Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日の雷雨

2018年08月14日 10時03分31秒 | 天気と自然災害
 本日も暑い、だが35℃にはなりそうもないらしい。
 昨日は横浜の西部でかなり雨が降ったらしい。都内では世田谷・杉並あたりで激しい雨が降ったと報道されている。さいわい私は昨日は雨に会うことはなかった。じつは傘をリュックに入れ忘れていた。
 組合の会館で会議と会議の合間に外を見たら、傘をさして歩いている人がいた。その時に傘を持ってこなかったことに気がついた。さいわい雨はほんの少し、すぐに止んだ。ただし雷が4~5回ほど。
 19時半過ぎに会議が終わった時は、湿度は高いものの気温は下がっていた。21時半までいつもの居酒屋で6人ほどで楽しく飲んでから、自宅まで歩いて帰宅。気温が少し下がったとはいえ1万2千歩ほど。来ているものは汗でビショビショ。帰宅したのはちょうど23時であった。

 本日は昼から団地の中で打合せ。午後は引続き退職者会の作業を少々とスケジュール帳の整理。

「シャワー」、「行水」という季語

2018年08月13日 21時13分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 シャワーは夏の季語。しかしまだまだ暑いので、買い物から帰ったり、横浜駅から歩いて戻るとまずはシャワーを浴びる。団地の中を歩いただけでも汗をいっぱいかいてシャワーを浴びることもある。
 むかしはシャワーというと暑い時期なので、水に近い温度にして体を冷やしながら、タオルで汗をぬぐった。しかし歳とともに血圧が高めとなると急には危険といわれ、30℃くらいのおんどで浴びることにしている。
 顔でそのシャワーを受けているとさっぱりとする。顔を見ずに濡らすと汗がひいていくらしい。私の場合は口を開けて嗽をすることにしている。何かすべてをぬるま湯で洗い流してしまうように感じるものである。
 私はときどき朝にシャワーを浴びる。寝苦しかった夜などは、たいていカラスの行水程度にシャワーを浴びる。石鹸も使わず、タオルで背中とお腹と足をこする。所要時間3分。それでも実に気持ちよくなる。

★口開けて叫ばずシャワー浴びており     五島高資
★行水や暮れゆく松のふかみどり       金尾梅の門


 シャワーも行水も季語として取り上げていない歳時記もある。特に最近の句を集めたものには取り上げていないものがあるようだ。

秋の蝉

2018年08月13日 14時22分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 蝉は一匹がなくとそれに誘われるように次第に鳴く蝉の数が増えていく。鳴き止むときは一斉に止むこともあるし、少しずつ鳴く蝉が減っていつの間にか鳴き止んでいるときとがある。だれかが指揮を執っているかのようだ。それにしてはひとつの意思をもつように揃っている。

★たちまちに蜩の声揃ふなり     中村汀女
★ひぐらしの幹の一本づつ奥へ    鷹羽狩行
★雨あとの樹のずっしりと秋の蝉   坂本あかね

「魂の3時間大演説」

2018年08月13日 09時10分09秒 | 読書
   

 昨日購入した本は今話題となっている、「枝野幸男、魂の3時間大演説-安倍政権が不信任に足る7つの理由」(ハーバー・ビジネス・オンライン、税込745円)。
 なかなか手に入らないようだが、昨日有隣堂にはだいぶ置いてあった。国会演説には著作権はないそうなので、党にも枝野代表にも実入りはないのだそうだ。
 読みかけの本、読まなくてはいけない本は大量に机の上にあるのだが‥。

本日は30℃に届かなかった

2018年08月12日 23時18分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキングも快調に終了。

 本日は読書もせず、俳句の歳時記をめくることもせず、そして展覧会の図録もめくることなく、新聞の編集作業と昼間の若干のウォーキング。昼間は横浜は29.7℃30℃にわずかにとどかなかったらしい。歩いていても風が少し涼しくは感じた。ただし汗が噴き出してきたことには変わりない。塩分の強めの梅干しを口にしながら水分を烏龍茶で補給しながら歩いた。

 明日は昼から会議、夜もまた2回目の会議。この日程をこなすには、体力が回復してよかった。ただし早目の就寝をしたい。

昨晩は大雨・洪水警報

2018年08月12日 13時17分51秒 | 天気と自然災害
 昨晩は日付が変わってから激しい雨が降った。横浜市域には大雨・洪水警報と雷注意報が出された。東北部の港北区・都筑区、そして南西部の泉区・戸塚区・栄区・金沢区あたりがとくにひどかったようだ。時間当たり換算で80ミリを超す雨の区域が南下していった。
 現在の我が家の上空は雲が厚く垂れこめ、陽射しがない。あまり気温が上がっていない。カラスの鳴き声が妙に大きく響いている。強い雨の区域が箱根を少しずつ超え、小田原市域を通過している。
 ようやく体も頭も快調になったような気がする。昨晩は夜のウォーキング、汗をたくさん書いて気持ちが良かった。ゆあやく復活したような気分。
 気温の下降とともに復活、ということはやはり暑さに負けていたようだ。

