Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日より「官能美術史」(池上英洋)

2018年10月22日 22時42分35秒 | 読書
 朝から病院へ。診察の結果、経過は良好で次の診察は2週間後となり、薬も2週間分。血をさらさらにする薬の効き具合は安定してきているという。ただし、来週の30日に造影剤を使ったCTの検査をすることになった。診察は二週間後であるが、病院へは来週もいかなくてはいけない。造影剤を投与するので、また承諾書にサインをして検査日までに持参することになった。今回はもう入院以来3回目の造影剤投与でのCT検査となった。さいわいこれまで造影剤投与でアレルギー反応は出ていない。
 薬は一緒に病院に行った妻が一足先に薬局で薬をもらってきてくれた。私は講座を聴くために本郷台駅まで往復。
 本日の最高気温はほぼけ22℃。しかし随分と暖かいと感じた。長袖のポロシャツとベストで出かけたら、病院内や講座の行われた講堂、喫茶店内では暑いのでベストを脱いだ。

 病院の待合室、本郷台駅までの電車の中で、「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘、中公新書)の残りの部分は読了。
 帰りの電車の中、およびコーヒータイムでは「官能美術史--ヌードが語る名画の謎」(池上英洋、ちくま学芸文庫)を読み始めた。本日は「第1章 ヴィーナス」を終了。


本日の講座

2018年10月22日 21時20分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の「古代史セミナー」の講座は、第4回目の「大家の回心とは何か」。講師は庫裡栗歴史民俗博物館の仁藤敦史教授。
 久しぶりに2時間の講座を最後まで聴いた。寝てしまうのではないかと自分で心配したが、どうやら最後まで聴くことが出来た。
 次回11月5日も診察日と重なる。時間的には十分間に合うはずである‥。

「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘)読了

2018年10月22日 20時30分51秒 | 読書
 「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘、中公新書) を読み終えた。

「『モナリザ』の左右の背景には何の関係性もない‥。向かって右側では、アルプスのような山岳地帯を水源とする川が、きわめて自然に蛇行しながら流れ下ってきている。それに対して左側では、山々は水に浸食されて倒壊し、水はその行く手が塞がれて、湖となって広がり、次いで近い将来、その堤防を食い破って湖を崩壊させ、その下流域に襲いかかって、地表にあるものすべてを押し流すはずである。‥ま1513年にベッリンツォーナ近くのブレンノ渓谷で起きた塞き止め湖の形成と、その崩壊事件と同じ経過をたどって起きる、ダム崩壊のシミュレーションではないか。」

「(『モナリザ』が)「ジョコンダ」と呼ばれていたのはなぜか? レオナルドが1500年はじめ頃にフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻のジョコンダ夫人を前にして、彼女の肖像を描いていた時、サライは弟子の一人としてその制作現場に立ち会っていた。‥1515年にジュリアーノから《空想の肖像画》の制作を依頼された時も、サライははそのモデルのいない師匠のの制作現場にも立ち会っていたはずである。それゆえ、レオナルドにとっても、サライにとっても、永遠に微笑み掛けるこの無名の「名誉ある宮廷女性」は、フィレンツェの「ジョコンダ夫人」を含む--そしてもちろん、レオナルド自身の母親だった女奴隷のカテリーナを含む--すべての母性を象徴する女性像となったのではないか、と思うのである。」

「晩年を迎えたレオナルドも、突然、堰を切ったように「大洪水」による人類の滅亡と世界の破滅の光景を素描に描き、その有様をまるで実況放送をするかのように手稿に書き記した。だか、彼の描く世界の断末魔の姿は、キリスト教の教える世界終焉の筋書きからなんとかけ離れていることか。ここにはみけせんじぇろの「最後の審判」に見られるような、審判者のキリストも‥堕地獄者もいない。そこにあるのは大地の崩壊と、洪水のうねりと、風の渦巻きと、『暗闇のそこかしこを照らし出す、天の狂暴な稲妻のような運動』だけである。レオナルドの描く終末は、神も救いもない無慈悲なこの世の終りであり、四大元素による地上の全生命の抹殺である。」


