Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

組織の活性

2013年05月20日 18時21分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から組合の会館で退職者会の役員会と幹事会に出席。終了したのが16時過ぎ。1000部を越える会員向けの郵送物を作成する作業も行う。この作業が大変だ。ニュースやその他の配布物、会費の納入依頼、イベントの案内、行事に参加した人には個別に写真同封と幹事全員での共同作業はにぎやかである。このにぎやかさがある限り、私の属する退職者会という組織は他人が何と言おうと存続し続けられると思う。
 昔から組織というのは、このような単純作業の協働が組織を支える大きな力である。大言壮語や理屈ばかりの人よりは、こつこつとこのような地味な作業をこなす人が組織を支えてくれる。また組織を活性化してくれる。楽しむ、議論する、作業する、行動する、人に働きかける‥それぞれにそのお膳立てに特技を発揮しながら、組織全体が動くことが必要だ。大言壮語や理屈ばかりで体や手が動かない人は、結局は人に信用されない。そのような人が跋扈すれば組織は活力を失う。理屈では人は動かない。
 組織を切り盛りする人は人一倍このような作業をキチンとこなす覚悟が必要である。少なくともこのような作業をこなす人に信用されない限り、人はついてこない。政治家の勘違いは自分が支えてくれる人々のおみこしでしかないという一面があるにもかかわらず、自分の理念や理屈に人がついて来る、自分がすべての主宰者であるという勘違いから始まる。
 また、支える人もそのような勘違いを許してきた負の歴史が日本に特有なのかもしれない。少なくともこのことに組織をリードする人も支える人も自覚的にならない限り、その組織の未来は無い。
 これが私が18歳のころから社会的な運動にかかわり続けて今に至るまでこだわり続けたことだ。また少なくとも若い人にはそのことは伝えてきたつもりだ。しかし一番もどかしかったのは、同世代の人にそのことがなかなか理解されにくかったことだ。新しい政治理論や組織理念の構築が求められる時、どうしても抜け落ちてはいけない側面であると思う。この点から見て、今一番魅力的な組織はどんな組織であろうか。あるいは今の組織で将来性のある組織は日本の社会の中でどんなものであろうか。私はこのような側面を基準に社会を見続けたいと思っている。結論は今はまだまだ急ぐべきときではないだろう。

 そんなことを考えながら、今日一日、どんよりとした曇り空のもと一日を過ごした。

お見舞い2回目

2013年05月19日 23時16分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 入院している友人、というよりも先輩といった方が正しいのだが、本日二回目のお見舞いに出かけた。本日は私一人ではなく、二人の先輩Aさん、Iさんと一緒に三人で行った。
 前回の手術翌日の時と変わらず顔色はとてもいい。かえって入院前よりはお酒も煙草も禁止されている分、良いのかもしれない。栄養剤と痛み止めの点滴もはずされ、かなり自由に動き回れるようだ。昨日から重湯、そして本日からお粥と、食事の回復も早め早めに行われている。
 20年前に私の父親がやはり同じ病気で手術したときなどは、大きく開腹した手術でまるまる1ヵ月入院した。翌朝から歩行などとはまるで考えられなかった。無論70代後半で体力に恵まれていなかった私の父とは較べものにならないほどNさんは体力は備えている。そして10歳以上若い。 今回は小さな傷跡しかないようで、手術の方法も技術もずいぶんと進化したのだなぁとつくづく感心した。
 本日は体の休養日と考えていた。お見舞いに行く前にも出歩いたのは近くの園芸店まで荷物持ちとして妻のお供で往復しただけ。園芸店はとても混んでいた。この時期、園芸には良いじきなのだろうか。この買い物の後、お見舞いに出かける間を利用して退職者会のブロック版の会報を必要数打ち出し・印刷を終了。印刷は順調に処理できて助かった。
 さて、お見舞いにわざわざ出かけたのだからと、病院の帰りがけに三人で川崎駅前で軽くお酒を飲んだ後、川崎から横浜の自宅まで歩いてみた。途中雨が本格で気になり、時間もかかるようだったので新子安駅から東神奈川駅の間は電車を利用した。国道15号線を2時間かけて、ひたすら南下したのだが、特に車の交通量が多いわけでもなく、排気ガスに悩まされることなく(雨の煩わしさを除けば)快適に歩くことが出来た。
 病気見舞いにかこつけてお酒を飲み、運動がてらウォーキングにいそしむなど不謹慎といえば不謹慎だが、まぁ許してもらおう。

老いを実感する瞬間

2013年05月19日 12時45分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 老いを実感するというのは、40代半ばになった頃からか、同年代の友人たちとの語らいの中でよく会話に出てくるようになった。特に体や髪の変化、体力の衰えなど、自分の老いに対する戸惑い、驚きなどどう対処するか、どう頭の中で整理するか、笑いながらの会話が多かったのだがみんな切実だったのだと思う。。
 しかし最近はもうそのような話はあまりでなくなった。すでに体調について充分に自分の「老」に対して構えが出来てきたのかもしれない。あるいは諦念となっているのかもしれない。ただしこれからますます体調については「老」が切実になってくると思う。体の変化だけでなく、精神的に気力なども当然俎上に上がってくる。会話の俎上に上がらないからといって、そのことが各自の頭の中から消えたわけでは断じてない。ますます真剣に頭の中で処理・対応しているのだと思う。

