Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「バルテュス、危険な冒険主義者」から

2018年03月19日 13時34分44秒 | 読書
 いつものように覚書として、「幻想の彼方へ」(澁澤龍彦)所収の「バルテュス、危険な冒険主義者」から。

「「近代絵画は、意識の内部の世界との関連においてしか、自然を描こうとはしなかった」とアンドレ・ブルトンが延べているが、この意識の内部の世界こそ、バルテュスのほとんどすべての作品の基礎に横たわっているものであろう。それは一言をもってすれば、何やら性的な匂いのする、苛立たしい、熱っぽい、陰鬱な、幼年期から青年期にいたる過渡期のオブセッション(強迫観念)である。このオブセッションが、バルテュスの描く平凡な、ごくありふれた日常的世界の現実にも、常に微妙に反映しているのである。エロティシズムというにはあまりにも未熟な、いかも作者の周到な配慮によって、秘密のヴェールにかくされ、暗示するにとどめられた、あてどのない思春期の性の衝動のごときものが、バルテュスの奇妙な世界にはみちみちている。」

「バルテュスの世界を特徴づける顕著な傾向は、その描かれた人物たちの姿態に見られる、運動間の束の間の欠如であろう。彼らはいずれも、あたかも活人画の人物のように、一瞬、運動を停止して凝固したかのような、不自然な宙ぶらりんの状態に釘づけにされている。しかも、この状態は永遠につづくとは思われず、やがて数秒後ないし数分後には、彼らは再び運動を開始するであろうことを確実に予感させる。つまり、描かれた世界はあくまで一時的な、休止の状態、猶予の状態なのだ。これが、バルテュスの作品の世界に、あの何ともいえない不安定の感覚、あるいはまた、取りつく島の無い、奇妙によそよそしい、一種の疎外の感覚を与える、主要な要因でもあろうかと思われる。」

「もともと彼は温和な伝統主義者なのであり、強いてシュルレアリスム風の奇矯な絵を彼から期待するのは、期待する方が無理というものだろう。」

「バルテュスのダンディズムは、自分の絵に主観的情緒をなるべき排除し、できるだけ非個性的な絵画をつくる、ということだったようだ。近代絵画において彼をはげしく嫌悪させるものは、消しようにも消しがたく、つねに立ち現れる個性の刻印だった。」

「(「サン・タンドレ商店通り」という作品)この人気のない、ブラインドを下ろし鎧扉を締め切った、日曜日の商店街の閑散とした雰囲気には、妙に物悲しい情緒がただよっていて、判じ物のように謎めいた登場人物たちの挙動にも、孤独と不安の影が色濃くし滲み出ていることに、たぶん、読者も気づかれたことであろう。カフカの文学を別として、現代の疎外感というものをこれほど見事に形象化した作品を、私はついぞしらないのである。」

「彼にはどこか危険な伝統主義狩といった面影がある。」



久しぶりにたくさん歩いてみた

2018年03月18日 22時45分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近は生活にゆとりがなくなり、他の方のブログを覗くゆとりもなく、自分のブログに書き込むのが精いっぱいの生活が続いている。何とか来月には気持ちのゆとりと取り戻したいと思っているが、なかなかそうもいかないかもしれない。退職して年度末の慌ただしさを味わうとは考えてもいなかった。

 本日は昨日、一昨日と横浜駅までの往復程度のウォーキングしかできなかったので、少し余計に歩いてみた。二日もブランクがあると途端に筋肉が文句を言うようだ。それでもゆっくりとかなり遠回りをして横浜駅から帰宅した。
 あと1時間したらいつものとおり夜のウォーキングに出かけてみるつもりである。

 明日は朝早くから退職者会の幹事会で出かける予定。帰りは夜遅くなる。一日慌ただしく駆けずり回る日である。


読み始めた本「幻想の彼方へ」(澁澤龍彦)

2018年03月18日 20時12分09秒 | 読書
 本日から読み始めた本は、「幻想の彼方へ」(澁澤龍彦、河出文庫)。1988(S63)年版なのでかなり古い。昨年だと思うが古書店で手に入れていた。ポール・デルヴォー、バルテュス、マグリット、キリコ、エルンスト、ルドン、パウル・クレーなどシュルレアリスムに言及したエッセイ集である。
 澁澤龍彦の評論が読めるようになったのは、ここ2~3年くらいであろうか。以前は難し過ぎてよく理解できなかった。今も理解できているとは思えないが、展開がとても面白い。もっと若い時から親しんでおけばよかったと反省している。もっとも若い頃には理解できていなかった。まったく歯が立たないとあきらめていた。


慌ただしいのが悲しい

2018年03月18日 12時02分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から明日の退職者会の幹事会で発送する予定のチラシの原稿を作成。イベントの参加募集チラシなので、字を大きく、見やすいレイアウトでA4。
 このようなチラシはできればカラーがいいのだが、謄写印刷の輪転機で1200枚印刷するのでモノクロなのがさびしい。ただし最近の謄写印刷はグラデーションがきちんと反映するので、表現の幅は広がっている。