 レオナルド・ダ・ビンチの手稿をもとにした彼の自然把握、地質学に対する飽きなき興味などについてはとてもよく理解できた。それは現在の地球物理学にも通じるものであり、「重力」という概念や「プレートテクトニクス」によってはじめて解明されたものへの興味でもあった。
 レオナルドの自然観が当時のキリスト教と相いれそうもない大胆なものであったことも理解できたとおもう。何よりもレオナルド・ダ・ビンチの描いた作品の背景の世界がいままでよく理解できなかった。あまり鮮明ではないので。鑑賞の楽しみの一つになったと思う。問題はメインの人物や描いてあるものと背景の世界との関係ということになる。これもこの書を思い出しながら、作品に即して考えてみたい。
 この前半部分はこの書を読んでよかったと思ったところである。
 しかし最後の「モナリザ」のモデルはだれか、というところに行くと、推理小説風の展開で、あまりにそれへのこだわりにはちょっとついていけなかった。

      

月見団子の思い出

2018年10月22日 00時20分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日付が変わってしまった。

 昨晩、実に47年ぶりくらいに月見団子をスーパーで購入した。こし餡入りの小さな団子が6つ、そのうちのひとつは黄色に着色してあった。購入するときは栗かなと思い込んでいた。妻からは栗だったらもっと安いはず、騙されたんだよ、と笑われた。確かに月に見立てて黄色に着色した団子であった。栗と思い込んだのはご愛嬌。
 これをデザートがわりに食べた後、ベランダから十三夜の月を撮影した。ミラーレスで撮影しようとしたが、シャッターがうまくおりず断念、スマホで撮影した。

 学生の頃、同じアパートに住む仲間と麻雀をしながら、事前に購入してきた大福を月見団子に見立てて隣の家の車庫の壁しか見えない窓にそなえてみたことがある。麻雀をしながらの夜食がわりである。月など見えない窓だったが、何となく童心にもどり、月見をしている気分になった。
 どんな会話をしたか、どんな冗談を言いながら麻雀をしていたか、まったく覚えていないが、皿に大福を積み上げたことと、気分転換にアパートのまわりを5人で一周して、満月を見たことだけは覚えている。その大福はウィスキーをチビチビと飲みながらいつの間にか一人3個も4個も食べてしまった。今思うとよくも食べたものだと思う。
 その時以来、月見団子などを食べることはなかった。その時の先輩や同学年の友人は今、何をしているのであろうか。今連絡が取れるのは一人だけである。

明日は通院

2018年10月21日 22時47分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日はまた朝9時に病院の予約。採血をしてから診療科に予約票を提出するので、出来れば8時半過ぎに病院の受付を済ませたいのだが、毎週どうしても9時直前になってしまう。今度こそ、と毎回思うのだが起床出来ない。

 本日はあまり読書が出来ず、少々イライラ。明日は待ち時間の間に「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘、中公新書) を読み終えたい。
 午後からは、本郷台駅前のアースプラザで「古代史セミナー」の講座がある。間に合うかどうか微妙なところである。入院で2回参加できなかったので、是非参加したいところ。
 昨日のみなとみらいの講座も2回参加できなかった。共に残念である。

 本郷台駅までの往復の間、または講座に間に合わなかったときのためのコーヒータイムに読む本をこれから選ぶことにした。

十三夜の月と火星

2018年10月21日 20時13分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 JRの駅まで出向いて、100円ショップへ。書見台をひとつ購入。小さいものだが、一応A4も載せられる。使い勝手がいいかわるいか、実際に使用して見ないと何とも言えない。使えなければ108円の無駄遣い。そうなったらやさしく許してもらうしかない。



 一昨日は月のすぐ近くに見えた火星はもうだいぶ西の方に離れている。というよりも月が火星から東へ離れて行った。本日は雲もなく、十三夜としては申し分はない。だが、へそ曲がりの私には通り過ぎる雲がないととてもつまらない。月は雲に隠れたり、半分雲に隠されたり、見えそうで見えなかったり、というのが私の好みである。本日は残念ながらこのような具合にはいかず、ずっと澄んで見えている。

