Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

多磨霊園

2013年04月12日 21時24分31秒 | 山行・旅行・散策
                  

 少し気温が低いかと感じたが気持ちよく晴れた本日、多磨霊園へ墓参りに出かけてきた。桜は散ってしまったが、どのような春の景色を見せてくれるか楽しみでもあった。
 着いてみると、多磨霊園はすでに新緑の様相。そして八重桜があちこちで見ごろとなっていた。いつもは八重桜が咲く前に行っていたので気がつかなかったが、思ったよりもたくさんの八重桜の木があった。いくつか見て歩いて気がついたのは、八重桜は赤っぽいものよりも白の勝った方が見ごたえがある。美しくぼってりと見える。これまではあまり気にもかけなかったが、色によって印象がずいぶん違うことに気付いた。またツツジがもう見ごろを迎えていた。
歩き始めは風が少し冷たいと思ったが、風はすぐに弱まり次第に暖かに感ずるようになった。
 我が家の墓に植えてあるユスラウメはちょうど花が終わり、小さな実がたくさんついていた。レンギョウも花がおわり、こちらは葉の緑が美しかった。
 ゆっくり歩けば見ごろの花々や樹木の緑がとても美しく、いい散歩となった。


明日こそ墓参りが出来るか

2013年04月11日 23時30分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先月に予定していた墓参り、ようやく明日にすることになった。多少気温が低いようだが、天気は良さそう。
 母親と叔母たち合わせて3人を連れて出かけることにする。多磨霊園には八重桜はあったろうか。あまり記憶が無い。どんな花が咲いているか、それが楽しみでもある。

 さて、本日一日、金正恩に振り回された日本と日本の政府だが、安倍政権はひたすら軍事的な対応ばかり全面に出している。私にはそれがとても納得がいかない。韓国も外交努力・対話への糸口を懸命に探っていることが漏れ伝わってくる。外交努力・外交チャンネルを駆使することが危機を回避するもっとも有効な努力であることは、先の戦争の開戦にいたる一連の事態でも明らかではなかったのか。
 日本には本当にしたたかな外交努力、軍事を回避する努力が足りないのではないか。アメリカの軍事の傘の元にいることに安住した結果が、この事態に繋がってはいないか。何でもアメリカだよりの政治が今の事態を招いたのだ。「アメリカの押し付け憲法を変える」と言う以前に、アメリカの軍事の傘から脱却して、自立した外交で安全保障を勝ち取る政治こそが確立されなくてはならないのではないか。
 わが国のぼんぼん首相と、北朝鮮のぼんぼん、この二人に引きづり回されてはたまらない。



「ルーベンス」展感想

2013年04月11日 21時58分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 エル・グレコとラファエロに続いてルーベンスと、最近はルネサンス期からバロック期にかけてのヨーロッパの絵画が目白押しに紹介されている。ルーペンスも日本ではなじみの深い画家であるし、あのふくよかな子供の絵は確かに多くのファンを掴みそうだ。
 しかし私はルネサンス以降の絵の常識を覆すこともした画家としての一面があることが好きな理由だ。それが今回来日した一枚。「復活のキリスト」という題の絵だ。



 十字架に架けられて死んだキリストが3日後に復活した情景を描いた作品。キリスト者にとっては信仰のもっとも根幹をなす聖書での物語りだ。私にはとても信じることなどできないエピソードだ。聖書でもキリストのこの復活によって各使徒や信者、教団の活動が強固になり、キリスト教の原初の活動が始まったように記載されている。この復活が無ければ教団の始まりも何もなかったかのようだ。
 だからキリストは、本来かなり精力的に復活して弟子たちの前に現れたのでなければならない。そういうことを考えれば、多くの画家に描かれたような弱々しく棺おけから出てくるキリストは現実とはそぐわない。弱々しくなくても、幽霊のようにフワットした印象では存在感は希薄だ。敵対者や教団内の懐疑者をねじ伏せるような存在感が無ければ復活した意味はないと思う。しかしながら整然のキリストは聖書の記述では、一緒に十字架に架けられた3人の中でもっとも早く死に、体力の無さが売り者といっていいくらいのキリストの印象だ。
 聖書の物語の中では、教会で物売りなどを追い出す話が自らの体力を誇示する数少ない場面だ。私はこの筋骨隆々として精力的なキリストがとても好きだ。これからの1ヵ月あまり、実に精力的に弟子たちのもとを訪れるキリストこそが新宗教の提唱者の風貌に似つかわしくないだろうか。初期キリスト教に対する反対者の存在を考えれば、こんなキリスト像がもっともっと描かれてしかるべきだと思っている。
 しかし歴史的にはこのような復活のキリストは描かれてこなかった。その歴史を踏まえると、こんな精力的、筋骨隆々とした「復活のキリスト」は本当に当時受け入れられたのだろうか。ひょっとしたら、これまでのキリストのイメージからの脱却がもとめられていた歴史的背景があるのではないか、と疑ったこともある。しかしそんな事態は無い様だ。
 するとこの絵はルーベンス独自の聖書理解に基づく絵なのだろうか。そこら辺はわからないし、私には解く鍵は持ち合わせていない。
 しかし聖書の記述を直接体現しているように画家自らがこのようなキリスト像を描くというのは、やはりより現代に近づいていると思う。私にはこのキリストの姿を描いたことによってルーベンスが好きになった。
 それはいつの頃だったろうか。30代も半ばを過ぎていた頃のことだ。特にこれといった印象や事件が合ったわけではないのだが、何かの画集でこの絵を見て引きつられたことを覚えている。どんな画集だったか、も覚えていない。