 一昨日、昨日とウォーキングはごくごく少なかったので、本日は少しは多めに歩きたいものだが、果たしてできるだろうか。
 昨日はようやく「『快楽の園』を読む」を読了。ずいぶん時間がかかってしまった。次の本に移りたいのだが、年度末でいろいろと慌ただし過ぎるのが悲しい。

読了「『快楽の園』を読む」

2018年03月17日 23時53分47秒 | 読書




 「『快楽の園』を読む」(神原正明、講談社学術文庫)を読了。というよりも目をとおした。いつものとおり覚書風に。
 著者は文庫版へのあとがきで次のように記している。
 「(私の研究動向としては)「快楽の園」から引き出されるボスを含む同時代の文化構造にある。‥1500年前後の中世末期からルネサンスへと移行する西洋の世界観を丸ごと結晶させた百科事典」という文章を見て、私はこの本を購入した。
 私の頭ではどうも「西洋の世界観を丸ごと結晶」化されているのは理解できなかった。
 やはり「結びにかえて」で著者は「「快楽の園」は無数のシンボルが織りなす曼荼羅のように、聖と俗の入りまじった夢の世界を演出している。ことに中央パネルに描かれた世界は、秩序雨正しく配置されて高邁な思想を隠しこんでいるようにも見えるし、全く逆にセクショナル・シンボルに彩られ、通俗的な駄洒落に終始する小噺集でもあるようだ。」
 「まだまだ分からないことが多過ぎるし、何とか図像の意味を知りたいという私たちの期待は、いつも裏切られたままである。‥できる限り客観性のある説を紹介したつもりであるが、この絵が制作されて以降、数百年の叡智を結集しても、うまく辻褄は合ってくれない。」
 私の基本的な疑問はいくら「客観性のある説を紹介し」ても、中世の全体像も、結晶化されたエッセンスも、そしてボスの描きたかったことも分からないだろうということである。著者の持つ中世の像を結ぶには、客観的な解説を幾ら並べても真実に、そして作者の求める像にはたどり着かないだろうということである。私は研究者でもないが、結局は自分で自分なりの中世の像を作り上げるしかないと専門家に突き放されてしまったようだ。
 私はあまりに求め過ぎたのだろうか。


つらい一週間であった

2018年03月17日 23時07分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく会議が終了。作った資料は訂正もなく役に立った。午後の読書の時間はほとんど取れず、そちらの方でストレスが貯まった。
 これから会議のまとめと宿題をこなしてから、缶酎ハイを飲みながら読書タイム。
 しかし管理組合の業務に振り回された一週間でもあったような気がする。これはつらい。

今月の肩の荷が軽くなる

2018年03月17日 13時57分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の夜の会議の資料作成終了。あとは夕方に人数分コピーして終了。ホッとした。疲労困憊、ではあるが肩の荷が極めて軽くなった気分である。向う1年はまだ月に2回この肩の荷が重くなる日が続く。

 これからコーヒータイム兼ウォーキングタイム。昨日とはうって変わって天気は上々。横浜駅付近の喫茶店で「「快楽の園」を読む」を読了する予定。


「快楽の園」に悪戦苦闘

2018年03月16日 23時11分58秒 | 読書
 資料作りの作業を終了してから、「『快楽の園』を読む-ヒエロニムス・ボスの図像学」(神原正明、講談社学術文庫)を読んでいる。本日ようやく最後まで読み終わりそうである。ずいぶん時間がかかってしまった。
 私の期待した内容とは違って、論理的な推論ではなく、さまざまな解釈のいわれが列挙されている。そのいわれの紹介である。矛盾するものも、あまりに飛躍的過ぎるようなものも、著者の眼につく限り列挙しつくそうとするようだ。
 このヒエロニムス・ボスの描いた作品の図像学的解釈は、未だ未確定でさまざまに解釈されているということの水準が理解できる。日本の現代の言葉でいえば、ダジャレのような当時のさまざまな言語のごろ合わせ的な解釈から、聖書学的な解釈などなど等価に、並べられている。悪く言えば「わたしにとってはこれと思う」という自己主張は後ろに隠れてしまっている。
 もっとも確定していないからこそ、このような書物が存在するのであろう。一筋縄では「わかった」ことにはならないヒエロニムス・ボス、あるいは当時の「絵画」の位相がある。
 時々ウトウトとしてしまうのは、私の理解力の貧困ということで許してもらおう。



再びストーブの出番

2018年03月16日 21時22分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の作業は終了。取りあえず資料の全体の8割方は終了。明日前回の会議の議事録を作成し、本日作った資料の文言の一部訂正を行えば、原本はできる。会議の30分前に人数分コピーすれば出来上がる。
 本日の横浜は霧雨のような細かい雨が降ったり止んだりを繰り返した。14時過ぎにはわずか15分ほどでみるみる空が暗くなり、電気を点けなければ新聞も読めないほどになった。そして降り始めた。いったんは止んだもののふたたび少し降り始めた。そして気温がどんどん下がっているようだ。夕食前からストーブを点けている。
 夜のウォーキングはこの雨では中止。最近かなり歩いているので、足休めにちょうど良い。


