Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

午後からは楽になってきた

2018年08月18日 17時08分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は外に出ることもなく、一日寝たり起きたり。起きているときは退職者会ニュースの原稿作りを少々。寝ているときはボーっとしている。時間があるのだから読書でもしたいのだが、ニュースの原稿作りをすると読書のエネルギーまでは湧いてこない。
 しかし涼しくなってきており、日中は過ごしやすくなった。湿度もそれほど高くない。最高気温は27.5℃と表示されていた。

 午後からは気分はずいぶん楽になり、肩甲骨の鈍痛はなくなってきた。肩甲骨の付近に背負っていたような重石が随分軽くなっている。肩の筋肉痛も消えている。このまま明日のうちに症状がおさまってほしいものである。胃の重苦しいのもだいぶ軽くなった。回復過程に入ると早いということは、夏風邪だったのだろうか。
 しかしそれにしては肩甲骨の付近の痛みは何だったのだろうか。

自分の体がどうなってしまったのか?

2018年08月18日 09時49分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は肩甲骨のあたりの鈍痛は、眠れないほどではなかった。しかし寝つくまではそれなりに重苦しく、だるい。どうしてもそこの部分に意識が集中してしまって、なかなか寝ることができなかった。明け方に目を覚ますと、弱い痛みが首の付け根の肩あたりにも広がっていた。こちらは明らかに筋肉痛。
 発熱はなく、深夜寝る前も起きてからも体温計は36.2℃を示していた。

 昨日に続いて動作がどうしてもゆっくりになる。家の中を移動するにも背筋を伸ばしてからゆっくりと動く。力が肩甲骨のあたりにかからないように、歩く。さらに首の連け根の筋肉も少しずつ伸ばすように動かしている。

 寝ることと、起きて椅子に座っていること、これを2~3時間ごとに繰り返している。自分の体がどうなってしまったのか、という不安が募る。

肩甲骨のあたりの鈍痛

2018年08月17日 22時02分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も肩甲骨のあたりの鈍痛がつらい。同じ姿勢でいるとつらくなる。寝ているときにつらくなり、起き上がろうとすると射たくなる。暫くは腰をかがめて歩く羽目になる。椅子には割っているときも鈍痛がひどくなり、立ち上がろうとするとさらに痛くなる。だいたい同じ姿勢で2時閑というところだろうか。
 痛いのはこの肩甲骨の付近に絞られてきている。筋肉が痛いのか、背骨そのものの一味なのか、よく分からない。
 病院から戻ったのが、14時過ぎ、それから3回ほど妻に背中を押してもらった。押してもらうと楽になる。
 かかるべきは整形外科なのか、内科なのか、わたしにはわからない。そのために総合病院に行ったのだけれども‥。役に立たなかった。月曜日まで何とかこの痛みが治まってほしい。そうでなければ、お盆休み明けのいつもの内科で市立病院なり、どこかの病院への紹介状を書いてもらうことになりそう。
 発熱はないので少しは楽であろうが、寄る寝ていて痛くなったとき、また妻を起こして背中を押してもらわねばならないのも申し訳ない。

 このために退職者会のニュースの編集作業も滞っている。先ほど「モネ それなかの100年」展の最初の感想の記事をアップした。その時に図録から作品を4つほどスキャナーで取り込んだのだが、これがなかなかつらかった。立ったり座ったりするので、痛みがひどくなった。

 明日はニュースの編集作業だけに絞ってみようと思う。


「モネ それからの100年」展 1

2018年08月17日 20時18分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜美術館で開催している「モネ それからの100年」展を見てきた。展示は
第1章 新しい絵画へ       立ちあがる色彩と筆触
第2章 形なきものへの眼差し   光、大気、水
第3章 モネへのオマージュ    さまざまな「引用」のかたち
第4章 フレームを超えて     拡張するイメージと空間
という構成になっていた。それぞれの章ごとに、モネの作品とその影響を受けた現代の画家の作品が並んでいる。

 現代の画家がどのように影響を受けたのか、わたしにはよくわからないものも多かったが、色彩や構図から「なるほど」と直感的に理解できるものもあってそれを見るのは楽しい。解説の文章や帰宅後に図録を見てもその影響関係がわからないものは、いくら文章を読み込んでも分からない。というか言葉での説明を読めば読むほどわからなくなる。