 さてこんなことを述べたのは、今朝私に訪れたある瞬間がひっかかっているのだ。

 朝食がおわり、インコの世話をする直前にいつものとおり、顔を洗い口をすすぐために洗面所に向かった。ここでいつものとおり洗面台に向かったのだが、次の動作が出てこない。「あれ?何しに来たんだっけ」ではなくて、口をすすぐための歯磨きをするというのは頭の中ではわかっているのだが、そのための動作が出てこない。
 歯ブラシを手に取る、歯磨きのチューブを取るということがうまく関連付けることが出来なくて、15秒ほどだが、オロオロしてしまった。まず洗面台の横の棚の上にある歯磨きチューブ、アフターシェービングローション、ヘアジェル、果ては妻のハンドクリームこの4つの容器が並んでいるのだが、歯磨きチューブ以外に手が伸びかけて4つの周りを逡巡。次にいつもは最後に使う、目の前にある洗口液の器にまで手が伸びた。どれも違う違うと思っても正しい選択である歯磨きチューブで手が止まらない。どうしてこれではいけないのか、と他の三つの容器の前で逡巡してしまう。正しい選択に行き着かないもどかしさと苛立ちがわいてくる。ふと何となく歯ブラシの立てかけてある金属のコップの上に手が行ってようやく我に返ったように思考がもどった。歯ブラシを取って歯磨きチューブを手にするという順番と、意識が戻ってきた。
 
 この後いつものとおり、歯磨き・洗口液、顔洗いとつつがなく進めることができた。とてもほっとはしたが、この15秒くらいと感じられた逡巡の時間、とても長く感じられた。あの焦りともどかしさと苛立ちの不快感だけが心にいつまでも残っている。そして最初に述べた15年前からのことをふと思い出したのだ。
 体調や体力での老いの体験は、共有する場があればそれは共通の課題として納得しながら、笑い飛ばしながら、自分の心の中で着地点が見つかる。しかし今朝のこのこのような体験は、現役の頃なら同じように共有できるのかもしれないが、退職して一人で噛み締めるにはちょいとつらい。それでも多くの人が一人で対処してきているのだろう。
 このようなことが今まで皆無かといえばそんなことはない。あまり見ないテレビに出てくる人の名前はもともと興味がないからほとんど覚えないが、それでも若い頃は一度聴けば覚えたが、40代のころからまず何回聴いても覚えなないのでもう聞かない。いつもあっている人の名前が出てこなくなる場面が50代を過ぎてオ行ってきた。現役を離れると会う機会もなくなるので、会話していても人の名前が出てこなくなる場面はもっともっと増えるだろう。
 しかし今朝のようなもどかしさ、苛立ち、不快感は初めてのような気がする。記憶にない。妻に話したら「一瞬次のことが出来なくなるって、危険だよ」と不安な顔をした。妻は「妻や子どもの顔がわからない、道路を歩いていて信号の意味が一瞬わからなくなる。危険回避のとっさの行動がとれない。」などのことを大きく飛躍して想像したのかもしれない。

 実は、半年ほど前からいつも持ち歩くリュックのポケット、小銭入れ、カードケース、ジョギング中の薬・鍵入れなどに、氏名・住所・電話番号・妻や子供の連絡先などを記載した名刺を入れることにした。妻は「出かけるときは氏名・住所・連絡先を書いたカードを首からぶら下げなければならなくなるよ」と飛躍して心配している。わたしから言わせるとそれはお互い様の状況だよと思うのだが、それは口には出してはいわない。

「仏像半島」展(感想4)

2013年05月18日 16時54分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 日本では涅槃図、寝釈迦は極めて珍しいと図録に記載されている。
 確かに釈迦の周囲に菩薩・弟子、天人、各種動物などを書き込んだ絵画は幾つも見た記憶があるのだが‥。日本でもこのような像が作られていたのかと興味がわいた。東南アジアなどでは良く見る像だと思う。
 鎌倉時代中期、13世紀の作で匝瑳市の所蔵とのこと。
 私は衣の衣紋の何重にも重なった同心円状の曲線がとても美しいと感じた。また台の蓮華紋の繰り返しも美しい。これも決まったポーズで作られていると思われるが、顔の表情も惹かれる。私もこのような柔和な顔が身についたらいいなと思う。



 この仏頭に展示室でであったときはビックリした。高さが113センチの鋳物の頭がのっと出てきた。鎌倉時代、13~14世紀の作でいみす市郷土資料館蔵。これは模造品ということであった。
 頭に残る髪形からは菩薩の形と思われたが、完成品ならば推定3丈≒9メートル以上ということで、菩薩の形状をとる大日如来らしい。図録によると地元でも「大門の大日様」といわれているとのこと。
 無論慶派の仏師が原型をつくり鋳物師が手がけたのであろうが、胴体はどうしたのであろう。頭部のみ残っているとのことだ。
 鉄の鋳造仏は「鎌倉時代東国に多いため造像の背後には武士団の鉄に対する殊更なる思い入れがあったと推定される」。出来たと思われる年代は上総鋳物師の活動期と重なり、その記念碑的な作例と見なされる。上総鋳物師は鎌倉時代中期、上総中央部で活動し、梵鐘などに在銘作例が多く、仏像の製作にも携わった」と書かれている。
 鉄の精錬・生産集団と武士団との関係など歴史的に貴重なものらしい。
 私は大きい割に端正で静かな思念の様相に見えるこの顔が気に入った。温かみのある表情ではないだろうか。見ていてとても静かな心持になる。仏像の持つ不思議な魅力を備えていると思った。

   