 また、私の聞いた講座では、このキリストの顔はルーベンスととても仲のよかった、そして若くして亡くなったすぐ上の兄の顔に似せているということだ。肉親や家族をとても大切にした画家という評価も定まっているようだが、果たしてこれは兄の顔であろうか。上記の絵のようにルーベンスは兄の顔を、畏敬の念を込めて描いている。それは決して猛々しくはない。慈愛に満ちた温厚な顔である。精力的に活動するキリストとは対照的な性格に描いている。兄の顔をキリストに反映しているというのはどうも納得はいかない。
 また、「復活のキリスト」の左上の天使である二人の子供の絵は、そのなくなった兄の遺児で、ルーベンスが後見人になっているとのことだ。右側の女性の格好の天使はルーベンスの15歳年下の若い妻なのだろうか。
 私はそこまで穿った見方にはどうもついていけない。家族の投影があったとしても、なかったとしても絵の迫力・絵の価値は変わらないと思う。
 ただ盛期ルネサンス以降、画家が絵の中に登場するだけでなく、歴史上の人物や神話に登場する神々、あるいは聖書に登場する人々に家族の肖像を描きこんだというのは、それだけ絵画の描きようがキリスト教会の干渉を排してきた結果と考えてもいいのかもしれない。


 さて、ルーベンスという画家の名を知ったのは、日本の子供なら「フランダースの犬」というのが定番。私もそうなのだが、しかし実際に画家の絵を見たのは30歳も過ぎてからのことだ。当時読んだ本にはルーベンスの絵などは載っていなかったので、なんでそんなに感動的なのかはとても理解できなかった。物語の印象の方がずっと強かった。それでもルーベンスという画家はずいぶんとこのフランダース地方の人に慕われているんだなあという程度の印象は持った。
 後から聞いた話では、この作者はイギリス人だそうで、イタリアで貧窮のうちに亡くなった作家だということだ。20世紀の作品だが、舞台はスペイン統治時代、宗教改革の初期の頃のネーデルランド地方の混乱を反映して、当時のカトリック教会の現状に対する痛烈な批判が込められているとのことである。
 「あれを見られないなんて、ひどいよ、パトラッシュ。ただ貧乏でお金が払えないからといって!ルーベンスは、絵を描いたとき、貧しい人は絵を見ちゃいけないなんて、夢にも思わなかったはずだよ。ぼくには分かるんだ。ルーベンスなら、毎日、いつでも絵を見せてくれたはずだよ。」という表現にそのような作者の意志が働いていたとは私は知らなかった。
 ただ日本ではこんなに有名でも当のベルギーではほとんど知る人の無い物語だったようで、この落差にはずいぶんと欧州と日本の意識の差、子育ての仕方の差があるようだ。15歳の少年にしてはか弱すぎるというのが、当のベルギーの人々の感想だという。なるほどそれもよく理解できる。10歳前後の子供ならまだしも、15歳にしてはもっとたくましく世の中に対処してほしいと思うのもうなづける。
 ネットでは「日本人観光客からの問い合わせが多かったこともあり、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された」との記述がある。
イギリス人作家もここまで日本で愛される物語を作ろうと考えたのではないだろう。ビックリしているかもしれない。

不覚の眠り

2013年04月10日 23時20分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は風もなく、すごしやすい天気の一日。久しぶりにみなとみらい地区まで出かけて、講座を聴いてきた。お昼は天気に誘われるように外を歩いていたら、蕎麦屋が目についた。お昼はいつもコンビニのおにぎりひとつか、安いコーヒーのチェーン店でアンパンひとつ程度で平均して300円位。いたっていい加減なものだが、本日はお蕎麦に誘われてしまった。みなとみらい地区で蕎麦屋が単独で店を出しているのも珍しかった。大きなビルの中の店のひとつとしてではないので、興味をそそられた。メニューを見ても取り立てて高そうなわけでもないので入ってみた。
 サラリーマンでかなり混んでいて、店の周りを一周して様子を見て再度並んでみた。それでも5分ほど待っただけで席に着けた。注文したものはナスとオクラ、カボチャ、ゴボウといった野菜の素揚を温かい汁につけて食べるセイロ。商品名は忘れてしまった。しかしとてもおいしかった。オクラの素揚が珍しかったし、その他の野菜もおいしくいただけた。いい蕎麦の香りがした。私でも香りがわかった。汁もカツオと昆布の味が程よく合格点。蕎麦湯もとろみがかなりあって嬉しかった。880円也は今の蕎麦の値段の水準からは特に高いとは思わなかったものの、昼食代としては久しぶりに高価になってしまった。これは当分お昼はもっと節約しなくてはいけなくなってしまった。
 近くの企業のサラリーマンが多数であったが、ここら辺は大企業ばかりで、昼食の1回あたりの単価も高そう。各ビルの前にお昼時に路上で売っているお弁当屋さんの単価も500円以上が主流のようで、関内や新横浜近辺の相場に近そうだ。横浜駅近辺などに較べるとやはり高い。また飲食店でのランチも800円から1000円位が主流のようだ。企業間の賃金格差が拡大する一方なのを象徴しているようだ。テレビでの報道では最近300円を切る弁当が出ているようで、サラリーマンのふところ事情はかなり厳しい。
 同時にいつも感じるのだが、お昼時、皆さん実によく食べる。カツ丼や唐揚丼に蕎麦のセットなどのセットものの注文が圧倒的だ。たくさん食べるということ自体は、見ていて気持ち良いくらいで、違和感は無い。ただ、とても野菜の摂取量が少ないのと穀物の量が極めて多いのが気になる。野菜といえば付け合せの漬物程度でそれには箸をつけない人がほとんど。私も野菜の素揚ばかりだったし、普段は昆布のおにぎりやアンパンであるから偉そうに言えないが、みんな肉と穀物ばかりだ。
 私は、夜に大量の野菜を摂取しているが、しかし夜の居酒屋では来店者の注文の多くは肉が主流だ。そしてその後、穀物を実によく食べる。お昼と夜に取る穀物の量は、すごいと思う。穀物を大量に取るのは古代から日本では顕著なことではあったらしいが‥。野菜の値段が高くなってしまったのが原因かもしれないが、いつからこんなに日本では肉と穀物ばかりで、野菜が放逐された食事になったのだろうか。
 路上販売のお弁当を覗いてみても、コンビニのお弁当も野菜はほんの申し訳程度に添えてあるばかり。肉と大量のご飯が主体だし、それが喜ばれている。野菜中心のおかずの弁当はまず無い。野菜が高いのと手間がかかるのが難点なのだろうか。
 