   

 第1章の展示は、初期の作品「サン=シメオン農園前の道」(1864、日本テレビ放送網(株))から始まる。
 モネの初期の作品は空の雲が美しい。「サン=タドレスの断崖」(1857、松岡美術館)や「税関吏の小屋、荒れた海」(1882、日本テレビ放送網(株))などが並び、至福のひとときを過ごすことができた。17世紀のオランダ絵画と言われる一連の空が大きな比重を占める風景画などを見るようである。
 また最初に展示されている縦長の「サン=シメオン農園前の道」などは解説では指摘していなかったが、江戸末期の浮世絵の構図の影響なのだろうか。横長の作品よりは緊張感があり、嵐の後のような黒い雲とその切れ間の明るい色が効果的であると感じた。
 今回の展示だけで気がついたのが、風景画に添えられた一人ないし二人ほどの黒い人影。表情などは何もわからないのだが、1870年代以降この人影が風景画からなくなる。この人影はどうして画面から消えたのであろうか。人影があるとどうしても人そこに「物語」を読み込んでしまう。それを嫌ったのではないか、と考えてみた。色面と筆触で世界を描こうとした画家には「物語」は不要だったのだろうか。これは思い付きの仮設なので正しいか、否かはまったくわからない。
 この章では、影響を受けた画家として、ウィレム・デ・クーニング、ジョアン・ミッチェル、堂本尚郎、中西夏之、ルイ・カーヌ、岡崎乾二郎、湯浅克俊、丸山直文などの作品が並んでいる。私が知っているのは、クーニング、堂本尚郎の二人だけ。

   

 はじめて見たモネの「ヴァランジュヴィルの風景」(1882、ポーラ美術館)の印象が良かった。細い樹木の垂直な線と水平線、1本を除いて、水平線の高さで統一した樹木、これは浮世絵の影響による構図と解説してあった。浮世絵なら木を太く、その存在感を強調して描くがこの作品は逆に細く描くことで背景の海とその向こうの陸地が広々と見える。
 この作品の印象が良くて、縦の線が生かされたミッチェルの「湖」(1954、静岡県立美術館)もまた印象に残った。画面中央に横たわる様々な色彩を含んだ激しいタッチの塊は、その筆致の激しさにもかかわらず、モネの晩年の森や木々を描いた作品に共通するものを感じ取った。
 その他では小西夏之、ルイ・カーヌ、丸山直文などに影響の痕跡を見ることができたと思えた。

   

熱中症?

2018年08月17日 15時10分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日区役所の傍にある総合病院へ行ってきた。初診の内科は空いており、3人目であった。3日ほど前からある胸から太ももまでのにぶい筋肉痛、昨晩眠れないほどの肩甲骨付近の痛み、37.2℃の発熱などを伝えた。医師からは熱中症ないし夏風邪が原因と思われる、という診断。
 点滴と血液検査、風薬の処方をすると告げられた。診察が終わったのが11時30少し前。ところが13時間際になっても点滴、採血の呼び出しが一向にない。私の前の患者も点滴をしていたが、12時にはもう出てきていた。お腹もすくし、椅子に座っていると再び肩甲骨の付近の痛みが出始めた。受付で聞くと、「これから用意をします」とのこと、どうやらファイルがそのまま置き去りにされていたらしい。ムッとしたので、「他の病院に行きます」といって、採血・点滴・風邪薬の処方は拒否をして、そのまま診療代だけを支払って帰ってきた。
 急性の症状以外では、点滴はもともと気休めに近い。血液検査は月曜日にでも小さいながらいつもの内科で採血をしてもらうつもりになって帰宅した。総合病院も時には必要だが、こんな状態が起きるならば、通い慣れた個人医院の方がまだ信用できる。
 行き帰りともタクシーを使用したので交通費は往復2360円もかかってしまった。肩甲骨のあたりの痛みはまだ少し残っている。横になっても、座っていても長い時間同じ姿勢を保っているのがつらい。
 これから夕方までは寝ていようと思う。



