メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

横浜みなと博物館 ほか

2012-10-16 20:52:21 | 町歩き
天気も良いことだし、前から見たかった横浜の博物館に行ってみた。
桜木町駅から徒歩5分程度で、すぐに大きな帆船が見えてくる。
今日は、幼稚園児や、小学生低学年のコらの社会科見学と一緒になって、
元気のいい子どもらに混じって見学
見学時間がタイトらしく、20分程度で広い館内を見て回るのはムリだよねぇ
「ほら、行くよっ!」てリーダー格なコがほかのコを急かしていて、
いろんな貴重な展示物を走りすぎる姿にはちょっと複雑。。
大人になったら、またゆっくりおいでね


帆船日本丸



これと「横浜みなと博物館」の2つが同じチケットで見れる。
航海訓練の練習船として造船されて活躍した。
さまざまな部位に「ドッグ」とか「サル」とかって動物の名前がついてるのが楽しい
船なんてめったに乗らないから、海上で生活するための工夫に感心しつつ、
毎日のように揺れてて、周りが全部海なんて状況じゃあ、
どんなにレジャーの整った豪華客船でも耐えられないなと想像
毛布のたたみかたが全部花みたいな形になっていたけど、意味があるのかな?


park cafe green

 

博物館に入る前にまずは腹ごしらえ。
博物館の1Fにあるミュージアムショップの奥にあって、
木のテーブルからは帆船が見える、とっても居心地のいいオシャレなお店。
ホットドッグのセットだとガーデンサラダ(2種類から選べる)とドリンク付き。
チップスがポテトじゃなくてとうもろこしっぽい感じで、
油で揚げたてなのかカリカリ!ケチャップとか欲しかったな


横浜みなと博物館

 

1Fは総合案内所、ショップ、カフェのほかはガランとしていて、
B1Fに展示物がキレイに並んでいる。まだ新しい
サイトの館内案内図を見てもらうと分かるとおり、
開港から始まって、横浜港の移り変わりが分かりやすくテーマ別に分けられている。

黒船(異人船)がやって来た時、みんな恐がるどころか珍しがって毎日見物人が来るから
「異船見物無用」って看板をたてたんだけど、それでも絶えなかったんだって

「ハマ言葉」には、日本語だと思っていた言葉も外国語由来だと知ってビックリ。
例:メリケン、チャブ台、ポンコツ など

今も一部が残っている赤レンガ倉庫は、元は輸入品の保管庫。
関東大震災時には、港に停泊していた船がけが人を大勢救助した。
横浜は江戸時代の頃の埋め立て地だったため被害も大きく、地震での倒壊、その後の火事で焦土と化したが、
横浜港は最も重要な港だったので、すぐに復旧された。
瓦礫の埋め立てられた地に山下公園ができた。

生糸産業がさかんになる。
海岸の埋め立てで生まれた「京浜工業地帯」。

太平洋戦争が勃発すると、軍事工場が多かった横浜は何度も空襲に遭い再び焼け野原となった
占領下ではアメリカ軍が港の9割を接収復興にも影響した。
街は英語で溢れ、製品には「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」と刻印された。
闇市が生まれ、日用品からカストリまでなんでも揃った。
民衆の間から「接収解除運動」が起こる。
大正時代には、「ブラジル移民」が急増する。国が費用を全額出した。

【カストリ】
第二次世界大戦終戦直後の日本で出回った、粗悪な密造焼酎の俗称。
酒粕を原料に蒸留して製造する「粕取り焼酎」が語源だが、
本来の良質な粕取り焼酎とはまったく別のものである(ウィキ参照


美空ひばりさんは、横浜生まれ。横浜を詩にした歌謡曲、映画もたくさん作られる。
開港百年記念にマリンタワーが建造される。
コンテナ船の出現。
桟橋の下には何十本の松杭が埋め込まれている模型がすごかった。

たくさんの船の精巧な模型も展示されていて、思わず見とれてしまう。
秩父丸:戦前日本最大の客船
東京丸:マンモスタンカー
氷川丸:太平洋戦争で生き残った唯一の大型客船
砕氷艦しらせ、ふじ:南極観測船
飛鳥II:日本籍では最大の客船(こないだの「モヤさま」で出航の際、大江アナがなぜか号泣してた気持ちも分かる

日本は、外国からほとんど輸入しているってことを学べる
キッチンの模型もリアルで分かりやすかった。お米だけが自前なんだね


企画展「魅惑の日本の客船ポスター」
集客などのために描かれたポスターを集めた特別展。
日本女性が船に乗っている美人画から、後には船のアップや写真へと変わる。アール・デコもあった。
大阪商船、日本郵船が力を入れていた様子がポスターから伝わってくる

東京から満州へ列車と客船の切符が一緒になったものも売っていた。
太平洋戦争では、客船は空母に変わる。
ぶらじる丸:戦後初の移民客船
あるぜんちな丸:にっぽん丸と改名してクルーズ船になった
平成元年は「クルーズ元年」と呼ばれる。

