Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

虹と噴水

2018年03月14日 13時04分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝起きたときから特にたいしたことでもないことに追われて、慌ただしく振り回された。慌ただしい中で、団地の中にある池の水の浄化のために、小さな噴水を動かしている。朝日に照らされた虹色に輝くことに気がついた。池の周りを歩いているとわずか3~5歩の間だけ虹のように輝く場所を見つけた。日が高くなるとなくなるのであろう。初めて気がついた。携帯電話も持っていなかったので、撮影は出来なかったのが残念であった。

 虹も噴水も夏の季語ではある。虹が夏の季語であるのは、夕立のあとに大きな虹が表れやすいということから。そして音のない世界でもある。噴水も涼感を得るための装置だったということから夏の季語とされたのだろう。噴水は一年中動き、それにともなって小さな身近な虹がずっと見られる。この場合の虹は噴水の音とは切り離すことはできない。両者ともに季感とは離れてきている。言葉に張り付いた季節の感情が薄れてきているし、付随する音についても変化している。このふたつにかぎらず季語そのものの意味も時代とともに変化している。強いては俳句そのものも岐路に立っている。

★いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず     山口誓子
★噴水のしぶけり四方に風の街       石田波郷


 2句とも「夏」のイメージがちょっと希薄に思えるものを選んでみた。2句目が夏の印象が希薄というのは無理があるかもしれないが‥。「風」をどのようなものとして感じるかだと思う。


松の芯

2018年03月13日 22時38分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日はまた団地の管理組合の業務をいくつかこなさなくてはいけない。17日の会議のための資料作りも始めないといけないようだ。

 一昨日に訪れた千葉の宿の庭の松も、そしてわが団地の松の翠も美しい。春に伸びる芽は蝋燭にも似ることから「松の芯」と俳句ではいう。また「若緑」「緑立つ」も松の芯のことで季語である。しかし私は日常着かなわい独特の俳句言葉というのは避けたいので、これを使った句をつくっていない。また歳時記でもこのような季語は読むのを避けている。そうはいってもまったく見ないというのも偏屈なので、今回はその禁を破ってみた。

★紙飛行機ふはりと止まり松の芯     桜井眞子
★志いづれも半ば松の芯        和田照海


 第1句、紙飛行機の「ふわり」と松の若々しい緑が呼応して好ましいと感じたが、
 第2句、下の句の前に「なれど」があるつもりで読むのであろう。松の芯の潔さを身に着けたいものである。


「忖度」ということば、好きではないが‥

2018年03月13日 20時50分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどの投稿の誤字・脱字、文章の修正を行って再投稿をしてみた。複数の方からリツィートやいいねボタンを押してもらえてホッとした。
 午後は久しぶりに横浜駅まで歩き、コーヒータイム。ツィッターを見ていたら大切な読書時間が無くなってしまった。

 ツィッターでは財務省の公文書の改竄・捏造問題で喧しい。当たり前である。どう考えても犯罪行為である。まさかこんなことがまかり通っていることが恐ろしい。また処理が行われたこと自体が公務員の端くれであった私には信じられないことである。確かに「間違って廃棄した」という嘘は過去になかったとはいえない。しかし書き換えてしまう、それも決裁印が残ったまま肝心な部分をすべて削除してしまう、という事は前代未聞ではないか。あってはならない。それとも国ではこのことが当然のように行われていたのであろうか。
 むかし中国では歴史書を記す人は命がけで文書を守り、そして記載してきた、という。その古代中国の水準にも日本の現代の行政は達していないということが世界中に発信されたのである。
 「忖度した人」「忖度された人」ではなく、「忖度させた人」「忖度の構造の頂点に立つ人」が責任を取らないではことの処理のスタートはない。「日本では政治責任がいつも曖昧でいつの間にか幕引きされる」という「悪しき伝統」はもう繰り返してほしくない。



公文書の改竄・捏造

2018年03月13日 13時22分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 財務省の公文書の改竄・捏造問題が政権を揺るがしている。およそあってはならないことがまかり通っているこの5年間の政権のひどさの行きついた先だと私には思われる。
 感想をいくつか。