 その他にもいろいろと興味を惹くものが多かった。仏像のほか、10点ほどの絵画が展示されている。なかでも4組の十六羅漢図などが面白かったが、そのうちの一組にビックリした。狩野一信の十六羅漢図と対面した。そういえば一昨年の今頃江戸東京博物館で狩野一信の五百羅漢図を見た際に図録の解説に成田山新勝寺に十六羅漢図があると書いてあった。狩野一信という画家がこだわりつづけた羅漢に、今回図らずも対面することが出来た。
 まず展示されていたのは、江戸時代、17世紀のもので大慈恩寺像。これは一説には中国明の時代ともいわれるようだ。16幅の墨絵だが、それぞれ一緒に描かれている武人・童子なども丁寧に表情豊かに描かれていてとてもおもしろい。
 二組目が時代が遡り、中国元時代の彩色の作品で法華経寺蔵。かなり損傷があり表情がはっきりしない。一幅に一人の羅漢だけが描かれており、動きも無く表情の多様さを見るという感じではない。もともとの羅漢図はこのようなものだったのだろう。
 三組目は、室町時代15世紀の中国のものの日本での模造品で4幅のみ。弘法寺蔵。各幅に羅漢一人と幾人かの童子が書き込まれているが、表情は温和なものである。全体がこの表情で統一されているのかはっきりしないのが残念。
 四組目が狩野一信の二幅に描かれた十六羅漢。彩色は無く水墨画であるが、他の三組とは違って表情・仕草が実に自由闊達、さまざまな格好をしている。議論する者、瞑想するもの、縫い物をする者、座禅を組む者、読んでいる者、何かの術をしている者などなど。一組目のものといい、江戸時代にこのように羅漢の表情・仕草か豊かになり、庶民性を獲得したのかもしれない。その集約点に狩野一信の画業があるような気がしてきた。

 最後の展示が日蓮とその後継者たちの像を描いた絵を中心にした一室だったがこれについては省略させてもらう。


「仏像半島」展(感想3)

2013年05月18日 00時38分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 千葉市美術館で開催されている「仏像半島」展の感想の3回目。今回は鎌倉時代の仁王像と四天王像。

   

 鎌倉時代の部屋に入ると、等身大の四天王像が部屋からはみ出んばかりの大きさで立っている。会場は広いのだが、思わず後ずさりしてしまいそうな迫力であった。鎌倉時代後期13世紀後半から14世紀前半の作品で勝覚寺蔵。4体とも像高が2mを大きく越える。
 図録の解説にあるとおり体のバランスが良く、いかめしい顔の迫力満点の四天王であると思った。ここに展示されている平安時代のどこか控え目で、都から東国の「鄙びた」というのがあたっているかどうかはわからないがそんな感じもする像から、目と鼻の先の鎌倉が政治と仏教文化の大きな中心となってその力がそのまま房総半島に影響を与えてるような感じの像に変化したのかなと感じた。政治、それも力を全面に押し出した政治の、表舞台の影響を直接に受けるようになったためだと思う。それがこの像の迫力の源ではないだろうか。
 慶派の仏像は衣の彫りが深いことなどがあるが、同時に造形のより人間的なリアルさを追求するような感じがする。また全体に動きがある。それはなかなか魅力的なのだが、それでも下半身と上半身のバランスが不釣合いだと私は感じている。別の言い方をすればこれらの闘いの場面のような姿態にもかかわらず、腰が高い。人間がこのような力を貯めた姿勢をとったり、格闘技で次の動作を想定するときはもっともっと腰が低くなくてはいけないはずだ。腰高なのである。上半身にだけ力と動きがある。下半身は力はこもっているが、動きがなくその力が上半身の力と関連がないように見える。仏教の伝来した世界でも例がないほどその造形は進化したが、それでも日本の仏像に対する私なりに違和を感ずる。同時に親しみもわく。不思議な感覚だ。
 しかしそのような違和感を吹き飛ばすようなこの4体の四天王像の迫力である。これが薄暗い本堂にあり、蝋燭の照明に照らし出されている光景を想像すると、ある意味とても怖い存在だろう。人を大きく威嚇し、恐れさせて、それで信仰を迫るような力がある。一方で、踏みつけられる邪鬼の諦念のような、「しょうがないな、四天王の顔を立ててやるか」とでも言い出しそうな、あるいは眠っているような表情が何ともいえずいい。
 


 この2体の金剛力士像は高さ170センチメートル余ある。鎌倉時代13世紀前半の作らしい。薬師寺蔵。
 この2体は寺の門の左右に立っていたのだろうか。それにしては小さいから本堂の中で、仏像を守るように配置されているのだろうか。ともに両肩の筋肉が異様に強調されているが、それほどの違和感はない。
 あえて違和感のあるところを探せば、阿吽両像ともに右の手が迫力がなく、すこし不自然な形に見える。吽行像でいえば指を開いた形右手、阿行像でいえば手を下に伸ばした右手、ともに力が入った造形には今ひとつ。別の誰かが後期にいじったかもしれないと感じた。
 吽行像の右手はもっと前に突き出した方が正面から見るものにも実在感がある。阿行像の右手は肘に丸みをつけた方が力がみなぎって感じるのではないだろうか。いづれもあるいは型があるのであろうが、素人目にはその方がリアルで迫力が向上するようにおもった。鎌倉時代の仏師に文句をいっても意味は無いのだが。
 しかしそれに較べてともに指を握っている向かって左の手はなかなか力がこもっている。
 この足、先ほども書いたとおりもう少し腰高を解消したらもっといいと思う‥。ただし両足の指がすべて下側に曲がっているように見えるが、それがこの像のポイントに思えた。元のままの造形なのかどうかはわからないが、足の指で大地を力強く踏みしめている形になっている。強調さていなくてさりげない曲がりだが、この指の曲がり具合にも見とれた。