 午後は200円のコーヒー1杯で2時間ほどの読書タイム。紅茶にしたほうが良かったと途中から反省。最近は優柔不断というか、つまらない後悔ばかりを繰り返す。それが頭にこびりついて数時間抜け出せないときがある。チョット用心しなくてはいけないかな?

 さて、夕方からルーベンス展の感想を書こうとスキャンなどをしているうちに夕食時間となり、再開した途端に眠気が襲ってきて不覚にもダウン。つい先ほど目が覚めた。この感想を書かないと、何か宿題をしていないようで落ち着かない。特に立派な感想が書けるわけでもないが、それでもせかされているような感じだ。
 明日の夜に再度挑戦してみよう。

八重桜見ごろ

2013年04月09日 21時58分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 晴れるという予想だったのだが、曇りがちの一日であった。その風を理由にウォーキング・ジョギングは中止。
 朝から、横浜駅まで歩いていく途中の八重桜が見ごろになっていた。若い小さな木であるが、緑道の上法に植わっていて、歩いていることからは見上げる格好になる。もう少し大きくなれば見事な樹形を見せてくれそうな予感がする。このまま無事に成育して欲しい。

 本日の読了
 「百年前の日本語-書きことばが揺れた時代」(岩波新書、今野真二)
 感想は後日予定。

 先日堤剛のチェロの演奏会の感想を書いたが、書き忘れたことをひとつ。

 初めて舞台後方席に座ったのだが、15分×2回の休憩時間の大半を席のすぐ後ろのバイプオルガンの演奏台と巨大なパイプを下から見上げていた。演奏台の鍵盤や操作ボタンを見ても何もわからないのだが、同じ字句がしたためられた操作ボタンが幾つも並び、とても複雑な様相であった。これを理解して操作する演奏者とはすごいものだとあらためて感心した。
 そして客席からは舞台の後方にあるこの演奏台、逆に演奏台から客席を見ると舞台と前方の客席が足のはるか下に見える。ちょっと怖いと感じがする。足がすくむようだ。
 足がすくむのは、巨大なパイプが背後に垂直に行く本も並んでいることも原因だ。巨大なパイプは足元より少し先が一番太くで先端はまた細くなる。そのために先端が見えずらく、一層そそり立つような具合に見えてしまう。それ故、パイプが背後から背中を押しているように錯覚してしまう。
 客席を背にしてパイプを見上げると、これまた見上げる人を圧するようにパイプが覆いかぶさってくるように見える。背中から客席に仰向けに倒されるような威圧感がある。この圧力に抗して、鍵盤を強く押して、パイプを出来るだけ振動させて見たい衝動に駆られる。
 そんなことを思いながら休憩時間の大半を、パイプオルガンの演奏台とパイプそのものを見上げていた。これは見飽きることは無いような気がする。あのパイプオルガンの維持管理を行う人、演奏する人はどんな思いを持ちながらかかわっているのだろうか。実際に聞いてみたいと思った。

追悼!佐々木高明氏

2013年04月08日 21時29分04秒 | 読書
 元国立民族学博物館長の佐々木高明氏が亡くなったとのニュースが流れた。
 私は1960年代の中ごろ、高校生になりたてのころ当時通っていた高校の国語の先生に「照葉樹林文化」の中公新書を教えてもらい読んだ記憶がある。
 今となってはどのように理解したのかはなはだ心もとないのだが、それでも大学に時代を通して上山春平・中尾佐助・佐々木高明の名前は記憶していた。就職したての頃、「続照葉樹林文化」(中公新書)を購入した記憶がある。しかし結局は読まなかった記憶がある。はっきり云って決して良い読者ではなかった。
 それでも日本の古代史の本を何の脈絡もなく、系統だてもしないでむやみに読んでいた。そしてたまたま集英社版の「日本史誕生」の第一巻を手にした時、国立民族学博物館副館長という肩書きを目にした。
 縄文時代の記述にとても新鮮な感じを受けた。そして縄文時代の栽培農耕について説得力のある記述に触れて、ずいぶんと歴史の認識も変わったんだなと感じた。