【ゲオルギー・ヘミング】
ピアニストのフジ子・ヘミングの父で、ロシア系スウェーデン人の画家・建築家。


まだまだゆっくりしていたかったけど、博物館などは夕方5時には閉まってしまうから、
場所を馬車道駅のほうに移動して、こちらも見てみたv


神奈川県立歴史博物館



常設展示は2、3Fで、3Fから順路なので、先に観始めたら、
途中で館内放送があって、1Fの企画展の説明が始まるってことで
説明されてるボランティアの方にうながされて行ってみたら、
聞いているのはほとんど中高年の方々
しかも、みなさん歴史好きっぽくて質問も熱心だった。


特別展:武家の古都・鎌倉
スタッフさんが数人いて、1章から7章くらいまでに分けて説明してくれた。
漆塗りの器や、青磁器が大量に出土されて、復元も追いつかないほど/驚
当時、青磁の青色が貴重だとされて、青磁器を持っているのがステイタスだった。
武家だけじゃなく、民間人も持っていたのが謎。
北条氏の三鱗文マークもいろんなものに見られる。
繊細な模様デザインには、京都へのライバル意識が垣間見られるという。

【板締染】
板に動物や植物などの模様を彫り、もう1枚と合わせ、色を流し込むと、
線の部分は染まり、背景部分は白く残るという技法。


塔の下に焼いた遺骨を埋めるのが、当時最高の供養と信じられていた。

鎌倉時代以降は、貧しい村のひとつとしてほとんど忘れられていたが、
大正、昭和の都市開発によって、遺産が掘り起こされると同時に多くが失われた。
市民運動で開発が停止され、観光地として注目されるに至った歴史も忘れてはならないと締めくくっていたのが印象的。


さて、常設展に戻ったのはもう午後4時で、早足で見て回らなきゃならなかったけど、
各フロアに1人ぐらいの勢いでボランティアの方が常駐していて、
とっても親切に丁寧な説明をしてくださるから、もっとゆっくり話を聞きたかったな。

お寺や仏像は、本物だと思って聞いていたけど、複製が多いって知って、
現代の復元技術、職人技に逆に驚いた まるで何百年も経ったような風合い!
「複製のほうが本物よりお金がかかっているんですよ」なんて言っていたし

この博物館自体、横浜正金銀行だった旧館と、正面玄関にあたる新館部分に分かれていて、
設計者は、辰野金吾とともに3大建築士と呼ばれた妻木頼黄(つまきよりなか)
ちなみに、もう1人は片山東熊。
震災の際、半分は倒壊、内側は火災で焼けたが、骨組みだけは残ったため
後に修復して銀行として使い、現在は博物館に生まれ変わった。

館内あちこちに可愛いジオラマがたくさんあるのも楽しい
時計を気にしつつ駆け足で観て、ショップでポストカードを買って、
帰りは馬車道駅からみなとみらい線に乗った。

今日も充実した1日でした~。
その他の写真はフォトチャンネル一覧でどうぞ~!
チャンネル「ch 146676」の「r01~r23」までです。

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イメージの森のなかへ『ルソーの夢』(二玄社)

2012-10-16 20:52:20 | 
イメージの森のなかへ『ルソーの夢』(二玄社)
利倉隆/構成・文
どこかで観た感じがしてたけど、2009年に借りてた!ま、いっか
1枚1枚の絵から生真面目さが真っ直ぐに伝わってくる。
自画像も、全然サッカーらしくない「サッカーをする人たち」もw

静物画は退屈で好きじゃないけれども、
ルソーの「花」なら、いつまでも褪せない鮮やかな色の共演を楽しめることだろう。
いつか原画を間近で眺めて、この森の中に入ってみたい。

【本文抜粋】
緑はルソーがもっとも愛した色です。
ルソーの絵は、まるで絵本に出てくる絵のようです。
(なるほど、だから好きなのかな。緑が多くて、絵本みたいで、動物がたくさん出てくる
密林の絵を描いたけど、彼はフランスから一歩も出たことがなかった。
27歳から20年以上もパリの税関役人として勤めていた日曜画家だった。

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『天動説の絵本 てんがうごいていたころのはなし』

2012-10-16 20:52:19 | 
『天動説の絵本 てんがうごいていたころのはなし』(福音館書店)
安野光雅/著
1979年第31刷と長い歴史をもつ1冊。
安野光雅さんによる細かく描きこまれたイラストがステキ。

自然の営みに触れるにつけ、災害が起きたり、疫病が流行った時も、人々は神に祈り、悪魔を信じた。
船乗りらは「地面は丸いらしい」と言い始め、
天文学者の中には「星ではなく、地面が動いている」と言った人もいたけれども、
誰も信じられずに、裁判にかけられた学者や、火あぶりにされた男もいた
冒険好きな男が金の国の話をして、西へと旅をする航海が始まる。。

【本文抜粋】
この本は、もう地球儀というものを見、地球が丸いことを前もって知ってしまった子どもたちに、
いま一度地動説の驚きと悲しみを感じてもらいたいと願ってかいたものです。

天文学者は「星占い師」でもあった。

15世紀を中心に処刑された魔女の数は少なくとも30万人を下るまいといわれている。

ローマ法王が「かつてガリレオが教会側からの苦痛を被ったことを認める」と
正式に非を認めたのは、1983年のこと/驚

その他の登場人物は、ピタゴラス、アルキメデス、アリストテレス、プトレマイオス、マルコ・ポーロ、
ケプラー、コロンブス、マゼラン、ガリレオ、フーコーなどなど。

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