この記事は、元々三ヶ月前に準備をしていたが、単体では今一つ存在価値が薄いため、しばらくお蔵入りにしたものである。しかし、前回Vtuberの夢月ロアにも言及したので、この機会に掲載しておこうと思う。
「タコピーの原罪」に絡めて、日本の経済衰退&社会関係資本の欠乏(共同体の空洞化)についての記事を書いた。
その中で、「現実が砂を噛むようなものでしかないのなら、その逃避先としてVRやメタバースを用意すればよいのではないか」という発想についても言及した。
なるほど確かに、依拠できる場所が複数存在すれば、今いる環境へ過剰に適応しようとする必要もないし、それによって心身をすり減らす危険性は低くなることは事実である。とはいうものの、そういった場所へ過剰な期待をかけるのは禁物と言えよう。
というのも、たとえ仮想空間だろうが何だろうが、人との関係性が続く限りトラブルがやむことはないからだ。
仮想空間においても、結局好き嫌いがなくなるわけではないし、そこなりのマウンティング(自分のモデルを自慢する)やディスり(相手のデザインにケチをつける)もまた形を変えて繰り返すことだろう。
要するに、新たな環境における共生の作法やルール整備は必要不可欠であり、仮想空間を「天国」か何かのように考えるのは、その取り組みを等閑視してしまうことに繋がりかねない。
その意味で、仮想空間(拡張現実)はあくまで可能性を
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