新年会

2019年01月09日 20時38分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 寒い風が吹いていた。特に日が陰った後は寒さが身に染みた。土・日と関東地方は雨または雪となるらしい。横浜市域の北部は雪の可能性が高いようぶ。私の住む場所は雪か雨か、微妙なところであるようだ。
 土曜日は夜に学生時代の友人たちと新年会を横浜で予定している。夜遅くなると関東地方北部から遠路やってくる友人にとってはつらいかもしれない。

 職場の新年会というもの、上司にとっては上座に座らされて、あまり面白くないらしい。新年会にかぎらず忘年会でも異動の歓送迎会でも、同じだと愚痴を聞かされた。管理職のそのような愚痴を聞かされるのもまた、長年その職場にいて、年寄り扱いの私のようなものの役割でもあった。
 そのような立場の私も実際は管理職と同じように宴席では煙たがられていたのだろうとは思う。私は上座に座らされることはなかったし、末席に座る方が好きだった。いつの間にか上座に座っているはずの管理職二人が末席にやって来て、わたしと向かい合って飲み始めることが多くなった。かようにして50歳を過ぎるといつも上司のお守り役であった。上司は宴会がお開きになる頃には、上座に戻って挨拶の言葉を考え始める。
 立場は違うが、境遇は同じようなものであった。近しい友人との新年会はそんな上下関係などまったく関係ない。実に楽しい。

★ねんごろに推されし上座新年会      横山清華

正月飾り

2019年01月09日 11時04分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日山下公園の近くを歩き回ったら、門松が立ててあるビルがいくつかあった。だいたいが7日撤去するようなので目立っていた。気分的には正月気分となるから不思議だ。
 縁起かつぎや、信仰心とは無縁な私は気にならないのだが、こだわる人はとてもこだわる。こちらが辟易としてしまうくらい蘊蓄を方群れられてしまう。
 私が小さい頃は15日の成人式のころまで正月飾りを飾っていたと思う。周囲の家や商店では飾りは一斉になくなるということはなく、いつの間にか無くなっていたという記憶である。

 正月飾りを年末の28日には飾らなくていけないというのは語呂合わせの世界である。29日が二重苦に通じるとか、31日の一夜飾りは歳神に失礼だとか、語呂合わせ・こじつけの世界でしかないのだが‥。細かな「礼儀・作法」ほど、つまらない語呂合わせで権威付けをしている。語呂合わせの最たるものは「お節料理」であるが、それは言及する気にもならない。
 正月飾りを片付ける日も小正月や二十日正月という習俗が残るところは15日、20日まで飾るようだ。現在の社会は極めて同調圧力が強い。とくに最近は都会もひどくなっている。7日は片付けないと、といけないと一斉に片付けるようだ。私はそのようなことは次第に廃れてくるものだと20代のころは思っていた。同調圧力が強まるという、逆の流れに戸惑いが強まっている。

 正月飾りをいつまで飾る・飾らない、餅を用意する・しないということに強くこだわる心性、人に強制する心根が私にはどうしても理解が出来ない。飾りたい人が飾りたいように飾る、食べたい人が食べたいときに食べる、人に強制しない、拝みたい人だけが参拝する、そうあってほしいものである。「初詣は行きましたか」という挨拶を私はしない。聞かれてもこたえない。さいわいなことに返事にこだわる人に出くわしたことはほとんどない。

 そういうわが家でも、妻が小さな正月飾りを玄関に吊るしている。そして7日に片付けた。来年また使うということで、どこかに片付けていた。
 玄関に正月用の花を活け、小さな鏡餅を設えてその上に小さな葉付きのみかんを載せるのが楽しいようだ。
 花を活けることは、いつもしており悪いことではない。しおれかけたら取り換える。特に日にちにはこだわっていない。
 鏡餅も割って揚げ餅にすると独特の味わいがあり、わたしも餅を乾燥させるためのものとして面白いと思っている。鏡餅はカビが生える頃に割ってしまう。これも日にちにはこだわっていない。みかんはいつの間にか妻の口に入っているようだ。

 正月飾りが不信心の私に何となくそぐわないが、異論は言わない。歳が新しくなった、という雰囲気はそれなりに味わっている。年末から正月はすべて妻におまかせである。

★城山が撒く星粒や鏡餅         波多野爽波
★つぎつぎに子等家を去り鏡餅     加藤楸邨


 「新年」に関わる季語は割と強いものが多いが、季感を重視して、そっと添えたように使ったように思える鏡餅の句を選んでみた。