 本日の作業は順調。

頭のなかの脆性破壊

2018年08月12日 10時22分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日から一週間は退職者会の取組みとニュースの編集作業の期間。その前に昨日の会議の後処理で二つほどの仕事をいま完了。
 二つの大切なことを頭の中で同時進行するのは、現役時代で終了。今は一週間交代でこなしていかないと、うまく行かない。せめて2~3日間はひとつのことに意識を集中したい。
 現役時代は仕事のことと労働組合の役員としての振舞いと、毎日19時間、五分五分で同時進行していた。それぞれに10いくつの課題や案件を抱えていた。仕事と労働組合の役員であること以外の、例えば家族のことや地域のことの大半は妻に押し付けていた。
 もっとも退職者会と団地の管理組合のこと、この二つのこと以外でもいろいろ同時進行しているので、いつも複数のことが同時進行していることには変わりはない。例えばこのブログの記事の更新はその他の「いろいろなこと」のなかでも「重い」もののひとつである。一日3回ほどの更新は私にとってはいいリズムなので、当面これは続けたい。

 頭の中というのは、いつも目いっぱい膨らんでいると柔軟性を失って、いつの間にか脆性破壊を起こしてしまうように思考が壊れてしまうことがある。思考がにっちもさっちも働かないのである。
 忘れっぽくなったり、同じことを堂々巡りでいつまでも結論が出なかったり、応用力がなくなって怒りっぽくなったりするのを自分でも自覚することがある。

 かといって、頭の中は刺激をなくすと委縮してしまうかのように思考力や記憶力が減退するようだ。常に何かを頭の中で動かし続けないといけないのかもしれない。これはエンジンを常に吹かし続けなければならない悲劇のようなものかもしれない。

 適度に刺激し続ける方策は自分なりに獲得しなければ、暴走もするし、破壊まで突き進むこともあり、錆びついて動かなくなることもある。人間とはなんとも面倒なものである。しかも死の直前までそれは続く。


「父と暮らせば」(井上ひさし原作)

2018年08月11日 21時11分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 また久しぶりにテレビを見た。
 本日19時から放送していた井上ひさし原作の「父と暮らせば」の映画版。原田芳雄・宮沢りえの出演、監督は黒木和男で2004年の作品。いつだったか、新潮文庫で読んだ記憶があるのだが、大まかなあらすじしか記憶になかった。今回あらためてその内容を思い出した。
 原作にかなり忠実らしいが、二人芝居なのだが、回想場面などは別途映像化されている。記憶に残っていなかったところが、最後の方で、原爆投下の直後に、が父の竹造の救出をあきらめて現場を離れるシーン。ここはこの芝居の最後のもっとも大事な美津江の回生の場面のエピソードなのだが、記憶から飛んでいた。
 しかしいい映画作品をじっくりと見ることができた。19時から20時45分までだったが、初めの20分ほどを見損なったのは残念。

 新潮文庫でまで販売しているのを何か月か前に確認した。明日にでも再度探してみたい。

「朝顔」という秋の季語

2018年08月11日 14時48分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝顔は秋の季語になっているが、私の感覚では夏の季語にしか思えない。
 我が家のベランダの朝顔もだいぶ花が少なくなった。鉢からあふれんばかりに勢いのある葉と花は、立秋になる前には最盛期を過ぎてしまう。しかしまだ毎朝2~3つの花が咲く。今年は深い紺色と白色の花が今も咲いている。

★朝がほや一輪深き淵のいろ    蕪村
★朝顔の紺のかなたの月日かな   石田波郷


 蕪村は深い紺色の朝顔の花に、海など底知れぬ深い水の神秘を見つめた。石田波郷は遠い時間を重ねた人生の果てを覗き込んだ。ともに目の前の朝顔の花の色合いではなく、その向こう側を読み込んでいる。眼前にあるものを読んでも、その向こう側にあるものを示唆することができる。

なんとなく秋の気配

2018年08月11日 08時53分52秒 | 天気と自然災害
 今朝の体調は快調。気分も良いし、体の疲労感もなくなった。
 朝から暑く、そして陽射しがつよい。それでも最高気温は7月中の35℃の予想ではなく、31℃という予報メールが来た。なんとなくホッとする予報に、秋を感じてしまう。大気の湿度がそれほど高く感じない。空の青さも透明感がある。
 そういえば蝉の声も少しおさまった気がする。ミンミンゼミとアブラゼミの声が耳に残らなくなった。ただし夜に虫の声は認識しなかった。

 今朝6時過ぎに福島県沖で震度4の地震があったとのニュース。横浜は揺れなかった。

 これから会議の資料のコピーなどの準備作業。


残暑

2018年08月10日 22時23分46秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 残暑、という言葉が飛びかう時節になった。残暑・秋暑しはむろん秋の季語。