★野仏の片頬照らす十三夜    山本英昭

 月は現代ではますます観念的、そして一過的である。月そのものとして自立的な素材ではないのではないか。この句も野仏が主であり、野仏のあり様のひとつとして月に照らされた常幹が詠まれていると私には思える。月に生活感がないがゆえに成り立つ句、と断定してしまいたくなる。単に私の思い付きだけだろうか。

本日は「後の名月」

2018年10月21日 11時25分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
“十五夜から約1か月後となる旧暦九月十三日の月は「十三夜」「後(のち)の月」と呼ばれており、この日にもお月見をする習慣があります(十五夜と同様、毎月十三日の夜が十三夜ですが、とくに九月十三日を指すことが多いです)。2018年は10月21日です。豆や栗をお供えすることから「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。”
とアストロアーツのホームページ【⇒https://www.astroarts.co.jp/special/2018moon/index-j.shtml】に記されている。
 月の出は15時27分、月が沈むのは日付が変わって3時2分、南中(真南に見える瞬間)は21時11分(東京での時刻)となっている。さいわい本日の横浜市域の天気予報は、深夜まで晴れ、降水確率0%である。

 季語としては「名残の月」ともいう。

★木曾の痩せもまだなほらぬに後の月    松尾芭蕉
★三井寺に緞子の夜着や後の月       与謝蕪村
★稲懸けて里しづかなり後の月       大島蓼太
★すみきつて木の陰凄し後の月       高桑闌更
★後の月水より青き雲井かな        三浦樗良
★静かなる自在の揺れや十三夜       松本たかし


 江戸期の俳句が並んでしまった。最後の句の松本たかしは1956年に亡くなった現代の俳人であるが、ここで詠んでいる内容は古い情景を手掛かりに新しい月と月にまつわる生活感を手繰り寄せようとしているところが気に入った。

 やはり月が身近に、そして生活に密着していた江戸期の句に月の情緒はより生きている。私も月を見る機会は他の方よりも数十倍も多いだろうが、いにしえの人と比べると生活感は希薄。俳句の性格からすれば、生活感の薄い季語はどんどん捨てられたいくべきものだと思う。新しい時代に即した月への感慨というものも欲しいと思う一方、都会の生活の中で顧みられなくなった月、感慨は空洞化し、観念化、固定化してしまうのだろうか。とても寂しいものがある。そうはいっても、能力の欠如ゆえ、自分では何ものも付け加えられないもどかしさが募る。

本日の講座「考古学が描きだす‥」

2018年10月20日 22時11分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 21時前には雨は上がったようだ。雨の区域は急速に南下して陸地を離れていく。埼玉県や東京都下には雨の区域はない。これ以上降らないで欲しいものである。雷注意報も21時過ぎに解除になり、神奈川県下では警報も注意報もなくなった。



 本日資料を貰って来た神奈川大学の講座は、「考古学が描きだすヤマタイ国時代の列島の姿Ⅱ 最新発掘情報による古代史像再考」という昨年からの引続きの講座。5回連続であと2回。初回から3回分の資料を貰ってきたが、これを講義抜きで理解できるのは難しい。初回から聴きたかった。残念である。
 一応今晩、目を通してみるが‥。

 いつも受講している「古代史セミナー」とはまた違った角度からの列島の古代史である。


強い雨が降り出した

2018年10月20日 18時10分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 みなとみらいにある講座の会場から横浜駅まで歩いてみた。ビル風で舞っているので風向きはわからなかったが、生暖かい風が吹いており、黒い雲が少しずつ多くなっていた。
 横浜駅からはバス。降車した時は空のほとんどが低い暗い雲に覆われ、今にも降り出しそうであった。17時半過ぎには降り始めた。講座を受講せずに資料だけを貰って帰って来たのは残念であったが、雨に会わなかったことを考えると悪い判断ではなかった。

 レインアイよこはまの画面を見ると、一時は時間雨量50ミリを超える雨となった。今は小康状態。しかし遠くでは雷鳴がとどろいている。雨の区域は都内の京浜東北線沿いに北から横浜に向っている。雨はまだまだ続きそうである。

