出先の古本屋で、マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日』(澁澤龍彦訳)を購入。この題と表紙は強烈だ。もし俺が犯罪を犯したら、「虜」の設定原画集と併せて、俺の狂気を説明する材料にされることだろう(本日、ともに購入した『ある被差別の歴史』[岩波新書]はまるで取り上げずに、だw)。そしてまた痴人たちは、常々頼んでいるとおり、「奴はヤると思ってました」と言ってくれることであろう。タイーホの準備ここに整えり . . . 本文を読む
私はみかんが嫌いではないが、みかんを食べることは滅多にない。というのも、皮を剥くのがメンドくさいからである。いや、より正確に言うならば、「皮を剥く手間をかけても食べたいほど、みかんが好きではない」と言えるだろう。その私が不思議に思うのは、みかんを食べる人間はどんな心境なのか、ということである。皮を剥く価値があると思うほど好きなのか、みかんには皮があるから食べるにはそれを取り除かなければならない、と . . . 本文を読む