 その後、アイヌ新法の動きが加速される中で、ニュースに佐々木高明氏が度々登場されて、「日本は単一民族国家ではない」と力説をされているのを見て、私はとてもワクワクした。1997年「アイヌ文化振興法」が成立し第1条に「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。」と記載されることとなった。
 ところが、本来は全国で効力を持つ法律であるが、当時、衆議院議員石原慎太郎が強硬に反対し、実質的に北海道以外では効力を持たないような法律に変えられてしまった。この様な人が都知事をやってり国会議員に返り咲き、党の代表に就任するなど私には極めて残念な事態である。
 しかし佐々木高明氏はアイヌ文化振興・研究推進機構の理事長としてこの法律の施行について精力的に活動されたのを私は記憶している。自分のしてきたこと、発言してきたことにキチンと責任を取った活動をされているのだなあと感心した。

 そして3年ほど前に、「東洋経済」という経済史に氏のインタビュー記事が出ていると友人が教えてくれてコピーをもらった。経済誌にどうして登場したのかわからなかったが、その記事のコピーを読んで引き込まれたことを覚えている。こんなにわかりやすく解説される話し振りに驚いたのを良く覚えている。
 「日本の文化は単一ではない」「地域主権」「日清戦争以降につくられたナショナル・アイデンティティ」「ひとつの価値観で社会や文化が動かされるのは危険」‥どれもが生きた言葉として語られている。
 私は佐々木高明氏ほどの学識も経験も無いのだが、少なくとも自身の体験を重みのある言葉として紡いで行きたい。

 本日の訃報が掲載されたヤフーの画面にこのインタビューがアップされていたので、懐かしくてあわててコピーをして、画像に変換した。

      

 私はけっしていい読者ではなかったが、氏の著作に影響を少なからず受けた者として、また唯物史観ばかりの私の周囲の状況に対抗するにはこのような新しい視点は大事だと、とても感激してきた者として、大切にこのインタビュー記事を私のブログにアップしておこうと思う。同時に昔の「照葉樹林文化」の提唱の発端となった2冊の中公文庫なども再度目を通したいと思った。

春の嵐過ぎておだやかな天気

2013年04月08日 14時36分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の大雨・強風がおさまり、横浜はおだやかな日となった。小・中・高校の入学式の学校もあるようだ。私には入学式はとうに関係のない歳になった。
 小学校・中学校・高校の入・卒業式は親も感慨ひとしおのものがあろだろう。それはとてもよく理解できる。親としてそこに参加するのは家族の歴史の節目としても重要であると思う。

 だが、大学の入・卒業式、成人式、入社式となるとどうなのか。家族にとってはそれは内々の祝い事のひとつではあろう。しかしその場に親や保護者が参加するというのはいかがなものか。
 私が大学生になったときは入学式はなかった。紛争のあおりで中止になったのだが、私には入学式がそれほど重要なことには思えなかった。親元からはやく離れて自活・自炊したかった。それが大学に入いりたかった重要な動機のひとつだった。成人式は大学のバリケードの中でやり過ごした。
 実は大学でも卒業式はあることはあったが、私は参加したくなかった。とてもそんな気分ではなかったし、教授連中から『「お祝い」や処世訓など云われたくない』というのが当時の正直な気持ちだった。教授連中にお礼を言わなければいけない義理も感じなかった。就職先もあくまでも自分で見つけて、自分の個人的な努力で就職試験に合格した。それが当たり前の時代だった。

 最近では大学の入学式にも親が大勢押しかけるとのこと。卒業式にも親が出席するそうだ。さらに入社式にすら親が押しかけて企業の担当者がお断りする場面がテレビに放映されていた。とてもとてもその発想が私には信じられない。
 自分の子供が18歳を過ぎたら大人として接しなければならない。子供もそう思わなければ自立したことにならない。子離れしなくてはいけない親が多いのだろうか。就職について大学側が真剣に世話をする時代だからこうなったのか、そこら辺の背景は私にはよく理解できない。
 私の勤めた市役所でも、高卒で採用された方がいざ配属になったとき親が職場に来て所属の人に「よろしく」といって挨拶に回ったという逸話がある。私が歳をとるにしたがいそれに類似した逸話が多くなってきた。配属先に「このような出先職場に娘を勤めさせるわけにはいかない」と辞めさせられた新規採用職員がいたとの逸話すらある。
 高校を卒業して18歳といえば、大人として振舞わなければならないし、親もそのように遇さなければならない。
 私の子供も高校の卒業以降は大学の入・卒業式に参加しなかったし、それを求められても拒否したと思う。成人式の時も和装など用意なんかする気にならなかった。子供もそのことは理解していてくれたと思う。

 年寄りには、今の社会にとても適合できない不思議なものが多くあり過ぎる。

堤剛「バッハ無伴奏チェロ組曲」演奏会

2013年04月07日 22時56分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 本日はヒョンなことから堤剛が横浜のみなとみらいホールで開催する「バッハ無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会のチケットが手に入り、本日聴いてきた。
 演奏はとてもすばらしく、堪能したのだがまずは舞台後部席の感想から。

