アニメ版「赤毛のアン」について

2006-02-28 19:05:46 | レビュー系
アニメ版赤毛のアンを見始めた。50話ほどあってまだ8話までしか見ていないが、簡単に感想を書いておきたい。


◎基本的にキャラのビジュアルにはあまり違和感はないが、マシューがあまりにもっさりとした風貌なのは笑える。

◎原作でのポイントである美しく幻想的な風景は、油絵のような背景を採用することで際立たせるよう工夫がなされている。始めのうちはやや違和感があったが、8話の花畑などはなかなかよく出来ていたように思う。ただ、花に妖精がつかまっていたりするのはどうなのよ、と突っ込みたくなるがw

◎8話では、アンが始めて日曜学校に行ってどう過ごしたかがしっかりと描かれている。ここは、いまのところ原作との最大の相違点だろう(原作では、142~151p[講談社文庫版]の内容が該当)。。原作でも、アンが学校で歓待されないことは変わらないのだが、それに対するアンの対応はだいぶ違ってきている。原作でアンは学校を「ちっともおもしろくなかったわ。ひどいとこ」と評しているのだが(それは周囲の空気、服の違い、つまらない説教などによるものだろう)、牧師の説教に対してマリラをも納得させるような鋭い批判をしており、むしろアンの芯の強さと明晰さが印象付けられる。しかしアニメ版では、帰ってきたアンは帽子に花輪を飾って登校した件でマリラに「お前がそんなことをすると私に常識がないように思われる」と叱られ、アンは「マリラにそんな迷惑をかけるなら私は孤児院に帰ったほうがいいに違いないわ」と泣きながら言い、家を飛び出すのである。これは原作でいうと次の章にあたる「アン、誓いを立てる」のエピソードから来ているのだが、周りから疎外された状況を見せた後にこの話を組み込みことで、全く違う意味を持たせているように思う。すなわち、よそ者、変わり者として冷たい扱いを受け気落ちしていたアンは、さらにマリラの発言によって「私はいらない子」「私は受け入れられない子」という気持ちを強め、泣き出して家を飛び出したというふうに読めるのである。ここではむしろ、アンはナイーブな子としての側面が強く描かれているように思う。それと同時に、原作では割とあっさりと描かれた土地(=アボンリー)の人間との距離感・摩擦がよりはっきりと描かれている。詳しく言えば、原作では、「よそ者」におそらく最も厳しいレイチェル・リンドとの対決(?)を地元の人間との軋轢の象徴として描き、いっぽうアニメ版は、そこに学校での描写も加えることでアボンリーの人間との距離とアンの心細い状況を見せているというところだろう。とすれば、そのアンがどのようにしてアボンリーに受け入れられていくのかという点が重要になるわけだが、そこはこれからの展開に期待したい。

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