 夕食は早めに食べ終わり、19時からの会議の準備をこれから。

久しぶりに講座だが‥‥

2018年10月20日 11時29分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から太陽が顔を出したり、雲に隠れたりを繰り返している。最高気温は22℃の予想ですごしやすそうだが、残念ながら午後からの降水確率が40パーセントとなっている。

 本日は入院やら自宅療養やらで参加できなかった講座が午後からある。5回の連続講座のうち始めの2回が参加できなかった。本日が3回目。しかし講座は17時まで。終了後帰宅すると団地の会議にはギリギリ。夕食を摂るゆとりが無くなる。
 時間的に慌ただしいことは退院後避けている。気分的にも余裕がないのはつらい。おおぜいの人の間でじっと座っているのも敬遠したい。ということで、受付後、資料だけ貰ってくることにした。
 本当は参加できなかった1回目、2回目にとても興味があった。残念である。昨年から引き続いての講座でもあり、来年もまた続くことを期待したい。

本日はこれにて店じまい‥

2018年10月19日 22時20分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の『「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘書)から 2』の記事の最後の部分を加筆・訂正。もっときちんと点検しなくてはいけないのだが、日にちを置いてから読みなおすとまずい点が多々見つかる。いつも冷や汗ものである。小説家の原稿なども添削のあとがいっぱいで、幾度も清書を繰り返したりしている。本人だけでなく、編集者などからの意見も含めて文章というのは良くなっていくものなのであろう。

 昼間の下痢のことがあり、そして寒さを感じたので小さなひざ掛けを出してもらってお腹に巻いてみた。なかなかいい。お腹の痛みや下痢は止まっている。一過性のものだったと思われる。ホッとしている。

 明日はいよいよ久しぶりの団地の理事会。ほぼ2か月ぶりの復帰になる。今から緊張気味。

浦島太郎

2018年10月19日 19時43分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は気温が低く、寒く感じた。昼間の下痢のせいもあるようだ。結局一日外に出ることはなく、いつの間にか夕方になってしまった。何事もしていないという思いがある。団地の管理組合の資料をもらって目を通したのだが、なかなか頭の中に入らない。困ったものである。
 明日は理事会に出て、1か月半以上の休養のお詫びをしながら、回議の雰囲気に慣れたいと思う。会議に出ないと、資料に目をとおしても理解できないところがある。たった2カ月に満たない休養にも拘わらず、ここまで浦島太郎のような状況というのは、悲しい。

 これより夕食後の休憩、読書タイム。

つらい下痢

2018年10月19日 14時16分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 下痢の話なので、不快に思われるだろうかたはスルーしてほしい。

 医師から当面は辛いものなどの刺激物は控えるように云われていた。ところが昨日の昼、団地のごく近くのイタリアンの店で、ペペロンチーノなどを妻と食べてしまった。トウガラシとニンニクが入っている。トウガラシは細かく刻んだものでそれほど辛くはなかった。ニンニクは3かけらほど入っていたと思う。久しぶりに本格的なイタリアンで美味しく食べた。
 ところが先ほど突如、激しい腹痛と下痢に襲われた。昨日何を食べたか考えて、昼間のペペロンチーノのトウガラシとニンニクに思い当たった。血をさらさらにする薬を飲んでいるので、慌てて便器を除いたりしたが、さいわい血が出ている様子はなかった。
 便所からでて20分ほどしてようやく痛みとヒリヒリ感が消えて、落ち着いてきた。

 本日のランチ、私は「函館みやげ」の白クマラーメンをつくって食べた。しかも麺をかなり柔らかく茹でて、野菜も十分に火を通したものを食べた。これが原因とは思われない。

 これに懲りて、夕方からはまた消化に良いもの、胃腸に刺激を与えないものに心がけることにした。

 まだまだ本調子に戻ってはいないことを思い知らされた。
  

累積訪問者70万超えに感謝

2018年10月19日 10時24分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 このブログの累積訪問者数が昨日で70万を超えた。訪問してもらったかた、訪問してくれている皆さん、ありがとうございます。
 このブログに登録したのが2007年7月6日、丸2年放置状態ののち、投稿を始めたのが2009年8月1日。今のように毎日複数回投稿するなどとは思いもよらず、8月は13日間で13回の記事を投稿した。それ以来9年2カ月余り、これで6595回目の投稿となる。そして現在は毎日400~500の訪問者がある。