 まずは、当初の決裁文書に詳細に綴られた詳細さ、特例的な措置の理由の記録は、内部告発的ですらあると感じた。
 通常は「現行の政令・規則・基準・要綱・要領」などの該当項目を列挙して、どれに該当するか記すだけである。あとは計算式を示して、「以上の措置を講じます」として、決済に回す。
 特例的な措置を取らざるを得ない場合でも、「議員や関係団体」との詳細な交渉経過は普通は記さない。「申請者の意向、地元の要望を鑑み」「○○課との協議の結果」として結論だけを記す。経過を記すとしたら、「申請者の要望の概要(それも該当の項目表示のみ)とそれを受けた日」、「要望について○○課との協議項目と協議した日」程度である。
 これほどまでに詳細に記載しているということは、如何にその要望が取り扱い規定などから外れたものであったか、そして圧力が如何に強く理不尽であったかを、どうしても記録に残したかったという担当者の思いが詰まっていると、私には思えた。行政の公平・公正へが大きく圧力でゆがめられたことに対する怒りと、圧力の存在を匂わせたかったのではないか。
 そしてそれが決裁文書として回ってきた段階で、近畿財務局の上司が決裁印を押しているということは、局内でもその理不尽な圧力が共通認識であったことが滲んでいる。それは外部圧力だけでなく政権中枢や省の中枢からという内部からの圧力をも窺わせる。担当者も局内も「こんな特例措置をせざるを得なかったのは、われわれが法や基準を捻じ曲げたのではない」という抵抗の叫びにも私には思える。

 そして財務大臣の開き直りと醜怪さもまた際立つ。企業であれ、組織であれ、自らの名が具体的に俎上に上っている犯罪行為の調査チームは、その名が載っている人を外すのが公平さ、公正さの担保の必要条件である。
 国会に提出された公文書が改竄・捏造された疑いがあるならば、それを調査し問題点を正し、再発を防止するのは国会議員の仕事である。あるいは国会の承認を受けた第三者のチームが行わなければならない。これが社会常識ではないか。

 さらに「忖度する奴より忖度された方が悪い」などというツィッターも見た。自分の言葉なのか、他者からの引用なのか判然としない。しかしことは冗談ではない、行政がゆがめられたのである。「忖度」するように仕向けた強引で理不尽な圧力というものが背後に控えているから「忖度」するのである。
 むろん議員や政治家などからの問い合わせは、公平・公正の観点から聞くべき意見も多くある。行政担当者が見落としていた視点も提示してくれることは否定しない。耳を傾けるべき意見ならば勉強になる。しかしたんなる横やり、理不尽との葛藤が如何に公平・公正を傷をつけてきたか、徒労ともいえる労力が費やされている。強引な押しの強さが「政治力」と勘違いしている議員が多いのも現実である。
 だが、権力を持つものは常にそのような忖度される側に立たされる。そして忖度されてしまうことがある。政権担当者でもない政治家、あるいは政権とおなじ党派に属していることを利用する者が、官僚や公務員に理不尽な圧力をかけるのを如何に阻止するか、民主主義とはそれらの克服の歴史でもある。
 文書管理の徹底も、さまざまな制度的な監視も必要であり、いろいろな機構もある。同時に開かれた行政や政治のための方策もある。同時に「報道の自由」という名の諸刃の刃のようなものもある。選挙もあり、国会もある。もともと民主主義とは時間も労力もかけなければならないものである。
 「忖度」させるように振る舞っている現政権のトップが「ハニートラップ」の被害者では断じてない。このようなお花畑のような意見が出てくる日本の政治構造はどこまで非民主な社会なのだろうか、近代国家のにがい過ちの歴史の克服が不十分なのだろうか、と暗澹たる気持ちになる。

落椿の句 再び

2018年03月12日 20時35分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 18時半過ぎに歩いて帰宅。久しぶりに我が家のお茶を飲んでしばらく寝ていた。



★花弁(はなびら)の肉やはらかき落椿      飯田蛇笏
★地に還るまでのくれなゐ落椿         守谷順子
★戦前の椿が咲いてならぬなり         鳴戸奈菜


