昨日から半袖で出歩くようにした。本当はもう少し前からでもよかったのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。もう少し前から半袖のシャツに薄手の背広や上着を羽織ってもよかった。
長袖から半袖になるととても二の腕が寒く感ずる。ジョギングの時はもう大分前から長袖のシャツを腕まくりしているのだが、普段外に出るときに躊躇してしまう。ごく薄く軽いウィンドブレーカーをリュックの底にしまって持ち歩いているのだから、帰宅が遅くなったり、夕刻に気温が下がったときことを心配しても意味はないのはわかっている。そして二の腕のこの寒いという感覚は、一日か二日ですぐに慣れてしまうのはわかっている。だが、なかなか思い切りができない。
しかし慣れてしまえば実に爽快だ。腕が軽くなった気持ちだ。半袖の口に当たる風が実に心地よい。なんでもっと早く半袖にしなかったのかと今度は逆に悔やんでしまう。人の感覚は当てにならないとつくづく感ずる。
本日などは、夏日となり、初夏の陽射しが強かった。日中にいるともあっとした感じに暑かった。何故か真夏の照り返しの中を歩いているような気分になった。実はこの感じが私は好きだ。私は真冬が真夏か、両極端の気温・気候が好きなのだ。
さらにどちらかといえば、この真夏の照り返しの中に身を置くのがもっとも好きなときかもしれない。特に夏の山の森林限界を超えて岩場の登りで汗を垂らしながらかんかん照りの中を歩くのがうれしい。街の中でアスファルトが融けるような中を歩くのもうれしい。ほとんどの人が外出を控え、熱中症におびえるような時に平気で歩き回る。さらにクーラーがとても嫌いだ。
いつからこんなことになったのか。あまり記憶ははっきりしないが、30歳になる直前にジョギングと節食で大幅な減量をしたとき以来のことのように思われる。走った後にも暑さで汗がアスファルトにしたたり落ちるのを心地よく感じた。しかも同時に、冬の寒さも好きになった。長野県の北方のある温泉で親族とともに年末年始を過ごしたとき、氷点下で飛ばされそうな激しい寒風のなか信濃川の土手を10キロほど走ったのがとても心地よかったことを覚えている。ともに生まれて初めての感覚であった。
昨年からのジョギングの再開でこの記憶がより鮮明によみがえってきた。昨年の夏も今年の冬の寒さも楽しく過ごすことが出来た。
しかし不思議なことに、秋の終わりから迫ってくる寒さ、そして春、梅の頃の気温の状態があまり好みではない。何故か寒さを強く意識してしまう。気温の変化に体が馴染むのが遅くなっているのかもしれない。歳のために。やはり確実に体は老化しているのであろう。さびしい限りだ。
長袖から半袖になるととても二の腕が寒く感ずる。ジョギングの時はもう大分前から長袖のシャツを腕まくりしているのだが、普段外に出るときに躊躇してしまう。ごく薄く軽いウィンドブレーカーをリュックの底にしまって持ち歩いているのだから、帰宅が遅くなったり、夕刻に気温が下がったときことを心配しても意味はないのはわかっている。そして二の腕のこの寒いという感覚は、一日か二日ですぐに慣れてしまうのはわかっている。だが、なかなか思い切りができない。
しかし慣れてしまえば実に爽快だ。腕が軽くなった気持ちだ。半袖の口に当たる風が実に心地よい。なんでもっと早く半袖にしなかったのかと今度は逆に悔やんでしまう。人の感覚は当てにならないとつくづく感ずる。
本日などは、夏日となり、初夏の陽射しが強かった。日中にいるともあっとした感じに暑かった。何故か真夏の照り返しの中を歩いているような気分になった。実はこの感じが私は好きだ。私は真冬が真夏か、両極端の気温・気候が好きなのだ。
さらにどちらかといえば、この真夏の照り返しの中に身を置くのがもっとも好きなときかもしれない。特に夏の山の森林限界を超えて岩場の登りで汗を垂らしながらかんかん照りの中を歩くのがうれしい。街の中でアスファルトが融けるような中を歩くのもうれしい。ほとんどの人が外出を控え、熱中症におびえるような時に平気で歩き回る。さらにクーラーがとても嫌いだ。
いつからこんなことになったのか。あまり記憶ははっきりしないが、30歳になる直前にジョギングと節食で大幅な減量をしたとき以来のことのように思われる。走った後にも暑さで汗がアスファルトにしたたり落ちるのを心地よく感じた。しかも同時に、冬の寒さも好きになった。長野県の北方のある温泉で親族とともに年末年始を過ごしたとき、氷点下で飛ばされそうな激しい寒風のなか信濃川の土手を10キロほど走ったのがとても心地よかったことを覚えている。ともに生まれて初めての感覚であった。
昨年からのジョギングの再開でこの記憶がより鮮明によみがえってきた。昨年の夏も今年の冬の寒さも楽しく過ごすことが出来た。
しかし不思議なことに、秋の終わりから迫ってくる寒さ、そして春、梅の頃の気温の状態があまり好みではない。何故か寒さを強く意識してしまう。気温の変化に体が馴染むのが遅くなっているのかもしれない。歳のために。やはり確実に体は老化しているのであろう。さびしい限りだ。