 当初は覚書風、次第に美術館の感想や俳句関連などを綴るようになって今日に至った。以前は旅行・登山、各種講座の記事も多かったが、最近は日誌風の記事が多くなった。それだけ内容が薄まってしまったことは否めない。
 公開日記などは当初は想定もしていなかった。そんなに自分をさらしてどんな意味があるのか、と考えていたが、書き続けるうちに何となく、書くこと・投稿すること・文章を綴ることが楽しみになってきた。自分を晒すといっても秘密の日記ではないので、避けていることは膨大にある。あくまでも覚書として、また自分の考えの整理のひとつとして利用している。
 そんな投稿でも面白くお付き合いしてくれている皆さんには感謝するばかり。読みにくい文章、つまらない思考なのかもしれないが、ちょっとでも面白いと思ってもらえればうれしい。

 私もとうとう60代後半という年齢になってしまった。今年はインフルエンザにかかり、門脈血栓症という珍しい病気にもなるなど、これまでのような頑強な体ではなくなってきている。少しずつ体力が衰えていることは確かである。山登りの回数も気力も減少している。膝がますます悪化している。入院してからの気力の回復もままならない。
 さいわい好奇心はまだ健在である。これからも好奇心を保って、ブログを続けていきたい。

「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘)から 2

2018年10月18日 23時27分50秒 | 読書


 「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘、中公新書) を引続き。第7章までに取り上げられたレオナルド・ダ・ビンチの絵画は、「モナリザ」、「受胎告知」、「三王礼拝」、「聖ヒエロニムス」、「岩窟の聖母」(ロンドン・ナショナル・ギャラリーの作品)、「最後の晩餐」、「聖アンナと聖母子と子羊」及びその他各種手稿。
 この本では、レオナルド・ダ・ビンチの鏡文字による手稿が地質学関連のものであったことから議論が進められている。このようなことは初めて読んだとおもう。手稿が膨大で、さまざまな分野の事に及んでいることは流通している。イタリアにおける地質学、特に高山において複数の地層から海に生息する貝の化石が出ることによって、地球の形やノアの洪水に相当するのが複数回あったことになる、などの論考が紹介されている。
 作品解説書というよりは、地中海世界の地質学の解説書の様相である。絵画よりも地質学関係の興味がないとなかなか読み進められない。また逆にこの方面に興味があるととても刺激を受ける本である。

 「レオナルドはは最大の権威である神の言葉の前でも科学者であることをやめない。‥(レオナルドという)15世紀に登場する新しいタイプの科学者は、前世紀のスコラ学者のように権威者を引用する学殖も、緻密で抽象的な論理構築力もなかったが、その半面、過つことの無い経験に裏付けられた強烈な自信と、知的大胆さと、自由な発想力を備えていた。したがって無学なレオナルドが、その無学ゆえに全盛期の学説を熱心に学んだとしても、彼は中世の大学の講義に出席する学生のように、教師の言葉を一語一句聞き漏らすまいと、書き取って学んだわけではない。彼は自分の経験から生まれた仮設を補強してくれるかぎりにおいて、権威者の説を利用したのであって、かつての新プラトン主義的大地理論の場合と同じように、もしそれが自分の口に合わなければ、容赦なく吐き捨てたのである」(第6章)。

 この本、まだ読み終っていないが、レオナルド・ダ・ビンチの絵画の背景に描かれている山岳風景を、画家の興味のあった地質学的に解明するという点で、刺激的な本である。特に悩ましいのは、大地の隆起の力学的な原因の叙述。これが当時も、そして当時の理論を理解する現代の私たちにも難しい点である。現在では基本はプレートテクトニクス理論で解明されているが、レオナルド・ダ・ビンチの時代は15~16世紀である。