 舞台後部席というのは、みなとみらいホールに限らず私には始めての経験であった。普段はこれまでどんな場合でも舞台正面からの席を購入してきた。前回、みなとみらいホールでパイプオルガンの演奏会は初めて2階側面の席だった。特に音響で気にはならなかった。今回どのように音が聞こえるのか、楽しみにしていた。
まず、堤剛のすばらしいチェロの最初の音が出た瞬間、私は舞台後方から聞いていてビックリした。私はちょうど演奏者の真後ろの少し高い位置の席であったのだが、足元からチェロの朗々とした音が正面の3階席のほうに這い登っていくような錯覚にとらわれた。音自体は3階まで登っていくのに時間的な差は感じられることはないはずなのだが、私にはそのように感じた。ホールの物理的な構造からそのような事態を勝手に想像してしまっていたのだと思う。
 チェロの場合、演奏者は楽器の後ろに位置して音を客席に向けて弾く。私には夏山の頂上のすっかり暮れてしまった闇の中で、向側の山に先ほどまでかかっていて今はすっかり沈んでしまった太陽に向かってろうろうと響かせている音のように感じられた。音が遠くまで響く醍醐味を味わったようなきぶんになった。
 自分で演奏しているような錯覚にとらわれた。
 こんな音の経験も悪くない、いやむしろ好ましいものではないかと感じた。実に新鮮な気分になることが出来た。
 私はバイオリンの経験があり、弦楽器については正面から見たほうが音楽にはなじめる。左手の指の位置、右手の弓の動かし方から弦楽器特有の音質を想像しながら演奏者を見ていると、とても楽しい。チェロの演奏も同じだ。しかし真後ろの席からそんなことを想像しながらの鑑賞は難しい。だが、本日のこのような音の広がりの経験をつんで、後部座席も決して悪くないものだと実感した。
 また機会があったら後部座席の券を購入してみようと思う。値段安いので慣れればいいのかもしれない。でも果たして大人数の管弦楽曲の演奏会などでもこれが有効かどうかはわからない。また、金管楽器などの指向性の強い音はたとえ少人数でもそぐわないかもしれない。

 さて、堤剛のバッハの無伴奏チェロ組曲、わたしは大変すばらしい演奏だったと思う。チェロを演奏する者も、聴く者にとっても、この6曲の組曲はバイブルのような曲である。今年71歳を迎える堤剛は、すでにこのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲の録音を2度行っている。そして一度の演奏会でこの6曲を弾くという、大変なエネルギーが必要な演奏会である。
 重厚なチェロらしい張りがあり、音に深みがますます加わり、そして奇を衒わない堂々としたチェロ組曲であると思う。私好みの演奏だ。
 プログラムというか、6曲の並べ方にも工夫があるという。作品番号順の演奏ではなく「構成や調性等を考慮して曲順が工夫」されたことになっている。この曲順については、是非とも詳しく堤剛の解説が欲しいのだが、残念ながらプログラムには記載は無かった。
 実際は、1番-5番-休憩-2番-6番-休憩-4番-3番となっている。もっとも演奏しにくいといわれ高音部が多用される6番を第2部の最後に持ってきて、演奏者が「実はもっとも難しい」という4番が第3部のはじめに演奏される。そして最も有名な第3番がプログラムの最後に位置している。
先ほど記したように、構成と調性等をどのように考慮したかは不明だが、それでも演奏会を聞けば、6曲が有機的な構成になっているように感じる。起承転結が感じられるような気もする。
 第1番の出だしのあの響きは、この6曲全体の序奏のように太く厚みをもって響き渡る。6曲全体を聞くにしても、たいがいこの最初の音で、最後まで聞きおおせるか否かのすべてがかかっている。
 そして今回高音域ばかりでとても難しいといわれている第6番をじっくりと聞くことが出来た。高音部と低音部の交互の掛け合いの様子が、メリハリが利いた演奏ゆえに好ましいと思った。高音部の音に艶があり、とても若々しい音に聞こえた。何よりも低音部が豊かに響いているので、高音部が艶やかに鳴るのだろう。高音部特有の掠れが感じられなかった。
 内面的・瞑想的といわれる第2番と、渋いといわれる第4番。内面的と渋いとどう違うのか、問い詰められれば応えようが無いのだが、「渋い」と云われると私には好ましいと感ずるようになってきた。
 第4番のじっくりと聞かせる低音の緩やかな曲想と多少のテンポの揺れがとても好ましい。またトリルとビブラートがこの第4番に着て俄然表情豊かになる。堤剛の音色にはぴったりの気分だ。そして最後に演奏された第3番、それも3番目のクーラントと4番目のサラバンドの美しい旋律と厚い響きにびっくり。3時間近い演奏時間の最後に、この朗々とした響きが出るのがすごい。
 なお、アンコールの「鳥の歌」、チェリストなら誰でもがあこがれる曲だが、このハーモニクスは特段に美しい感じた。

 久しぶりにすばらしいチェロの生演奏を聞いてすっかりご機嫌になった。チケットが手に入る幸運、しかも堤剛のこだわりのプログラムという幸運に感謝である。会場は2000席あまりあるのだが、ほぼ埋まっていた。一人の演奏家でこれだけの参加というのもすごい。また音もこの広い会場に負けてはいなかった。

 実は、24日にはモーツアルトのホルン協奏曲全曲の演奏会のチケットも手に入っている。ホルンは松崎裕という元NHK交響楽団の首席奏者。これも楽しみにしている。3月から4月は充実した演奏会が続く。

「マリオ・ジャコメッリ写真展」感想

2013年04月06日 23時58分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日のうちにアップしようとしたが、なかなかうまくまとまらず、本日のアップとなってしまった。

         

