メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ますむら版宮沢賢治童話集『カイロ団長 洞熊学校を卒業した三人』

2012-10-18 13:16:58 | マンガ&アニメ
ますむら版宮沢賢治童話集『カイロ団長 洞熊学校を卒業した三人』(偕成社)
ますむらひろし/作画

ますむらさんが賢治の童話を絵にした本が、立派なハードカバーシリーズであるなんて
この「ますむら版宮沢賢治童話集」はほかにも以下があって、全部制覇したいと思ったけど、
近所の図書館にはこの1冊しかなかった/残念

『風の又三郎』
『グルコーブドリの伝記』
『銀河鉄道の夜』
『銀河鉄道の夜 ブルカニロ博士篇』
『雪渡り/十力の金剛石』
『猫の事務所/どんぐりと山猫』

今回の2編もどこかで読んだ気がするけれども、改めて1文1文がますむらさんによるイラストで
その味わい深さまで正確に視覚化されると、賢治の文章がすぅっとココロの底に届いて
賢治×ますむらさんの組み合わせは、これ以上ないベストマッチすぎる


【カイロ団長】
虫たちに仕事を依頼されて庭づくりなどをして楽しく過ごしていたアマガエルたち
ある日、巨大なヒキガエルの店で、舶来のウヰスキーを飲みすぎてしまい、
代金が払えず、家来となって働くも、「木を千本集めてこい」だの難題ばかり。
「できなきゃ、警察に届ける。そこではシュッポンと首を切られるぞ」と言われ、
アマガエルたちはみんな透き通るほど参ってしまう。

そこに、カタツムリのメガホーンの音色が響き、王さまの命令が下る。
それは、「ひとに物を云いつけるときは、そのいいつけられるものの目方で
自分のからだの目方を割って答えを見つける」とか、「一ぺん自分で二日間やって見る」とのこと。
喜んだアマガエルたちは、ヒキガエルに巨大な岩を運ぶよう言う。

囃し立てられて引っ張ってはみたものの、とうとう足が曲がってしまい、
アマガエルたちは、どっと笑ったあと、急にしいんとなってしまった。

「それはそれは しいんとしてしまいました
 みなさん この時のさびしいことと云ったら 私はとても口で云えません
 みなさんはおわかりですか ドッと一緒に人をあざけり笑って
 それから俄かにしいんとなった時の このさびしいことです」

そして、もう一度王さまからの命令がある。

「すべてあらゆるいきものは みんな気のいい かあいそうなものである
 けっして憎んではならん」

アマガエルたちは、ヒキガエルの手当てをすると、悔悟の涙を流して謝り、
「私はもう団長でもなんでもありません。私はやっぱりただの蛙です。
 あしたから仕立て屋をやります」

 

庭のあちこちにある、ちょっとした作庭がカエルたちの仕業だってステキなアイデア
「ヒキガエルが退屈そうに舌を出して遊んでいた」とか、
「十一匹のアマガエルをもじゃもじゃ堅めてべちゃんと投げつけた」とかの表現に笑ってしまい、
アマガエルたちがしーんとなった様子の描写には、鼻頭がツーンと痛くなって泣いてしまった。



【洞熊学校を卒業した三人】
洞熊学校に入学したのは、赤い手の長い蜘蛛と、銀いろのナメクジと、顔を洗ったことのない狸というフシギな顔ぶれw
いっしょに卒業して、恩師の謝恩会や、互いの離別会などして、
表向きは仲良さそうだったが、みんなこいつには負けたくないと思っていた。

蜘蛛は、最初小さい巣からはじめて、小さな虫を騙しては食べ、
一度は虫けら会の副会長になったことを自慢していたが、
大きな巣をたくさんかけすぎて、食物が腐り、自分や妻子にもそれが伝染して、
雨に流されてしまった。

ナメクジは、カタツムリなどに「あなたと私とは云わば兄弟」などといって、
相撲をとるふりをして、相手を溶かして食べていたが、
こんどはカエルに塩をまかれて、自分が溶けてしまった。

狸は寺に帰り、頼ってきたウサギなどを「なまねこ なまねこ」と念仏を唱えながら食べてしまう。
「すっかり騙された。お前の腹の中はまっくろだ。ああくやしい」
狼と彼が持っていた籾も一気にたいらげたために、腹がボローンと鳴って裂けてしまう。

  