 最近は仏像といっても如来・菩薩像、不動明王像などのように単体で安置されたり、拝まれたりする像を見る機会が多かった。このように幾つもの眷属をしたがえたセットの像を見るのも楽しい。特に眷属は、十二神将や四天王、二十八部衆などは表情にいろいろなものがあり、仕草も人の仕草を真似ているので、見飽きることはない。上半身と下半身のバランスで違和感があるとは書いたが、それでも鎌倉時代の作品の力にあらためて心惹かれた。
 今回の展示、このようなことにも配慮した展示となっており、好ましい展示方法だと思いうれしかった。






「仏像半島」展(感想2)

2013年05月17日 13時20分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 前回からずいぶん時間が経ってしまった。
 房総半島では薬師仏信仰が旺んだったらしいと前回書いた。薬師仏が多いということはその眷属でもある十二神将の像も多いということになる。実際に展示物をみると十二神将が3組あった。東明寺、小松寺、密蔵院というお寺のもの。いづれも平安時代につくられた薬師如来立像を守るように作られた鎌倉時代と南北朝時代のものである。
 平安時代の薬師仏の柔和な姿態と対照的な鎌倉・南北朝時代の神将像は、一組の像群としてみるとちょっと不思議な世界である。薬師仏が立像で優美ですっとした立ち姿なのだが、十二神将像の方ははもともと武神として人を威嚇するような攻撃的な姿態なのだがさらに鎌倉時代以降のよりリアルな迫力ある姿が周囲にあると、一層目立つ。その対称がいいのかもしれない。
 十二神将はポーズも持ち物も特に決まりというのはないようだ。なので12×3組のそれぞれのポーズを見ていて飽きることかない。時間があっというまに過ぎてしまった。
 特に南北朝時代の作という密蔵院の神将像は、他の二組に較べても異様だ。神将も仁王像も四天王像も、慶派も院派もどちらかというと上半身に力が入っている。足の筋肉自体も力が入っているが、全体としては腰が低くなく、上半身と下半身がバランスが取れていないというのが、私の昔からの印象だ。しかしこれは膝を曲げ腰を低く落として闘いのポーズとしてはもっともリアルに感じた。



 解説にもあるとおり誇張表現で頭部はとても大きい。だからリアルというのはいいすぎなのかもしれないが、ここまで腰を低く落とした姿勢は私は気にいった。今にも動き出しそうな迫力がある。12体全部が保存されておらず4体は近年の補作ということで展示されていなかった。
 しかし私が気にいったのはもっと別のポーズがあったからだ。このポーズの像、人を威嚇したり闘いのポーズではない。右側の像は左手をかざして遠くをのぞくポーズである。左の像はふと気を抜いて「おやっ」といった表情だ。ともにちょっと惚けた飄逸な感じがする。
 作成した仏師の遊び心を感じないだろうか。仏師というとひたすら仏像に思いをこめた修業的な禁欲的な感じを抱いてしまうが、仏師といえども人。ユーモアを感じた。これがお寺の蔵にしまわれていたり、あるいは法要がないとき、灯明に照らされながらも静かな夜を迎えたとき、薬師仏と十二神将の一息ついた休息の場を想像して一人笑いが出てしまった。
 京や鎌倉といった表の世界ばかりの仏像とはちがって、都から距離がある分、そのような仏像も許されたり、生き残ることが出来たのかもしれない。あるいはこれを拝むという行為の中で息がつまるような禁欲的な信仰の場からふと息を抜いた和む瞬間が求められたのかもしれない。
 私が知らないだけで、このような像はあるいはたくさん作られたのかもしれない。そこら辺の知識は私にはないので、もともこのような像が普遍的なものであるならば、そのいわれなど、教えてもらえればありがたい。

 しかし今回、このような十二神将像に出会えたこと、うれしかった。


(追記)



 アップ後に気付いたことがある。実はこのカード、千葉市美術館で販売していて、私はすっかり密蔵院の十二神将の図だと勘違いしていた。アップしたあとにこのカードを購入したのを思い出し、裏をみたら「重文 十二神将立像 戌神 鎌倉時代13世紀 東京国立博物館蔵」となっている。
 ちゃんと見れば顔の形がまるで違う。これはとても情けない話だ。(もっとも千葉市美術館はこの期間、東博の所蔵品の仏像の販売は紛らわしいから止めて、とはいえない。)ちゃんと見ない私の間違いである。
 どこのお寺にあった十二神将像なのか、東博にいったら是非確認をしてきたいと思う。これが房総半島のお寺に先行してあるということは、ひょっとしたら鎌倉時代のこの像に影響を受けたり、模倣(今の感覚で模造品という意味ではないし、顔の表情はまるで違っている。)なのかもしれない。
 さて、この東博の戌神の方が顔は比べ物にならないくらい凛々しい。キッとした眦・眉・口元などこれはくだけた表情ではない。全身像も見てみたい。他の組になっている神将像も是非見たい。先ほどの密蔵院の像がくだけた姿態にも見えるという私の思いとは違って、戦に臨む顔、人を威圧する顔だ。先の私の思いは変えなくても良さそうだ。



他愛もない話‥性格の差

2013年05月16日 12時08分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は入院したN氏を見舞いに行ったのだが、ちょうど手術中ということであえなかった。病室を覗いても誰もいなくて面食らっていると看護士さんが「手術中で当分は戻らないですよ。明日は面会できます」と教えてくれた。夕食までには帰るといって出てきたので、とりあえず1時間ほどディーリングルームで時間をつぶしてから病院をあとにした。本日も顔を出そうかと思っているが、行けるとしても夕方遅くになりそう。

   