眠れない

2018年08月17日 01時11分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
熱は36.7℃と下がった。しかし眠れない。理由はふたつ。

夕方から寝たこと。そして、背中の筋肉の鈍痛。この背筋の鈍痛は何が原因か、眠れずにあれこれ考えてしまうと、悪い方にばかり思考が傾いてしまう。

目には悪いが、スマホでも見る方が精神的にはよい。

熱が出てきた

2018年08月16日 21時12分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食時、大量の汗が出てきた。いつもとは違う汗にビックリ。シャワーでごく軽く汗を洗い流したのち、30分ほど一眠り。体温をはかったら37.2℃と上がってきた。

 これ以上上がるのか、この邸での微熱が続くのか、良そうも出来ない。病院の診察が始まる月曜日までお品詩句していなくてはいけなくなった。

 横浜美術館の「モネ展」の感想、東京国立博物館の「縄文展」の感想をまだまとめていない。しかしこれはこのボーっとした状態では無理。ベッドの脇には「ベラスケス」(岩波新書)を置いてあるが、手に取る気分にもならない。

体調が再び思わしくない

2018年08月16日 18時10分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は曇で最高気温は31.5℃、最大瞬間風速が19メートルと、雨は降らずとも荒れ模様の天気であった。雲は暑く垂れこめているのではなく、積雲が空一面に散らばっていて、本のわずかに青空がのぞいている。
 14時ごろに妻と区役所の傍のJRの駅まで買い物に出かけた。ところがどうも足もとがふわふわしている。そのうちに冷汗を頭からかき始めた。お腹ら太ももまでの筋肉が重苦しい。運動をした後の心地よい筋肉の疲労感とは明らかに違う。熱中症なのかと思ったものの、昨日は快調だったが、その前の日の症状をひどくしたような気分であった。
 本当は買い物が淡ったあとは妻と別れてウォーキングに出かけるつもりだったが、買い物が終わってからタクシーで一緒に帰宅した。
 シャワー後体温をはかったら、34.5℃。30分後には36.5℃。さらに1時間後は36.8℃。評価が何とも難しい。普段、昼間は36.2℃くらいのたいおうであるが、場合によっては36.5℃まであがることも多い。
 頭がボーっとしている。疲労感と脱力感が強い。食欲はある。寝ているのも頭がボーっとしてつらい。起きるのもまただるい。

 近くの内科の病院はどこも今は休みに入っている。月曜から一斉に診療を始める。

NHK「ノモンハン 責任なき戦い」(追記)

2018年08月16日 10時44分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
【追記】

 通りがかり人様の指摘のように、番組の中では101歳の兵士の方が、碑に水を掛けていたのが、印象に残った。弾として、消耗品としてしか扱われなかった兵士のひとりとして、生きのびたものとして、出来るだけ長い生を生きて欲しい、語ってほしい、と願っている。

 責任は現場で苦闘するものへ押し付けること、責任を取らすということは原因には頬被りして「自決」させること、責任よりも情実、第一線の兵の生死は「責任」の範疇の埒外であること、この無責任体制が日本の戦前の天皇制の根拠であったと思う。責任の頂点にいる天皇を守るために、下部に責任を押し付ける。私はそれが、現代の政権と二重写しに見えてしまう。

 もうひとつ気になった言葉が、参謀の多くが天皇のことを「天さん」と呼んでいたこと。戦後の録音とはいえ、彼らには結局のところ天皇への敬意も、天皇制への尊敬と帰依もなかったのである。あったのは「天皇」を利用した保身と名誉欲だけだったのではないか、と感じた。

 我々の戦後の世代には、戦争体験者の追体験はしたくはないし、もし追体験してしまうということは若い世代の犠牲者を招くことである。われわれにできることは、戦争体験者の語りを次に伝えることと、忘れさせられようとしていることを掘り起こすこと、戦後の混乱期の飢えや貧しさや、理不尽を実体験として語り続けること、そして戦後の世界がどのように作られ、維持されてきたか、これを語ることであろう。我々の世代に課せられた課題は私がこれまで考えていたことよりも膨大である。