頭の中も、パソコン周りも混乱

2018年03月16日 14時33分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は一日明後日の団地の管理組合の会議のための資料作り。年度末なので決算と予算関連であわただしい。パソコンの周りは一年間の資料の山、収集がつかなくなって来た。頭の中も混乱している。ここら辺で一息入れないと、まずいようだ。だんだん愚痴が多くなってきた。ちょいと危険な兆候‥。

 これからウォーキングがてら横浜駅まで行ってみることにした。

 朝から小雨が降ったり止んだり。どうもすっきりしない天気である。そしてこれから夜にかけて寒くなるらしい。


強風の中の「猫の恋」

2018年03月15日 23時14分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昼間に比べて風が強くなってきた。外でうなりを上げている。最大瞬間風速が19メートル近くとなっている。風は南風なので北側の斜面の大きなビルの北側に回り込むと風はほとんど感じない。それを利用して神奈川大学の周囲を夜のウォーキングコースに選んでまわってきた。行き帰りは尾根道から南側の斜面に入るので風をまともに受けてしまったが‥。
 住宅地のなかは、鯉猫の声で喧しい。

★うかれ猫入りゆく闇の動き出す    永野佐和
★鯉猫や世界を敵にまはしても     大木あまり


 明日は昼間は暖かいらしいが、夜になると冷えてくるとのこと。また昼前後に雨が降るらしい。

ビル風そして、眼鏡のレンズ交換の見積り

2018年03月15日 17時10分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の風は、みなとみらい地区ではとても強いビル風となって、歩くのが怖かった。自転車の若いサラリーマン風の男も前に進めなくて、自転車を降りて押していた。
 横浜駅までもどると急に風はおさまったように思えた。しかし気象庁のデータを見ると16時少し前に最大瞬間風速17.3メートルの南風が吹いたことになっていた。強風波浪注意報が出ていた。

 昨日眼鏡店でレンズの交換について相談したところ、片方をプリズム化するならば両方のレンズを取り換えた方がいいということ、また片方のプリズム化は1620円であるとのこと。左右のレンズで合わせて22,680円と云われた。
 想定したよりは安くできそうなので、来週あたり眼科で正式に処方箋を作ってもらい、レンズの交換を依頼してみるつもりである。必要なお金はこれから妻にお願いするしかない。

本日の講座

2018年03月15日 15時17分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
本日の講座は「くらべて楽しむアート鑑賞」の3回目で最終回。講師は中村宏美氏。「新しい絵画の始まり『印象派と近代日本の絵画』」と題して、19世紀の西洋と日本の絵画の共通点と相互の影響と特質についての講義。充分楽しめた。

帰途は歩いて横浜駅に戻ったが、風の強さに困惑。ビル風の中を、身を屈め、頭を手で守りながら歩いた。

雪柳(小米花)

2018年03月14日 23時43分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今年初めて満開の雪柳を見た。私は昔から雪柳が好きである。あの白いたわわな花を見ると春を感じる。梅や早咲きの桜では寒さを感じる。桜では春の盛りを過ぎた感じがつきまとう。晴天の春の白い雲に呼応する雪柳のしなやかな揺れる枝ぶりと白が、年とともに待ち遠しくなる。私が庭のある家に住むことになるならば、まずは雪柳をどこに植えるか悩むと思う。

★こぼれねば花とはなれず雪やなぎ    加藤楸邨
★たえず風やり過ごしをり雪柳      高木晴子
★風を溜め風を生みつつ雪柳       庄司 猛
★雪やなぎ死者に接するあたりかな    萩原久美子


 始めの3句、解説はいらないと思われる。第4句、ユキヤナギはよくサクラの脇に植えてあることが多い。柳田国男が、古くサクラと名のつく地名のところは、死体捨て場だったと述べたという。梶井基次郎は『桜の樹の下には』という小説で「桜の木の下には屍体が埋まっているから美しい」という表現をした。そのサクラの地面にとどかんばかりに桜に先駆けて咲くユキヤナギ、という連想をしたのだが、当たっているだろうか。飛躍しすぎだろうか。

広い横浜市域‥サクラの開花にもズレ

2018年03月14日 20時43分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は昔の職場に出向いた。もうすでに知っている職員は10人もいない。この職場は2年後には新しい庁舎に移転する。私が配属されて10カ月後に新しく建てられた職場なので、敷地も建物も熟知している。基本的にはほとんど変わっていない。訪れた時間が15時くらいだったので、ほとんどの職員は現場作業や現場視察でほとんど知った人には会えなかった。それでも二人ほどの元の同僚と話をしてから、所用を済ませた。懐かしい職場の周囲を1時間ほど散策してから帰宅。
 ポロシャツとメッシュのベストだったが、夕がたになってもかなり暑く、随分汗をかいた。もうすっかり晩春の陽気になったようだ。訪れた区は横浜市の南部に近く、私の住んでいる区よりもサクラの咲くのも数日は早い。そんなことも思い出した。ユキヤナギが満開の庭がいくつもあった。