 さて、4月28日に来たインコ。もう少しで3週間となるが、この3週間すっかり振り回された。まず元気がいい。盛んに籠の外に出たがり騒ぐ。そして活発に飛べるようになった。籠から出すとカーテンレールから別のカーテンレールへ同じコースを盛んに飛び回る。またカーテンレールの上部からレースのカーテンを逆さになりながら伝い降りるのも気に入ったあそび方のようだ。ひとしきり遊び回ると私の肩に飛んできてくつろぐ。そして私の首筋や髪の毛に頭を摺り寄せて甘えるようにあそぶ。
 私が、パソコンをしているとマウスとキーボードにやきもちを焼くようで盛んにマウスをつつき、さらにキーボードの私の指の間に体をもぐりこませようとする。仕事をさせないようにしているようにみえる。そのうちにおとなしくなって肩の上で眠り始める。そこでようやく籠に戻すことが出来る。
 体もひと回り大きくなり、尻尾もずいぶんと伸びた。お湯でふやかした餌よりも硬いムキエサを好むようになり、本のすこしだけだがカラツキの餌も手から食べるようになった。パソコン台だけでなく、食卓の上でも私の指と戯れることがすっかり気に入ったようだ。
 しかしトイレットペーパーの芯やプラスチックの筒は相変わらず好みで、疲れて籠に入れられると上半身をもぐりこませてじっとしている。目が覚めると、元気を回復するとそれを持ち上げたり、上に飛び乗ったり、格闘したりと忙しくなる。一日に2~3回は籠から出してやらないと籠の中で大騒ぎとなる。それでも無視をすると芯や筒なかに頭を突っ込んでいじけてしまう。静かな時と、かまって欲しい時の騒がしさ、元気のよさとの落差が大きい。
 従来からいるインコはいたって人間嫌いで人に慣れない。極めて臆病である。ちょっとした物音でも籠の中でバタバタと騒ぐ。一日籠から出ようとすらしないでじっとしている。
 この対照的な二羽、ひとつの籠に入れるのはなかなか難しそうだ。前の鳥と新しく来た鳥とは2歳の差があるが、前からの鳥は新しく来た鳥が籠の上に止まるとおびえて騒ぐ。どうもうまくいきそうもない。ただしベランダと室内で盛んに鳴き交わす。しかし近づけると二羽ともじっと固まってしまう。新しい方が余裕がありそうだが。
 そして本日からあとから来たインコも籠ごとベランダに出すことにした。以前からのインコは空調の室外機の上。新しいインコは洗濯物を干す吊り具に架けた。ともに日陰で風通しもいい。距離は3メートルほど。この距離で慣れてくれることを期待している。

「河鍋暁斎の能・狂言画」展を見る

2013年05月15日 22時59分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は午後から三井記念美術館で開催中の「河鍋暁斎の能・狂言画」展を見てきた。河鍋暁斎については骸骨のや幽霊・おばけの絵の印象ばかりが先にたってしまう。しかし暁斎という人、一筋縄ではいかないとんでもない大きな巨人のような画家であるらしい。らしい、というのは私もその全体像を理解していないからだ。どうも暁斎の世界に足を踏み入れると、その豊穣な世界で溺れてしまうかもしれない、足を洗うことが出来なくなるような画家であるらしい。
 河鍋暁斎は、7歳から9歳まで歌川国芳に浮世絵を学び、10歳から狩野派の絵を学んだという。かなりの早熟で才能を早くから発揮していたたらしい。真実かどうかはわからないが、9歳で神田川の洪水でながれついた生首を写生したという逸話があるという。写生ということに対する暁斎の執着を言い伝えた逸話のようだ。
 狩野派の修行時代に能・狂言を本腰を入れて学んだという暁斎の能・狂言を題材にした絵は、幽霊やおばけの絵の世界とはうって変わった「まじめ」な世界だ。狩野派が能・狂言を描くのは、お家芸でもある。
 今回は図録を買わなかったが、舞台での役者の仕草が実に生き生きとした写実である。しかも大きなダブダブの能衣装の下にあると思われる人体の形までもが想像できるようにリアルな姿態である。それは下絵の線描をみるとさらに納得する。人間の体の線を髣髴とされるような線の美しさがある。昔見た自由に動き回る骸骨が衣装の下に隠れているかのようだ。演者や演目の緊張感も伝わってくる。
 そしてもうひとつ感じたことは、これらの絵と、あの骸骨やおばけの絵はけっして別々のものではなく、浮世絵的な世界と、狩野派の世界は暁斎の絵の中では一体のものとなっていると言うことが了解される。統一された世界なのだということがわかる。
 舞台の一場面、一瞬を切り取っているのだが、演者の緊張、視線の方向が伝わる。そして、次の動作の方向なども想像することが出来る。
 葛飾北斎が北斎漫画で世の中のあらゆるものを貪欲に写生つくそうとしたのと同じくらい、あるいはそれ以上の執念を持ってこの世のすべて、すべての人間の姿態を描きつくそうとしたように見受けられる。能・狂言の所作を描きつくそうとしかのような画帳など実に丁寧に仕上げてある。ヨーロッパに百科全書派とか博物学とかの膨大な事物を集成しようとした動きがあったが、まさに日本の江戸時代というのは絵も書物もそのような時代だったのかもしれない。事物・社会・自然に対する飽くことのない人間の関心の深さを思い出させてくれる。
 原宿の太田記念美術館での「北斎と暁斎 奇想の漫画」展もやはり見に行かねばならないようだ。
 しかしあまりのめりこんで足が抜けなくならないように用心して、暁斎の世界を覗かなければならない。同時にすこしはキチンと勉強しないと何も語ることが出来ないのも事実だと思う。このエネルギーにはキチンと敬意を表さないと大やけどを負いそうである。
 絵の迫力にたじろいでしまった。取り合えず今日のところはここまでにしないといけない。