NHK「ノモンハン 責任なき戦い」

2018年08月16日 00時04分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩は、NHKで「ノモンハン 責任なき戦い」を見た。彼我の力関係を無視し、権限を越えた戦線拡大、そして敗戦の責任を誰かに押し付けて自らは責任をとらない、日本の軍・政治の現在まで続く体質を充分に語っていたと思う。
 これまで、インパール作戦、731部隊などの番組を見てきた。NHKは以前はこのような番組が多かったと思うが、最近はあまりお目にかかっていないような気がする。政治ニュースが実に見るに堪えないものが多い中、せめてもの救いということなのだろうか。悲しい気がする。


「しのぶ・あだたらのむかしばなし」から 4

2018年08月15日 17時07分44秒 | 読書


 全体で30の昔話のなかで、25番目にのっているのが「鈴の鳴る石」。他の昔話では他の地方に類型の話があったり、さまざまな○○譚などがあり、楽しい本である。この「鈴の鳴る石」はお話としては、どのような類型になるのかは想定もつかなかった。しかし現在の心性にもつながる印象的な話だと感じた。
 鈴が鳴るような微かな音がするという山の上の大石、それは当然周囲が削られて残った石なのだが、どこからか飛んできた石に思える、というのは普遍的な発想である。誰もが小さい時にそんな石を見たことはありそうだ。
 ここで私が共鳴したのが、微かな音、であること。風が吹いて大きく鳴る石ではなく、それとなく聞こえる微かな音、これが読む人の心をまず惹きつける。大きな音ではいけないのである。かすかな音であるから人々が興味を示す。もともと「タブー」とは些細なことなのだが、それが独り歩きすることでいつの間にか、人びとの意識の上に重くのしかかってくるものである。そして「タブー」はいかにも重要なことのように思われてしまう。
 さらにその石と音のいわれが、奉公娘が苦労の果てに「このまま何も考えないでここにいたい」という心性に基づき、娘が石になる。奉公先にも、郷里にも、家族にも心を寄せることができずに、このままこの世から消えてしまいたいという心持ちは多くの人が現在も持っている。否、実に現代的な心性でもある。
 切羽詰まったとき、迷ったときの心性は「このまま何も考えないでここにいたい」と「ころりと横になって」そのまま動かずに永遠のときを過ごしたい、と私も幾度思ったことであるか。ふとそんな自分を思い出させる。この多くの人にとって共通の心性がいつの間にか、大石の「タブー」への変貌する端緒もここで示される。
 さらに「若者」が石の中に誰かいると思い、この石を石目に沿って割ってしまう。その心性もまた私にはよく理解できる。「何が起こるかわからない」という恐れから、些細なタブーを作り上げてしまう意志に人は興味をひかれ、そしてそれを暴きたくなる。私は「暴きたくなる」心性そのものである自分を心の底から好きである。しかし歳とともに行動には慎重になる。そしてこの若者が羨ましい。好きであるが、行動に移せない自分が常にもどかしい。
 タブーなどというものは暴いてみれば、たいして何もないのだ。だから若者はガッカリして石を見つめ、「いったいなんだったのかなぁ」となり、「それっきり石は音をださなくなった」のである。
 だが、タブーを知りたかったのは若者だけではなく、村人も同じであった。ここでタブーを破った若者が何かに罰せられるか、逆にタブーを破ることに臆病だった村人を復讐するか、の後日談がないのもまた、語り継ぐ人ないし筆記した人の「タブー」になっているのかもしれない。

 なお、このさとうてるえさんの挿し絵、若者にクローズアップしたものではなく、多くの村人が聞き耳をたてているところが、私の上の書き方に即していると感じて、気に入っている。


胃の具合があまりよくない

2018年08月15日 12時42分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の夜、近くのスーパーへ買い物に行った。場所は対沿いの国道に面していた。底では風が少ししか吹いていなかった。22時過ぎに今度は尾根道のウォーキングに出かけたら風が強く、時折歩きにくいと感じるほどであった。強風注意報が出ていた。

