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再会の食卓 (2010/中国)(ワン・チュアンアン) 80点

2011-03-02 14:50:44 | 映画遍歴
戦争という深い河が愛し合う二人を引き離す。女は本土で敵軍の将校に身ごもった体を預ける。男は台湾に逃亡し、そこで新たな生活をするも、妻の死に遭遇し、忘れられない女を求めて本土にやって来る。そう、舞台装置は整った。この映画は愛の映画である。

この手の話は世界中どこにでも存在し、映画でも古今東西名作を輩出してきた。(小品だが【デ・シーカ】の『ひまわり』も然り)。しかし、この作品の場合、特筆すべきは主導権が女にあるということだ。女は夫との間に二人の娘、孫、そして当時身ごもっていた息子が一人いる。これが日本であったら、元夫より家族、友人たちとの歳月をまず考えるであろう。

しかし、女は夫には感謝こそすれ愛はないので、元夫のところに行きたいと即決する。年をとってはいても容貌がまだ色香ときめく【リサ・ルー】を配置したことから、この映画は大陸的なスケールの大きな映画に変貌する。

彼女は日本の【山田五十鈴】によく似ていると思う。情念の人であるように思う。家族を、家を捨てることは全く躊躇しない。たった1年の結婚生活では成就し得なかった愛を成し遂げるため、すべてを捨てても愛する男の下に行きたいと願う。

妻の気持ちを一番よく知っている夫は即それを許すが、本心は決して出すことはしない。食欲だけが旺盛だった男が妻の気持ちを知り、日々食べられなくなってくる。それでも、中国のお客様へのおもてなしの食卓を常に最上級に用意する。

一番分からないのは台湾から女を求めて上海にやってくる男だ。40数年、女をほったらかしにしておいて(やむを得ない状況下にあったにせよ)堂々と人のものを取りに来る神経を普通はまず疑う。男は台湾で女を思い、そのため独身で通したわけではないのである。娘に揶揄されるように妻がいなくなってスペアが欲しい、いわば調子よすぎる再会なのである。

それでも、女はすべてを投げ捨てても男と晩年の数年間を過ごしたいと決めたのである。この辺りは、女の気持ちが揺れ動くわけでもなく、僕はやはり大陸的な女性だと思う。女性で、子供、孫から離れ友人たちからも離脱し、見知らぬ所に愛する男と行きたいという情念の人。時に、人は年齢に関係なく、その人の人生からは思いがけない行動を起こさせることもあるのだ。

しかし、、。

ちょっとした新派劇でもある舞台設定だが、この映画の、でも本来のテーマはラストの数分にあるのだと思う。中国の近代化による人間疎外、そして瞬時の判断による人生の成り行き。夫は自分の本当の気持ちを押し込めたがために軽い脳こうそくで倒れ、それがもとで妻は自分の心にブレーキをかける。

男は台湾に戻る。女は高層住宅で変わり果てた中国の街並みを見ながら、退屈な日常を生き、そして愛してはいない男に寄り添って生きていくことを選ぶ。(自分の息子が暗い性格なのは新婚時代の母親を投影しているのかもしれない。しかし彼女は気づいてはいない。)

でも、それはあらかじめ予定された彼女の人生なのだ。彼女がもし台湾に戻っても、(これからは想像だが)愛だけでは暮らしていけない日常が待っているのだ。

でも女は情念の人である。その彼女が40数年と同じ歩調でまた歩み始めるラスト。夫と孫の世話を焼く食卓が心なしかさびしい、、。

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