ウィンドブレーカー

2013年05月15日 11時45分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 この時期、朝・夜と昼間の温度差が大きく、着る物に悩むことが多い。夜遅く帰る時や、朝早く出るときは長袖が欲しくなる時がある。昼間は半袖がいい。そしてズボンも昼間は半ズボンが欲しいくらいだ。
 しかし一番困るのは、クーラーだ。クールビズということで設定温度も高くなってきたし、特にこの二年間、震災以降は節電ということでクーラーの稼動も弱くなっている。ところが客商売の店、特に飲食店は難しい。ランチタイム時、厨房の熱もあり従業員は汗をかいて走るまわっている。客のほうも食べると汗をかきやすくなる。クーラーの設定温度やクールビズの意義についてもアルバイトの高齢の女性たちの多くは極めて無頓着である。客もまた、暑い・寒いといいたいことをいう。オフィスでの我慢がランチタイムの店で爆発するかのようだ。しかも不思議なことに背広を着たまま汗を拭いているサラリーマンが多い。着脱な面倒なのだろうか。単に融通が利かないだけなのだろうか。そしてだいたいクーラーを強くする事を要求する。すると従業員は待ってたとばかりにクーラーを強くする。彼女たちにしてみれば動き回ることで暑さがこたえているのだろう。でもその措置にいやな顔をする客も多い。
 私はあの空調やクーラーの風が極めて嫌いなのだが、その風が当たる場所に案内するのがサービスだと勘違いしている従業員が多い。私が「風が来て嫌だから場所を変えてくれ」というと不思議な顔をされることが多い。弱いとはいえオフィスの空調でつらい思いをしている女性にとっても、せめてランチタイムくらいは空調の風が来ないところを望む方も多いようだが、この意識の落差はなかなか埋りそうもない。
 この時期いつも軽くて小さくたためるウィンドブレーカーをリュックに入れて持ち歩いている。女性たちが羽織るものを持ち歩くように。私は夏の間中、このウィンドブレーカーとタオル2枚が手離せない。ハンドタオルやハンカチでは間に合わないので、梅雨が明ける前からオジサンらしく堂々とタオルで頭から滴り落ちる汗を拭っている。そして店に入れば、汗がひいたらすぐに長袖のウィンドブレーカーを着る。なんとも無駄なことをしているのかと思う。
 高層ビル街のビル風は冬場はつらいが、30度位ならば夏場はうれしい。その程度ならば照り返しはつらいが日差しの陰を歩けば何とかなる。それでも35度越えなどというのは殺人的な暑さである。こんな中を60歳を越えてわざわざ歩いているなんていうのは、我ながらあきれる。しかし65歳を越えてまだまだ仕事をしてこのビルの間を歩きまわっている人、歩き回らざるを得ない人に較べたら、私などは酔狂の部類だろう。

 本日はこれから三井記念美術館の「川鍋暁斎の能・狂言画」を行く予定。帰りに入院した友人のN氏を見舞いに行くつもり。

何で今ごろ、今さら‥情けない

2013年05月14日 22時42分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の講座は募集の時は「歴史の中の日中関係」と題していたが、現在の状況も踏まえたのであろう配布された資料では「歴史の中の日・中・韓関係」となっていた。このほうがよりよい講座となるであろうこと十分理解できる。
 講座の案内・コンセプトは以下の資料のとおり。私は時事問題は避けながら講座を択んできたが、いろいろな意見を聞くことも大切と応募した。



 はっきりいって、今の中国の過去への回帰を匂わせる習体制といい、韓国の保守勢力基盤の朴大統領といい、北朝鮮の金体制といい、そして日本の安倍政権といい、極めて不幸な政治体制がそろってしまったといえるのではないだろうか。
 極めてきびしい舵取りが求められる難しい状況だからこそ、双方の政治的なトップは冷静で客観的に、そして歴史を正しく把握しながら判断をし続けなければならないはずだ。もともとは石原某のトンでも発言・判断が発端になっているが、本当は中国の経済的な発展と、韓国の政治経済体制の大きな飛躍が背景となっている。18世紀以降の中・韓・日の不幸な関係(これは当然明治維新以降の日本の近代化が問われなければならないのだが‥)をキチンと把握しない限り、「未来志向」などあり得ないはずだ。

 最近のこの4カ国のトップの発言はさまざまに物議を醸している。(橋下某のまたまたトンでも発言が飛び出した。一体日本の政治はどこまで節操をなくしていくのだろう。)
 そんなことを再度整理してみたくて受講を決意した。17世紀の後半以降の歴史を振り返ることは大切だ。講座の内容はなかなか刺激的である。私には当然のことも話ではあったが、同時に新しい知見もあった。総じて自分でどう咀嚼するかなのだが、勉強になる講座のようだ。当然、講師の論にすべて賛成にもならないと思う。例えば琉球・沖縄についての言及には物足りなさは感ずる。維新後沖縄をその版図に組み込んだ経緯については問題意識は匂わせなかったことなど。しかし、違和感ばかりを先に述べでもしょうがない。あと2回、キチンと聴きに行こうと思った。