 私は写真芸術については詳しくはない。日本の写真家で土門拳と植田正治、そして今年になって二川幸夫、ロバート・キャパとゲルダ・タロー、北井一夫の写真展を見てこのブログに取り上げた。しかしそれ以上の知識は皆無に等しい。
 マリオ・ジャコメッリについてもまったく初耳であった。たまたま東京都写真美術館のホームページで知って、本日この展覧会を見てきた。ネットで検索すると、「イタリア人写真家マリオ・ジャコメッリは1925年8月1日イタリア北東部のセニガリア生まれです。13歳の時、印刷所で雇われ、その後その印刷所のオーナーとなっています。最初はアマチュアの画家および詩人でしたが、1954年以降に独学で写真を学び印刷の仕事のかたわら写真家としてのキャリアをスタートします。 エチオピアやチベットなど遠方地での撮影も行なっていますが代表作は主に地元中心に旧式の改造されたカメラで行われています。アマチュア写真家ですが、ニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキーやジョージ・イーストマン・ハウスのネイサン・ライオンズなどが収蔵作品に加えたり展覧会を企画するなど高く評価しました。シュールな印象のコントラストが強いモノクロ写真が特徴。終生に渡り、生と死がテーマになっており、代表作は、「ホスピス」(1954-83)、「風景」(1954-2000)、「スカンノ」(1957,59)、「若き司祭たち」(1961-63)など。空中撮影された抽象的なイタリア田舎風景や老人ホームの写真で知られています。2000年11月25日にアドリア海に面したセニガリアで75歳で亡くなりました。」とある。
 写真展に足を踏み入れて、最初の印象は植田正治の写真に似ているな、とちょっと思った。しかし植田正治の写真よりずっとハイ・コントラストの作品を見ていて、作品に映っている人物からこちらを注視されているような錯覚をまず覚えた。
 特に、「ホスピス(死がやって来てお前の目を奪うだろう)」には射すくめられた。ホスピスにいる死を待つ人々の目からは、逆に死の世界からこちらを覗かれるような鋭い視線を感じた。見られているのは写真の対象ではなく、生者である私たちという反語が成り立つようなきわどい地平にあるように感じてしまう。



 だから、いわゆるドキュメンタリー写真とはまったく異質だ。人物が映っていてもそれはあくまでも写真家の心象風景である。作者の目に映る社会の事象を切り取るのではなく、被写体を通して心象風景をそこに映し出していることに実に自覚的な作品だと思う。上にあげた作品など、中央にいる少年の目だけが生々しい。この目は作者の社会に対する目、作者と社会との距離、作者の社会に対する不安や懐疑を写し取っているとしかいいようがない目だ。
 そして多数の人物を写しながら、造形的な写真である。これはなかなか出来ないことのように思う。
 その手法の秘密は、作者が印刷所の仕事の傍ら、土・日に撮影に出かけ、平日の夜仕事が終わってから夜間にひたすら暗室で現像作業を繰り返し、トリミングや覆い焼き・多重露出などの技術を繰り返して作品を仕上げたということに求められる。狭い暗室の中から浮かび上がってくる写真をとおして、作者は自らの想念と外界との距離を計測しながら自分を見つめていたのだと思う。
 もうひとつ、私が強く感じたのはあのハイ・コントラストが語る不思議な抽象である。あのようにコントラストを強調し、白と黒の世界を作り上げる根拠は何なのだろうか、とまず誰でもが思う。この強調された白と黒の関係は、時には反転したり、距離感が喪失したり、映っているものの相互関係が曖昧になったりして私の目に飛び込んでくる。私はこのコントラストを強調することで、映っている人物の表情や周囲との関係性が、具体的な生身の関係性から切り離され、具体的な時間もそぎとられより抽象化され、普遍化されたと思う。
 作者の周囲に具体的に生きている人物や対象の物から、より普遍的でどこにでもいる人物、どこにでもある物へ挿げ替えるている。そして作者の自我だけがそこに残って定着しているのだ。作品の脇に掲げられた作者の言葉、詩のような言葉が作品の背後から滲み出るように私の目に映る。作品とこれらの言葉が交互に私の脳に何かしらの作用をするように感じる。
 このように抽象的にしか言葉が出てこない、しかし明瞭に脳に刻み込まれるような強い印象を受けた。



 私はいくつもの作品群があるなかで、「詩のために」がとても気に入った。しかしいつものように私の気に行った作品は、カードにはならない。もうひとつの気に入った作品は上に掲げた。石畳の繰り返される細かい模様、黒い手摺の屈曲を背景に決してこちらを向かない黒い人物と白い少女の点景。作者にとって心を開いてくれない社会、人々との距離が見えてくるというのは、私の間違った鑑賞だろうか。
 こんな言葉も掲げられていた。
「それぞれの道をゆく写真が存在し、そのどれもが人生の意味を探しにゆく。苦しみのあるところに希望を見つけ、歓びと思われるものは辛いあと味を残す。きっとそこにこそ人生がある。一人ひとりに苦しみがことさら大きく、世界の生命では生ききれないところに。」
 マリオ・ジャコメッリという写真家、とても忘れることの出来ない魅力的な写真家であり、思索者だと感じた。



 なお、辺見庸に「私とマリオ・ジャコメッリ」という作品がある。写真美術館のミュージアムショップでも販売していたが、費用の面で今回は購入できなかった。わたしは辺見庸の作品は読んだことはない。しかしこれは是非ともいつか手に入れて読んでみたいと思った。また、図録=写真集も3990円はとても手がでなかった。残念である。

「ルーベンス展」と「マリオ・ジャコメッリ写真展」

2013年04月06日 21時02分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩の予告どおり、朝10時過ぎまだ雨の降る前・風も強くなる前に家を出て渋谷の東急文化村ザ・ミュージアムで「ルーベンス展」を、東京都写真美術館で「マリオ・ジャコメッリ写真展」を見てきた。