 さて昨日の朝からお腹が少々具合がよくない。膨ったような塩梅で、すっきりしない。横になっていると具合はいいが、身を立てると胃痛が出て重苦しい。胃薬を飲んだもののあまり効いていない。私が胃の具合が悪いと感じるのは極めて珍しい。

 本日はおとなしくしていろ、ということなのだろうか。

73年目の8月15日

2018年08月15日 09時57分48秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★敗戦日空が容れざるものあらず     石田波郷
★喉もとの小骨のとれず敗戦忌      近藤酔舟
★敗戦忌別れを重ね生きのびて      北さとり
★海中(わたなか)の貝のつぶやき敗戦忌  諸岡孝子


 いつの間にか「終戦記念碑」が定着している。しかし私が小学生の頃はまだ「敗戦日」という言葉の方が圧倒的に使われていた。ことばは73年もたつと変わる。だがしかし「敗戦」を「終戦」としたい人々もいるようで、それがいつしか体験の風化とともに多数となっている。私にはそれが違和感として脳裏に刻まれている。
 そういえば1970年位までは、せ「戦後○○年」という言葉が当たり前だった。「昭和」や「西暦」よりも「戦後」という時間の尺度の方がより身近で、そして実感の伴った「時間」であったのだろう。「元号」よりも「西暦」よりもずっと人々に定着していた。そしてそれは「あの戦争を忘れない」効果をも持っていた。「時間」を支配することは「為政者の証し」という古い観念からすれば、「敗戦」は他からもたらされたものであり、何とかして人びとの意識から忘れてしまって欲しいものだったに違いない。そしてそれの願望は達成されたのかもしれない。70数年、世代交代が進み、戦争の生きた記憶が失われるにしたがい、歴史は過去に学んだことを忘れてしまう。だが、伏流水のようにそれは見えないだけでなく、どこかで必ず湧き水として出てくる。
 私は意識して「敗戦日」という言葉にこだわりたい。忘れられてしまって、伝わらずとも使ってみたい。そこには私なりの「戦後体験」を込めている。

日が沈んでから活動

2018年08月14日 22時15分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに19時過ぎに西側から南側の空を見上げた。西から順に東に向かって三日月・宵の明星(金星)・アルクトゥールス(牛かい座)・スピカ(おとめ座)・木星・アンタレス(さそり座)・土星そして昇って来たばかりの火星と明るい星が連なり、壮観であった。

 本日は夕方まで陽射しが強そうなので、18時過ぎにようやく軽めのウォーキングに出かけた。妻も買い物に行く気になってそれぞれに別行動。私も妻も昼間は出かける気にまるでならなかった。
 そして19時過ぎに二人で夜の散歩がてら近くのスーパーに出かけてみた。風が多少あり、それなりに過ごしやすい気温となっていた。ただしスーパーの店内はあまりに冷えていたので私は中には入らず、外で待機。

 これから本日3度目のウォーキング。

昨日読んだ本「絵画資料で歴史を読む」(黒田日出男)

2018年08月14日 17時49分51秒 | 読書


 昨日会議と会議の合間に組合の会議室で読み終わったのが、「増補 絵画資料で歴史を読む」(黒田日出男、ちくま学芸文庫)。いつものとおり覚書として。

「歴史とはイメージ豊かな世界であるはずです。私は、日本史をイメージ豊かな世界として読み解き、そして描き出そうと考えたのです。‥1970年代には、日本の歴史学は「資料学の時代」に突入していきました。文献資料だけが「資料」であるような時代は終わり、従来の歴史学が少しも関心を払わなかったさまざまな「資料」によって、多彩な歴史連休が行われるようになってきたのです。私の試みも、そうした「資料学の時代」にふさわしい歴史研究ということになったのでした。‥本書の絵画の読み方は、あくまで歴史家のものであり、もっと限定すると日本史家のものです。‥また、絵画に対して、美術的に鑑賞・批評したり、「資料」として読んだりと、重層的ないし多重的に向き合って楽しんでいます。」

 初めて黒田日出男の著作を読んだ。情けない話ではある。大変刺激的な著書である。
 ただし文庫本の制約があり、絵画資料が豊富に印刷され出いるのだが、小さすぎで、読み込めない。拡大鏡を使って難しい。そこのところが極めて残念であった。