 状況を反映して教室は満員の盛況。ただし私よりも上の世代もかなり多く、平均年齢は私よりも上だと思う。すこし残念ではある。

「シベリウスバイオリン作品集2」から

2013年05月13日 22時00分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日に続いて「シベリウスバイオリン作品集2」を聴いている。「作品集1」におさめられている作品がいづれも50歳から53歳の頃の作品だが、この「作品集2」におさめられているものは57歳から64歳の頃の作曲をつづけた最後の頃の作品群に属するものだ。「作品集1」の古典的な雰囲気に較べてとても現代的な曲に感ずる。そしてとても内省的なおもむきである。シベリウスファンはきっとこの「作品集2」の方が好むのではないだろうか。
 このうち「幸せな音楽家」はバイオリンの独奏曲。単独の曲なのだが、わずか2分で突如として終わる不思議な曲。
 「5つの田園風舞曲」(作品106)、「4つの小品」(作品115)、「3つの小品」(作品116)がシベリウスの作品らしい旋律と和声が特徴。5つ、4つ、3つの曲が独立しているようで不思議に緊密な関係を持つひとつの構成体となっているように思う。
 1957年の死までの最晩年の約30年間は作曲することなくフィンランドの自然の中の棲み家で、自然と対話しながら過ごした作家である。作品115と作品116は最後の作品ともいえるものであるらしい。作品115の第3曲「ロマンティックなロンド」は忘れられない曲になりそうだ。この二つの作品とピアノ曲の「5つのスケッチ」(作品114)とあわせて聞くと最晩年のシベリウスと対話が出来るのかもしれない。
 なお、シベリウス自身のつけた最後の作品番号117は「バイオリンと弦楽オーケストラのための組曲」ということらしい。最後がバイオリンの曲であり、一連の作品がピアノ・バイオリンの曲であるのは作曲家の志向として興味深いものがある。シベリウスの本質がにじんでいるような気がする。
 「愛の情景」(「スカラムーシュ」より、1925年)はシベリウス60歳の作品だが、この歳でこのように甘い愛の賛歌を書くとは、なかなか、すっかり隠遁に近い生活を送っている人の作品とは思えないつややかな曲である。

 さて演奏家について再度。得てしてバイオリンが女性で、ピアノが男性の場合、ピアノの音が勝ってしまって肝腎のバイオリンの音色が小さく聴こえてしまい、バランスがとても難しい。しかしこの作品集の場合、いづれもバイオリンとピアノのバランスがとてもいい。とても好感のもてる演奏だと感じた。

               

本日の贅沢

2013年05月13日 18時52分50秒 | 料理関連&お酒
 日本酒がなくなったので、今回は焼酎。いつもの芋焼酎はチョッと御休みで、奄美の黒糖焼酎を購入してみた。

   

 「奄美の結」という名で、奄美大島酒造株式会社製となっている。「浜千鳥の詩」「高倉」などがもともとの製品名のようだ。この「奄美の結」、会社のホームページでは商品一覧に入っていないが、「奄美の結」で検索すると確かにこの会社の製品として販売されている。
 ネットで「黒糖焼酎」を検索すると、
「明治時代~昭和27年 奄美の島々では焼酎は味噌や醤油同様に家庭で造るものであり、販売のための製造はされていませんでした。明治の新政府により酒造の免許制が始まり製造に届け出と免許料が必要となってからも、様々な原料を用い自家用焼酎が造られていたと言われています。
 戦後、奄美群島はアメリカ軍政下におかれ、本土と切り離され流通が制限されていた中、不足する米の代わりに売りたくても売り先の無かった黒糖が焼酎造りに多く使用されるようになり、現在の奄美黒糖焼酎につながりました。
昭和28年~ 奄美群島が日本に復帰するにあたり、酒税法の特例通達で米こうじを使用することを条件に、奄美群島だけに黒糖を使った焼酎製造が認められました。現在では、奄美群島の特産品として多くの皆様に愛飲されています。」(鹿児島県酒造組合奄美支部・奄美大島酒造協同組合の公式ブログ)と記載されている。黒糖を原料とした焼酎の歴史新しく、しかも奄美の厳しい歴史の産物のようだ。
 さらに1953(S28)年の米国から日本への「復帰」に際して、黒糖が原料では種税法上の洋酒扱いになるところを米麹を使うということで特例として焼酎扱いになったらしい。
 琉球と日本の関係の歴史が色濃く反映しているお酒である。そして奄美大島、徳之島、喜界島、与論島、沖永良部島の5島だけでつくられているものらしい。飲み方はストレート、お湯割り、濃い目の水割りがお勧めのようだ。
 私は「朝日」「里の曙」「れんと」の三種類しかこれまで飲んだことがない。あるチェーン店の炭火焼肉の店で「朝日」「里の曙」が必ず置いてある。また「れんと」は最近良く見かけるが1度しか飲んだことはない。「奄美」「珊瑚」「有泉」はどこかの酒屋で実物を見たことがあるが、飲んだことはない。「朝日」「里の曙」は確かにかすかな黒糖の甘味を感じるような気がするが、店の人の話だと、「黒糖を使っているから甘い」ということではないそうだ。しかし私ばとてもおいしいと思っている。また黒糖の甘味があると勝手に思っている。それはそれでいいのではないか。
 この購入したお酒、これまで飲んだ黒糖焼酎とはちょっと味が違うような気もする。それほど澄んだ味わいはしない。それがいいのだが。いい意味で少し野暮ったい。黒糖焼酎はいつも飲んでいる芋焼酎よりもコクがある。焼酎はこのように癖のあるものが私は好きだ。