 風雨がかなりひどくなるとの予報だったので、「ルーベンス展」は空いているかもしれないという期待をもっていた。しかし昼前は雨も降らずまた風もなかった。それでも春休み最後の土曜日にしては人通りは少なめで、東急文化村へ登っていく道も人を気にせずに歩くことが出来た。
 会場も混んではいたが、見てまわるに支障はない程度で、とてもうれしかった。2時間近くじっくりと会場を巡った。会場を出たところのカレーの専門店で遅めの昼食を取り、そのままJRで恵比寿へ。写真美術館の「マリオ・ジャコメッリ写真展」は空いていた。

 見終わって会場を出た15時半ころには雨が降ってきたが風はそれほどでもなく、気象予報が外れたのかと思っていた。16時半、横浜についた頃に大雨警報となった。外をみてもそれほどの雨ではないということで、急いで帰る必要も無いだろうと、居酒屋で私は日本酒を2合、妻はビールを1杯、そして刺身と焼おにぎりの夕食。

 家についてみるとニュースで西日本から東海地方はかなりの雨と風だったことがわかり予報は決して外れてはいなかったのかと思った次第。夜になるに従い雨も強くなってきた。20時直前には大雨洪水警報となった。20時には京急が雨で遅延とのメールも来た。さらに竜巻注意報も発令され、土砂災害の危険情報まで出された。だんだんひどくなる。これは元の私の職場などでは、多くの人がやはり残って仕事をしているはずだ。何となく後ろめたい気持ちがまだ残っている。

 早めの帰宅で助かったようだ。何事も無いことを祈りたい。

 「ルーベンス展」と「マリオ・ジャコメッリ写真展」の感想を早めにアップしなくてはならないが、「マリオ・ジャコメッリ写真展」の感想を本日中にアップすることとし、「ルーベンス展」は後日の予定とした。が24時を回った段階でようやく、「マリオ・ジャコメッリ写真展」の感想ができあがり、先ほどアップした。大幅に遅れてしまった。


新年度の講座始まる

2013年04月05日 21時23分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨日に封を開けた「極厚ビーフジャーキー」、一口食べて特に影響は出なかった。葦原の山姥様にはご心配をおかけしたもののさいわいにも何事も無かった。ご心配をおかけしたこと、お詫び申し上げます。
 密閉の袋に入れて冷蔵庫に仕舞い、本日4枚ほど食べた。私が知っているビーフジーキーよりかなり硬く、まったく柔らか味がない。乾燥しきっている感じだ。これが古くなっている証拠なのだろう。消費期限ではなく賞味期限切れといっても、ほぼ1年を過ぎている。さらに開封してこれ以上置くのは冷蔵庫といえどもあまり芳しくないようなので、残り約半分は本日で廃棄することにした。

 さて本日、半袖のシャツでも良かったような昼からの気温のもと、1時間の早足で午後からの新年度最初の講座に出かけた。まずは「イタリアルネサンスの巨匠たち」という6回の講座の第1回目と、「ルーベンスとアントワープの旅」という1回の講座。
 前者の講師は明治学院大学講師の塚本博氏。後者の講師は作家の太田治子女史が講師。

 連続講座での西洋美術の講義は、今年度の前半の講座が終わる9月までで一区切りとしようと思う。後は展覧会のたびに行われる単発の講演会や、各展覧会の学芸員の解説の講座を申し込もうと思う。後は図録の解説や個人の勉強の範囲で勉強しようと思う。西洋のルネサンス以前や現代美術も同様だ。
 そして今年度の後期からは日本美術の歴史の講座を探してみようと思う。どちらかというとこの方が私の本来の目的だ。そのような講座があればうれしいのだが。

 明日・明後日は天気が荒れるらしい。爆弾低気圧という物騒な、あまり命名としては感心しない言葉が冠せられている春の低気圧が通過するとのこと。
 どうも最近はこのような物騒な命名が平然と行われる。企業の活動の中でも何のわだかまりもなく使われる「○○戦略」などの言葉、あるいは日本語や古くからの訳語を嫌って英語の単語そのまま使用する風潮、言葉を大切にしようとしない雰囲気がとても気になる。もっといい言葉にしようという発想・言葉を大切にしようとする方向がほしい。
 本題に戻して、「ルーベンス展」は新学期が始まって以降の方が少しでも空くかと思っていたが、この低気圧で訪れる人も少ないと期待して行ってみようと思う。また、東京都写真美術館の「マリオ・ジャコメッリ写真展」も気になっているので、できれば見に行こうと思う。天候が許せばということだが。

呑み会のハシゴ

2013年04月04日 22時33分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は後楽園近くでの句会に参加後、食事会・懇親会に参加。主宰を交えて楽しいひとときをともにした。皆人生の先輩でもあり、ひたすら皆さんの話に耳を傾けた。
 18時半にその会が解散後、いつもの通り大久保で昔の仲間と毎月定例の飲み会に参加した。飲み会を2軒ハシゴしたことになる。
 この飲み会の順番が前後すると大変なことになるのだが、これ以上の言及はまずいので、終了。今は横浜に向かっての電車の中。乗り過ごさないようにしなくてはならない。

 明日から新年度の講座が始まる。午前から開講。早めに就寝しなくてはいけない。

期限切れの「極厚ビーフジャーキー」と「チーズタラ」

2013年04月03日 23時38分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻が缶詰や乾麺などを入れている棚を整理していて奥のほうから、11ヶ月前に賞味期限切れとなっていた「極厚ビーフジャーキー」と「チーズタラ」を見つ出した。ビーフジャーキーは販売者が山形県になっており、チーズタラは八王子になっている。一年以上前で山形に行ったのはどこだったか覚えていない。2011年の秋に奥入瀬渓谷に行っているが、行きも帰りも山形は通っていない。往復東北新幹線を利用した。