虫の絵はリアルで怖い


【ますむらさんによるあとがき】
赤い蜘蛛って一体何て種類の蜘蛛なのか?いろんな文献やら人を頼って苦労されたエピソードなど。

以下本文抜粋。

「あるとき、三十匹のあまがへるが、一緒に面白く仕事をやって居りました」

ここに、賢治の「労働への夢」が込められている。
仕事というものは、他者と一緒に、そして面白くやりたいものだと、彼は夢見た。
しかし、現実の人々はみんな洞熊学校を卒業して、他者との競争を始めてしまうのだ。
そして成功者はカイロ団長のようにたくさんの雨蛙の社員をもつ羽目になる。

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画家 安野光雅 「雲中一雁」の旅

2012-10-18 12:39:57 | 日記
画家 安野光雅 「雲中一雁」の旅@NHK日曜美術館
安野光雅さんの描いた絵本に触れるにつけ、どんな方が気になって見た。
代表作の「旅の絵本」全7冊が紹介され、名画や聖書のアイデアなど隠れたユーモアもあって楽しいv
各国を旅して絵に描き、その集大成である日本の旅のまさに制作風景も貴重。

スタートは故郷の津和野
記憶の中の原風景が次々と現れるさまは本当に溜め息が出る
繊細でかつ見ていて安心する絵。
エンピツでの下書きペンで線を描き太い筆で水彩の色づけ
どんなに時間と手間がかかっても「これしか出来ないからね」と言う。
むしろ色をつけない白い空間の残し方も素晴らしい。

幼い頃から絵を描くのが好きで、漠然と「絵描きになりたい」と思っていた。
『少年倶楽部』の村田さんにそれを短い手紙で送ったら、長い長い返事が返ってきたという。
その他、「絵本 平家物語」「絵のある自伝」など著書の数はたくさん
近年、大病を克服。「がんに完治はない。ハードだけど生きていくというのはそういうこと」

日本の旅篇では、四季と、労働の合間の祭りなどの楽しみを描きたいという。

「今の世界は感心しない。昔は電気がなくても暮らせたし、なにも不自由とは思わなかった。
 しかし今は、原発をなくして電気が少なくなったら暮らせないという生活形式からの脱却が必要ではないか」

という言葉に重みを感じた。



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学習漫画 世界の伝記11『シュバイツァー』

2012-10-18 11:49:14 | 
学習漫画 世界の伝記11 集英社版『シュバイツァー』(集英社)
いかにもがっしりとした体格で、剛健な人だったんだな。
全然関係ないけど、マンガ『パタリロ』にシバイタロカ博士っていたよね

【本文抜粋】
シュバイツァーの父は牧師。「アーメン」はそうあってほしいの意。
恵まれた少年時代に、「世の中には肉のスープも食べられない不幸な人たちがたくさんいる。
30歳までは好きな学問と音楽に打ち込み、そのあとは不幸な人々のために尽くそう!」と決心する。

大学で講師をしていたシュバイツァーは、アフリカのコンゴに医者がいないということを知り、
神学の講義をするかたわら、医学部の学生として授業を受け、オルガン演奏会をしたり、
『イエス伝』などの著書も出版して資金を貯める。
当時、アフリカは、地の果て、文化果てる地、白人の墓地とさえ言われていた。

39歳の時、第一次世界大戦が勃発。
フランスのガレソン捕虜収容所に入れられたシュバイツァー夫妻。
『文化哲学』という著書の中では
「より幸福に生きるために、命を尊び、人類は進歩しなければならない」と説いた。
戦後はスウェーデンでの講演と演奏が大好評となり、たった6週間で病院建設の借金を返せた。

イギリス人学生とともに再びアフリカに発つ。
赤痢の大流行と大飢饉が起こり、アドリナンゴで地元民の協力も得て新しい病院を建てる。
ヨーロッパへは資金集めのために2年か3年に一度帰っていた。

第2次世界大戦勃発。
戦後、ノーベル平和賞を受賞する。
1957年妻のヘレーネが79歳で他界、1965年シュバイツァーは90歳で他界した。


解説を書いた高橋功医学博士は、助手として一緒に働いた。

シュバイツァーの哲学の基礎になる考えは、「生命への畏敬」
「自分たち人間は、授かった命を大事にしなければならない。
 そして、相手の命も大事にしなければならない。
 もし、すべての人がそう考えるならば、兄弟はもちろん、親子の争い、隣り近所のいざこざ、
 民族、そして国と国の争い、戦争もなくなるはずだ」

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