「シベリウスバイオリン作品集1」を聴く

2013年05月12日 21時53分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 久しぶりにCDを聴いている。9日に購入したシベリウスのバイオリン作品集の第1巻。どれも小品でバイオリンの佳品だと思うが、私は作品79の「6つの小品」が気に入っている。6曲それぞれの変化も楽しい。バイオリンとピアノのバランスもいい。バイオリン曲といいながらピアノの響きも楽しめるようになっている。作品78と作品80「4つの小品」は少々甘すぎる曲が並ぶが、決して飽きることはない。作品81「5つの小品」、作品79「6つの小品」はきりっと締まった感じとなる。
 シベリウスは大編成の交響曲やバイオリン協奏曲ばかりが取り上げられるし、CDもそれらばかりが店頭に並べられている。しかし先に取り上げたピアノ曲も含めこのような独奏曲・室内楽曲も大曲にひけをとらずすばらしい。このような曲にめぐり合えたこと、大変うれしい。
 特に弦楽器、特にバイオリンの響きは美しい。ヴィルトーゾ的な曲も、メロディーをたっぷり聴かせる曲も、さまざまな技法が駆使されていてしかも十分に楽器を響かせることを最大限追及している。

 シベリウスの曲というのは、聴いて心が高揚するというよりは、自省的になるような曲だ。気持ちが静かに落ち着いてくる。その点からは極めて私の嗜好にあっている。
 演奏もまた気負うことなく淡々と進んでいく。これは技量をとても要求する演奏だと思う。

 演奏者はバイオリンは佐藤まどか、ピアノは渡邉規久雄。
 佐藤まどかはシベリウス国債コンクール3位という経歴や東京藝術大学大学院でシベリウスの研究で博士号取得、日本シベリウス協会理事ということからもシベリウスの曲の普及や研究・掘り起こしに活躍されていることは十分察することが出来る。
 渡邉規久雄は私もずっと聴いているシベリウスのピアノ全曲録音を続けていて現在3枚のCDが出ている。父親が指揮者の渡邉暁雄。世界で始めてシベリウスの交響曲の全曲録音を行い、日本シベリウス協会の初代会長であったらしい。私には日本フィルの指揮者として、日フィルの「労使紛争」の時に日フィルの応援者として尽力されたこと、記憶している。渡邊暁雄の母、規矩雄の祖母がフィンランド出身の女性であったことが父子2代でシベリウスについての大きな仕事をされた・されているきっかけであろうが、きっかけを大きな豊かなものにするのは大変な努力と熱意を父子ともども発揮されたのであろう。おかげで良い演奏を聴くことが出来ている。
 このCDの演奏、バイオリンとピアノの掛け合いは作品としてもバランスの良さがあるものの、演奏自体のバランスもとても好ましいものに聴こえる。バイオリンの淡々と聴こえる演奏を支えるのは確かな技量とピアノとの掛け合いの良さだと感じている。

 当分はこの2巻の作品集を楽しむことが出来そうだ。同時にシベリウスから当面離れられそうもない。あすは作品集2を聴くことにしよう。

         


横浜での句会提出句

2013年05月11日 22時40分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
横浜での5月の句会提出句
★メーデーやラピスラズリの探検船
→メーデーやラビスラズリの隊商路
★団欒の十二神将風薫る
→団欒の十二神将庫裏五月
★現実はいつも曖昧春満月
→「現実はいつも曖昧」夏の月

 本日の提出句はかなり冒険した句ばかり提出した。だから思い込みの激しい句ばかりで人の理解を自ら拒絶したような感じが自分でもしていた。
 それでも3句ともに複数の方から取ってもらえた。望外の喜びと感じた。
 1句目、メーデーの明るい日差しと、港に面した神奈川のメーデー会場のイメージからラピスラズリの青色を連想して作った句。たまたま会場に行く途中にトルコ雑貨の店が新しく開店していたので、ラピスラズリを思い浮かべる契機となった。ラピスラズリと探検船の取り合わせは無理があることに提出後気付いた。これは陸のシルクロードの連想から「隊商路」と変えてみることにした。メーデーもラピスラズリもすっかり極東の日本に定着した。メーデーはむろんのこと、ラピスラズリは日本画の岩絵の具の高価な材料として定着している。
 2句目、千葉美術館での仏像の展示で、十二神将のひとつが手をかざして遠くを見つめる姿に造形してありとても親しみを感じた。もふと和むような像を仏師も作ってみたかったのかなと感じて、いかめしい十二神将も人の眼に触れないところではひょっとして和んでいる時間を持っているのかなと想像して作ってみた。評では「風薫る」では外のイメージなので、句意にそぐわないのではないかと指摘された。そのとおりなので、庫裏という参拝者からは隔絶されても寺の家族の団欒の空間に場面を変えてみた。
 3句目、10年前に所属した俳句結社ではこのような句はまったく排除されていたのだが、今の結社では数多くこのような句も取り上げられる。現在近代美術館で開催されているフランシス・ベーコンの言葉からの句なのだが、よくありがちな言葉なので引用であることを示すため「」をつけてみた。さらに「曖昧」と「春満月」ではイメージが重なるといわれた。これもそのとおりだと思い、逆にくっきりとした「夏の月」に変えてみた。あるいは「冬満月」の方がいいのかもしれないが、季節があまりにあわないのでこれはやめた。

 句会参加者の皆さんの評、とても参考になりありがたかった。



シベリウスバイオリン作品集1&2を購入

2013年05月11日 12時14分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         


 昨日衝動買いのように購入してしまった。ずっと探していたものをたまたまレコード店で見つけてしまった。

 シベリウスのバイオリン作品集の第1巻と第2巻。バイオリンは佐藤まどか、ピアノは渡邉規久雄。佐藤まどかはこの間シベリウスの室内楽全曲演奏会のおり聴くことの出来たバイオリニスト。確かな技量だと思う。渡邉規久雄はシベリウスのピアノ曲全曲録音の最中。第3巻まで出ていていづれも購入した。とてもすばらしい演奏である。
 おそらくこのシリーズも満足のいくものと思い購入した。まだ聴いていない。感想はじっくり聴いてからアップする予定。