「普通に読んでいれば理解できる」という文章をうけて、例えば鳴海孝之が「遥の容態を気にかけて選択肢を選んでいるような描写はない」という意見が出るかもしれない。しかしそれは、見舞いに来た周りの振る舞いを見れば、孝之にも遥の容態への気遣いが存在するのは明白である。なぜ茜はわざわざ中学の制服を着て行ったのか?なぜ水月たちが高三生であるかのように振舞う必要があったのか?それらは全て遥の容態を気遣うゆえのもの . . . 本文を読む
君望の読み方に関して、そのまま読めば理解できる内容であること、理解を邪魔している原因の一つは「感情移入」を無自覚に求める姿勢であること、の二つを指摘した。ゆえに、ただ「感情移入」が「幻想」にすぎないことを自覚して本文を読みさえすれば、少なくとも書いてあることの理解はできるのだと言える(要するに容易である)。これについて、蛇足ながら背景となる記事があることを述べておきたい。まず感情移入に関して、漱石 . . . 本文を読む
ゆえに、細かい状況規定という「文脈」(平時の感覚では読み誤る)、そして鳴海孝之というキャラクターの「理解」が君望を批評する上で「最低限」必要だと私は言っているのである。孝之が「なぜそこで自分の意思を言えないのか」だって?それは例えば、相手がその言葉で容態が急変したり、自殺したりする可能性があると感じる場面にも適応できるのだろうか?これは極端な例だが、孝之が迫られている決断は大なり小なりそういった性 . . . 本文を読む
それは分量を要するため機を改めるとして、最後に一貫した行動原理や考え方について君望自身が立場を明示していることを指摘しておきたい。 遥の見舞いを初めて間もない時、駅前で茜と会話するシーンがある(相手は違ったかもしれない)。そこで孝之は、「とにかく状況に流されないように」、「物事がよりよい方向に進むように行動」といったことを自分に再三言い聞かせている。ここから、孝之が「理想的」な行動をしっかり認識し . . . 本文を読む
前回、鳴海孝之は「感情移入」の対象ではなく、その考え方、行動原理を理解することが求められる主人公であると述べた(YU-NO、ひぐらし、CROSS†CHANNEL、Fateなどの主人公も然り)。そしてそれは、「人の心の移ろいやすさ」というテーマを前提とした表現形式という構造的な必然性があることも指摘した。これについて詳しい説明を付け加えておくなら、そもそも物語の登場人物には、一貫した行動原理が存在す . . . 本文を読む
今日ガソリンスタンドで高校時代の同期と偶然再会した。高校からの知り合いと会ったのは六年ぶりだったもんでえらく驚いたが、何より格好が全然変わっている俺を相手がすぐにわかったのはびっくりだった。 まあそれはともかく、そいつは色々なタイプの人間とうまくやっていた印象があったんで、俺と同じように高校のやつとは全然会ってないというのを聞いて意外だった。しかもクラス会に1.2回行って嫌な雰囲気だったと言うし… . . . 本文を読む
そういった「感情移入」という話が出るとき、おそらくほとんどの人が、今の自分の状況・考え方「のみ」を基準にして移入できるorできないを判断していると思われる。果たしてその人たちは気付いているのだろうか?生々しいキャラクターであればあるほど、その中身は特殊具体的なものになるということに。例えば主人公は第二章の始めから水月と付き合っている状態であり、また後でわかることだが、遥の気持ちは「眠っている」だけ . . . 本文を読む
前回、私は君望を「最低限」理解するのに必要なことを述べた。そしてそれが、本文をそのまま読んでいけば普通に理解できるものであるとも書いた。実際のところ、君望を評価する際もっとも重要なポイントの一つは、テーマを小難しくしたり曖昧にしたりすることなく、わかりやすい形で提示していることにある。そして提示されたエッセンスの一端を一言で表すなら、「人の心の移ろいやすさ」であった。ならば次に問題となるのは、それ . . . 本文を読む
街の方にメイド喫茶ができたという情報を前から聞いてので、ネタ作りも兼て逝くことにした。看板を見て(.∀・)となりながら入ると「お帰りなさいませご主人様」の挨拶が…ほう、つまり俺は貴文でHe is my master!なんだな?
中に入ると人間大の「シャア専用」ザクがお立ちあそばされていた。つうか席にも「シャア専用」があった。ここの店員はわかっているのだろうか?シャアが路離婚ではあっても冥土萌えと . . . 本文を読む
これも誤解のないよう書いておきたいが、以上述べたような批判の姿勢が全ての批評に当てはめるべきとは思わないし、また私自身そのような批評の仕方をしていない。しかしながら、君が望む永遠の場合には、提示するテーマ自体の重みもさることながら、主人公の気持ちを真剣に理解しようとするに足るだけの情報(すなわち感情表現)が与えられているのだ。ならば、それをしっかりと活用しなければ本作の批判も賞賛もできようはずがな . . . 本文を読む