★吊革に手首まで入れ秋暑し    神蔵 器

 満員電車での通勤は、夏バテの身にはつらい。手首まで入れて吊革にぶら下がる勤め人も多い。出来ればそのような姿はさらしたくないのだが、‥。

★朝夕がどかとよろしき残暑かな  阿波野青畝

 本当はこのような残暑であって欲しい。しかし昨今は朝夕と云えども厳しい暑さである。

やはり夏バテなのだろうか‥

2018年08月10日 18時38分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夏バテという言葉はこれまで何十年も私とは無縁であったが、どうも夏バテ気味のようだ。本日も読書タイムとしたかったが、どうも体と頭のだるさがまだ残っている。
 読んでいた本の字は大きいのだが、頭に入らない。かといって寝たいわけでもない。やむなく、7日に行った横浜美術館の「モネ それからの100年」展と8日にいった東京国立博物館の「縄文」展のチラシ、展示目録、気に入った作品をスキャナーで取り込む作業を行った。このような時は単純作業の方がはかどるし、頭のリハビリになる。これは現役時代からやっている、頭が飽和じょうたいになってしまったときのリハビリである。
 縄文展は終了。モネ展の気に入った作品はまだ取り込んでいないが、チラシと展示目録までは終了。夜の作業はモネ展の気に入った作品を選ぶ作業にしてみたい。

 夕方からは団地内の巡回を少々。明日の会議の資料作りは終了したので、楽である。明日の会議は夜だと思い込んでいたら、明日は朝10時からであった。変更になっていたことに先ほど気がついた。
 やはり頭の中がまだ倦んでいる。正月から春先にかけての忙しい時のじれったさとは違って、抑うつ感はない。人と接するのも苦にはならない。

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 平和への誓い

2018年08月10日 17時17分42秒 | 読書
長崎原爆の日「平和への誓い」全文

 1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3.2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりましたが、奇跡的に無傷で助かりました。
 3日後の今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。捜し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。この時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタン板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を私の脳裏から消し去ることはできません。
 原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。
 全国に移り住んだ被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。
 ビキニ環礁での、54年3月1日のアメリカの水爆実験による「死の灰」の被害に端を発し、全国に広がった原水爆禁止運動に励まされて、56年8月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
 日本被団協に結集した被爆者は、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と原爆被害の残虐な真相を、国の内外に伝え、広げ、核兵器の速やかな廃絶を世界に訴え続けてきました。
 2010年代に入り、国際政治の場において、核兵器の非人道的な被害に焦点が当てられるようになるなか、長年にわたる被爆者と原水爆禁止を願う市民社会のさまざまな活動、さらにICANの集中的なロビー活動などが実を結び、17年7月、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。
 ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。
 核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。核抑止力は核兵器を使用することが前提です。国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。
 紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。
 私は、多くの先人たちの働きをしのびつつ、速やかに「核兵器禁止条約」を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻み、私の平和への誓いといたします。

   2018年(平成30年)8月9日           被爆者代表 田中熙巳


微かな風でもうれしい

2018年08月10日 11時00分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の本日の天気予防では最高気温33℃。良く晴れている。強風・雷注意報が出ているものの、風は団地のなかではほとんどない。
 今朝、扇風機のリズム風だけでは暑いので、寝室の窓を開けた。しかし団地の中、風が弱いと住棟の間を抜ける風となるので、西から東へ抜けるだけである。毎度のことながら、窓から風はほとんど入ってこなかった。それでも温度差より生じる風がわずかに寝室の気温を下げてくれたようだ。2℃くらいはさがっただろうか。6時から8時までは熟睡できた。
 先ほどまで私の部屋の窓は閉めたまま扇風機を回していた。背中から汗が滲み出てきて、慌てて窓を開けた。扇風機を回さなくとも風が窓から入ってきた。パソコンの放熱で部屋の気温がだいぶ上がっていた。部屋と外気温の温度差による風である。
 さらに横浜市域の風は南南西となっている。南側は北側よりも向かい側の住棟との間がかなり広い。向かい側の住棟と住棟の狭い切れ目から風が少しだけ流れてきている。
 このふたつによってもたらされた微かな風がうれしい。

 本日は明日の夜の会議の資料作りを午前中に仕上げた後は、読書タイムとしたいもの。

本日も早めの就寝

2018年08月09日 21時54分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 所用が出来て午後から最寄りの区役所へ出かけた。残念ながら用は完結せず、別の日に別の機関を訪れなければならなくなった。
 昨日は雨風のなかを歩いたが、本日は強い陽射しのなかを作治よりも少し多く歩いた。区役所を出たところで妻はかき氷、私はアイスコーヒーで一服。これで再び元気になった。横浜市域の最高気温は15時過ぎの32.1℃。西日本の各地や関東地方の内陸部ではもっと高いところもあったようだが、それでも昨日に比べて体力の消耗はすごかったと思う。
 夕方帰宅後は1時間ほど昼寝。体調不良から丸2日、まだ本調子ではないようだ。読書の気力も今ひとつ。明後日の団地の管理組合の会議の資料作り、長崎の平和記念式典、翁長沖縄県知事の追悼報道、そしてときどき高校野球を見ながら、何事もなさずに時間を過ごした気分である。ひょっとしたら夏バテ、体力が落ちて病気への抵抗力が落ちているとすると、風邪などに要注意であろう。

 本日も早目の就寝予定。