2012年8月に仙台に行っているが、それではすでに賞味期限切れのものを販売していたことになりおかしい。それ以前だといつだったか見当がつかない。あまり詮索してもしょうがない。
 そしてそのまま捨ててしまうのももったいない気がしている。明日か明後日あたり少し食べてみようかと思っている。ビーフジャーキー、酒の肴には悪くない。私はウィスキーに合うと思っている。

 普段このような乾き物に類したものはあまり食べないし、妻は廃棄すべきだと主張している。多分窒素封入のパック。油が酸化してしまっていれば、食べないほうがいいのはよくわかっている。しかし酒の肴となるとどうも食い意地が‥。やはり私の年代では、食べ物を捨てるということになるとまず抵抗がある。生ものならばいざ知らず、食べられるものはとりあえず口に入れて、それから判断しないと気がすまないのだ。

 下痢でもして他人に馬鹿にされてもこれは治りそうもない習性だ。


雨と風

2013年04月03日 12時05分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 雨は人を家に閉じ込める。そして内省的にする。
 だからといって読書が進む時もあるが、そうでない場合も多い。しかし、周囲の雨や風の音に敏感になる。自然に対する感覚が鋭敏になる。
 小さい頃、学校に通う以前だったが、木造の長屋に住んでいた頃、雨や風の日はその音や雰囲気が怖かった。雨の降り続く時のガラス戸からの視界に映るものや風の音は不気味であった。天井から押しつぶされるような圧迫感を感じた。皮膚がベタベタして、五感のすべてが「不快」という信号を私の脳に送り続けるようだった。それでも外を見ることは止めなかった。止められなかったといった方が当たっている。
天候は、動物としての私の身体に始原の頃の警戒の記憶、恐怖の記憶を刻み込んでいるかのようだ。本能という形で。
 都会で生活をしていて、学生だった頃や勤めに出ていたときは雨だろうが風だろうが、そして台風だろうが、そのような自然現象をまったく考慮することなく学校や職場に出向かなくてはならなかった。そして頑丈な家屋に住まいして、仕事に疲れた身体を小さな空間に押し込めることが日常化していると、警戒や恐怖の感覚も薄らいでしまうようだ。天候に対する本能のような感覚は、意識の底に押し込めていなくては生きていけないのだ。
 私はひょっとして他人よりもそんな自然に対して自覚的に感覚を研ぎ澄ませているのかもしれないと思うことが多々あった。夜風呂に入りながら、あるいはベッドの中で、不安や恐怖が先にたったり不快な念がありつつも、雨・風の音を聞くのが好きだ、自然に身をひたしているようで惹かれる、と言ったとき、多くの同僚は不思議な顔をしていた。ある者は、「小心者」と私をからかった。またある者は、「マザコン」と言い放った。自然=母親の胎内への回帰願望と短絡したのだ。

 昨年4月から仕事を離れて、「自分の都合で時間を差配しているという錯覚」の中に身をひたしていると、今まで意識の底に押し込めていたこの感覚が大きく頭をもたげてくる。これまで以上に私は自然の発する音などのシグナルに敏感になっている自分を発見した。
 昼間家にいて、雨や風の音をじっくりと不快な信号を脳に送り続けている自分を他人の目で観察している自分を見つけることがある。そのようなとき、自分の意識が、狭い空間に閉じこもっているだけでなく不安げな空や、雲に隠れた都心の高層ビルのさらに上空に上昇しながら都会を俯瞰しようとしていることに気付いた。自然というものに自分が融けていく感覚にも似ている。
 幼い頃、雨・風の強い日に自宅から庭や空を飽きずにながめていた自分は、ひょっとしたらこんな感覚も味わっていたのかもしれない。今ではもうすっかり忘れてしまった。

 これからどのくらい生きているかわからない。自覚的に人や自然や社会とかかわっていられる時間はさらに短いだろう。そんな中で、自然に対する畏怖や恐怖などといった本能とも呼ばれるような感覚が、少しずつ蘇ってくるのだろうか。それとも今この61歳という一瞬の時によみがえっただけで、また少しずつ意識の下に埋もれていくのだろうか。そこら辺の変化を味わってみるのも、老いを相対化する方法なのかもしれない。時間を自分のサイクルと自然のサイクルに合わせて行くのが、たとえそれが錯覚だとしても、自分の老いの相対化の契機となると信じている。

本日の贅沢(龍力)

2013年04月02日 21時55分06秒 | 料理関連&お酒
 本日の贅沢はこれ。龍力という名で、兵庫県姫路市のお酒で、龍力(たつりき)という。 

   

 秋田の吟醸酒1029円也とどちらにしようかと3分ほど悩んだ末に、1575円也のこのお酒を選んだ。一年のご褒美と勝手に、都合よく、身勝手に決めた。理屈、屁理屈、いいわけは後からいくらでもついてくる。単にお酒が飲みたいだけなのだが‥。

 本日の雨、家にずっとこもっているのも不健康と思い、いつもの銭湯&サウナに出かけた。サウナから出た後、露天風呂で雨に身を打たせながら体の熱を冷ますのはとても気持ちがいい。体を冷ました後はぬるめの露天風呂でじっくりと温まり、またサウナへ。これを4度ほど繰り返した。

 後は健康的に寝て明日を心地よく迎えよう。明日も一日雨とのこと。