Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書2月号」 その1

2019年01月30日 22時21分19秒 | 読書


 本日「図書2月号」到着。本日目をとおしたのは、以下のとおり。いつものように覚書とて書きだしてみた。

・表紙:ゴッホの手紙           司  修
「『日本の芸術家たちがお互い同士で作品を交換したことに、僕は前から感心していた。それはお互いに愛し合い助け合っていたしるしだ、彼らの間にはある種の融和があった違いない。きっと情誼に厚い生活で、もちろん、陰謀もないだろう』。私は、日本人もずいぶん変わってしまったと独り言をいいました。」

・不忍池を体感すること           鈴木健一
「その土地についてどんなに知識を持っていても、その場に立ってみないとわからないことがある。風の匂いとか、水のせせらぎとか、名物の味とか、五感を通してのみ得ることができる、その土地の雰囲気としかいいようのないものがあるのである。」

・ニューヨークの南方熊楠          松居竜五

・大流行による惨劇から100年 ペイン・インフルエンザ    田代眞人
「(スペイン・インフルエンザにより)膠着状態に陥った世界大戦の最終局面で両陣営の戦力は激減し、パリに迫る西部戦線では、ロシア戦線から戦力を転用したドイツ軍の最終突撃は中止された。それがドイツ降伏の原因ともいわれる。‥スペイン・インフルエンザのの結果、労働力人口不足で戦後の経済復興が遅れ、厖大な賠償金でドイツ経済は破綻し、世界はその後の大恐慌を克服できずに不安定化し、ファシズムの台頭と第二次世界大戦への伏線が敷かれた‥」
「日本でも1918-20年に甚大な健康被害(当時の人口5500萬人のうち45萬人が死亡)と市民生活・社会機能に大きな影響が生じたが、その実態が解明されないまま記憶が薄れている。‥国民の士気を削ぐような健康被害と社会的影響は過小評価され、関東大震災の強烈な記憶の陰で、その5倍もの死者を出したスペイン・インフルエンザの惨劇は忘れ去られた。
「日本がスペイン・インフルエンザからほとんど何も学んでこなかったことを教訓として、その実態をかいめいし、今後必ず起こるパンデミックの災厄を「減殺」するための事前準備と緊急退恵右の確立を‥」


・崖葬墓文化の起源を探る          片桐千亜紀
「独特なのは墓の形だけではない。墓がある「場所」と、外見からは決して知ることができない墓の中での「葬り方」にこそ、沖縄が伝統的に営んできた独特の世界があるのだ。」
「岩陰や洞穴を墓とし、遺骨を風葬して骨化させ、そのまま地上に安置させる葬墓制を「崖葬墓(がいそうぼ)文化」と呼んでおり、民俗学的にはもっと複雑な葬送行為をも含め、それらが行われた墓のことを風葬墓と呼ぶ」
「沖縄は東南アジアに広がる崖葬墓文化の北縁にあたるのではないかと考えている。」
「石垣島の洞穴から約二万年前に遡る旧石器時代の人骨が発見され、‥日本最古の人骨として話題となった。‥白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡と名づけられた‥。その人骨は明らかに‥風葬されたと解釈できるものである。沖縄の崖葬墓文化は旧石器時代まで遡る可能性が出てきたのだ。果たしてそんなことがありえるのだろうか。研究は続く。」