 本日の午前中にウォーキングした宿の周辺、散った椿が美しく、そして松の新芽もまた目をひいた。


横浜駅で打ち上げ

2018年03月12日 17時54分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
15時過ぎに横浜帰着。事務局の打ち上げが今、終了。
慣れた横浜の繁華街がやはり落ち着くのは、歳のセイなのであろう。
昼間のウオーキングの1万歩が心地よかった。これより歩いて帰宅予定。

まだ眠い

2018年03月12日 06時38分56秒 | 山行・旅行・散策
ようやく1時も過ぎた頃、3次会も無事終了。白熱の議論がやっとおさまった。周りの役員のやきもきも何のその、議論は果てしなく続く。
最初の宴会の世話をしてくれる宿の従業員もびっくりの様子。

寝る前と、目覚めてからと2度入った少しぬるめの風呂が気持ちよい。

千葉県へ

2018年03月11日 14時13分02秒 | 山行・旅行・散策
アクアラインを利用して、千葉県へやって来た。海ぼたるに寄ったのは開通以来2回目。初めて最上階まで上った。
上々の天気だが春の霞で遠望は残念ながらきかなかった。
目的の会場までは海ぼたるを出てから45分。
14時から17時まで会議。

春の空には春の雲

2018年03月10日 23時01分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ようやく帰宅。明日は退職者会の泊り込みの会議。朝から千葉方面に出かけ、1泊の予定となっている。朝寝坊の私が、早朝にきちんと起きられるか心配である。

★春の雲人に行方を聴くごとし    飯田龍太
★春空に身一つ容るゝだけの塔    中村草田男


 2句ともいかにも春らしい句だと思う。蜘蛛の擬人化なのか、人が雲にたとえられているのか、その判然としないところがいい。そして「身一つ」という表現が春と呼応している。「身二つ」ならばどう考えても春には相応しくない。

人が人であることとは・・・

2018年03月10日 19時02分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
久しぶりに伊勢佐木長者町を歩き3丁目・2丁目で古書店を覗いて回った。中公文庫と岩波文庫で長編小説2編5冊をそれぞれ600円、800円で購入。共に新品同様で綺麗だったので値切らなかった。最近は新刊書店同様、否それ以上に古書店がどんどん減っているので、値切りはあまりに気が引ける。

書店や図書館の中で本に囲まれる至福の時間は何事にも変えることはできない。

「知への軽蔑」以上に「知の否定」に邁進する風潮が、読書を通した知への否定的攻撃、強いては考えることそのものの否定に繋がっていることに暗澹たる思いがつのる。
人間が人間であることそのものが、否定されていないか。
戦前、そんな風潮でも「知」や「本」へのあくなき欲求があったと高見順の戦中日記に記載されていた。そこに希望を見いだすしかないのだろうか。

お疲れ

2018年03月10日 17時21分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は朝10時前から打ち合わせと会議があり、慌ただしかった。会議の前に一万歩は歩くつもりで、自宅から関内駅までウオーキング。
はじめは寒いくらいだったが、最後は汗だく。こんなに朝早くから体を動かしたのは久しぶりである。

崩壊の始まりであって欲しい

2018年03月09日 20時09分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市内で出されていた避難指示は15時過ぎにようやく解除された。

 荒れた天気のあと、一日中湿度が高かく、陽射しもなくすっきりとはしなかった。本郷台駅の傍のアースプラザでの講座終了後は石川町まで根岸線に乗り、石川町駅から横浜駅までウォーキング。湿度が高くかなり汗をかいた。汗をかいてもほとんど蒸発してくれなかった。家の傍の内科でいつものとおり降圧剤を処方してもらって帰宅。
 湿度が高く総会ではないとはいっても、昨日のように地下街を混雑する人出を気にしながら歩くよりも、外を歩く方がずっと気分がいい。

 ようやく国税庁長官が辞任した。麻生大臣は佐川長官の辞任を認めたことを次のように説明した。曰く「国会対応 丁寧さ欠く混乱招いた」、「国有財産行政に関する信頼を失った」。
 はたしてこれで説明が尽きているのだろうか。「丁寧さを欠く混乱」とは具体的な何だったのか、「失った信頼」とは具体的な何なのか、この説明がないのはあまりにおかしい。しかも適材適所と言いつのってきたのに今更「混乱を招いた」とはなにごとなのか。
 この「何」が解明されない限り、不信はどんどん増幅する。