目が不自由だということがそれほど重くならない、青春映画に徹しているところが素晴らしいと思う。題名にもあるようにテーマは青春前期の希望だ。希望がなければ人間は生きていけない。光は誰もが生き続けるその時の暖かさまで感じ取れるのだ。
目が不自由な人が何気ないところで困惑するそんなエピソードを、じっくり丁寧に描きこんでいるのが分かりやすく素晴らしい。例えば教室から自室までどうやって一人でたどり着けるかということも重要な自立し、生きていくための手段なのだ。映画ではそれをじっくりと呼吸を感じ取るほど描きこんでゆく。
カメラは大胆に切り替わり、しかも素晴らしいショットの連続だ。セリフもそれほど多くはない。まさに青春映画はこうであるべきとのお手本でもあるようだ。じっくりと観客は主人公たちの心にそっと入っていくことができる。まさに人生の光にふれていくのだ。
ダンサー志望のシャオジエが言う。「もし目が見えるようになったらユィシアンはどうしたい?」 彼はちょっと考えて、「うーん、光があふれるカフェテラスの窓際に座り友人と話をしたいなあ。」(こんな感じだったかな?) すごく素敵だなあと思う。光を感じたいのだ。希望それはユィシアンの切実な夢でもあるのだ。
映画ではラスト近くまさにユィシアンがカフェテラスの光あふれる窓際に座っている。シャオジエが入ってくる。彼女の空気感だけでユィシアンは彼女が来たことを知っている。入り口にはシャオジエのコンサートポスターがさりげなく貼られている。
光に触れるすなわち希望を持つということは青春のまっただ中だけの人たちの特権ではない。人は希望がないと生きていけないのだ。それは歳を重ねた人間でも同じである。僕にも十分希望をもらった。光あふれるそれは明日への勇気であった。
素晴らしいラストである。
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