「潮風と砂の考古学」

2019年01月30日 20時44分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 3度目の訪問でようやく県立歴史博物館に入ることが出来た。目的は「潮風と砂の考古学」。学生時代の友人が、「これで100円は安すぎ、砂丘と砂嘴の歴史とのかかわりが面白い」、と感想を述べていた。
 縄文葬期末の海進以降の海岸線での人々の生活、縄文中期の海岸線の後退による新たな土地への人びとの進出、海岸線の歴史が規定する人々の暮らしに焦点を当てた展示である。
 興味深い展示と解説に、2時間近くじっくりと見て回った。友人もビックリしたようだが、65歳以上はこの特別展示だけでなく常設展示も含めて入場料100円、入場してすぐに28ページにも及ぶ立派な解説書を手渡してくれる。会場では読む場所もゆとりもなかったが、この解説書に目をとおしてから、再度訪れてみたい。
 私が知らなかったことの一つとして縄文晩期に関東地方では遺跡が減少するのにかかわらず、湘南の砂丘地帯では遺跡の変化はなく、逆により海側に広がっているということ。一方でこの地域は、弥生前期から中期にかけて「人々の活動の痕跡が見出せない」ということを知った。
 また旧横浜村があった砂嘴(さし)には縄文中後期の土器が出土することなども知った。
 会期は2月17日までである。それまでにもう一度訪れたい。本日は平日の午後、訪れている人もほとんどなく、ゆっくりと見ることが出来た。

 「縄文時代以来連綿と続いてきた、砂丘、砂嘴と人間の歴史、刻々と変わり続ける地形を巧みに利用しながら、海砂と人間はともに生きてました。では現代はどうでしょうか。(治山工事や河川工事で)海へ流れ出る土砂の量が少なくなり、浜は痩せ続けています。‥津波や高潮の危険性を向上させているとともに、生息する魚種もかえてしまい漁業にも影響を与えています。」

   

冬の果て、寒の闇

2019年01月30日 12時16分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中はいくつものメールのやり取りで費やされた。本当は読書タイムにしたかったのだが、なかなかうまくいかないものである。ようやく一段落。
 昨日に続いて寒そうな外の気配である。カラスが盛んに鳴いている。団地の中は無風状態なので昨日よりは外は歩きやすいのではないか。

★冬の果布団にしづむ夜の疲れ      飯田蛇笏
★ものの音沈めて深き寒の闇       飯田蛇笏


 最近は、すぐに疲れる。体力のなさ、ということではなく、精神的な疲れや人との関係がしんどい。それを引きづって布団に入ってもなかなか寝付けない。冷たい布団に身を沈めても疲れは撮れないどころかより重症化することもままある。布団に身を入れたときの沈む感覚というのは、寝るということに対する期待をともなう。そこまではいいのだが、そのまま寝付けないときの思いはつらい。
 同時に、雪国の冬の闇の静けさは、関東地方の都会ではめったに味わえない。すべての音を雪が吸収する。私はこの句を中学生のときに国語の授業で習ったときにそれを初めて理解できた。それほど人を納得させる力を感じた句である。


冴ゆる

2019年01月30日 01時11分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 冴える、冴ゆる、は冬の季語。冷え切った大気に覆われて感じる寒さをいう。音や光の喩えに使われる。

★冴ゆる道なかの一つに己が影       加藤みつ子
★丸眼鏡冴ゆる肖像無言館         田中利子
★木戸に見し中天に冴え月円か       片倉ゆかり


 第1句、冬は午後になるとすぐに日が低くなり、影が長くなる。まっすぐな道を太陽の方向に向かって歩くと、とても眩しい。帽子をかぶっていても眩しくて、車も見にくく、歩いている人すら見にくい。逆に背中から日があたると前方はるか彼方に自分の頭がある。そして影が濃いのである。その影はあたかも自分の姿を映しているとはなかなか合点がいかない。自分の影をじっくりと見ている作者がいる。
 そういえば確かに信濃の無言館にはそのような絵が飾ってあった。その目は今の自分には程遠いほど、真摯に自分を見つめている。あのような真摯に自分を見つめている目にはお目にかかったことがない。あの無言館の建物は冬は寒い。しかしその寒さ故にあの作品群は輝きを発している。無言館は第二次世界大戦、あの戦争に徴兵された画学生の遺作を集めた美術館。守勢前に自らの生きた証を精魂込めて描いた作品が心を打つ。幾度も訪れたい場所の一つである。
 第3句、冬の月はことのほか目立つ。満月が大きく丸いだけでなく、賭けている部分の丸さもまた際立つ。月の出のまだ低い月ばかりが大きく、丸く見えるのではない。中点の小さく見える月もまたくっきりと鮮明に見える。