東アジア=儒教社会における非婚と出生率低下の理由:男尊女卑傾向の影響

2023-02-13 17:00:00 | 生活
先日、特に中国・韓国・日本という東アジア地域で急速に少子化が進んでいる原因について、儒教社会という共通点から①科挙的競争社会、②男尊女卑的傾向が相対的に強く残っている、という2つの可能性を挙げてみた(「少子化と儒教社会(東アジア)の黄昏」)。
 
 
①について前回の補足をしておくなら、こうした認識は各国政府でかなり広く共有されていると言っていいだろう。その最たる例は中国政府が出した塾禁止令である。韓国においても、『韓国社会の現在』によると、小学生でもテコンドー教室、ピアノなどの音楽教室、英語を中心とした語学学校、塾といった場所に半ば保育所代わりとして同時並行で通わせており、費用はもちろん送り迎えなどの負担もかなりのものらしい(ちなみに、1997年のアジア通貨危機で男性が多く解雇されたことにより、女性も働いて家計を支えざるを得なくなったため、そこから急速に共働きが進んだとのこと)。こう書くと、負担なら辞めればいいじゃないかと思うかもしれないが、韓国は日本で言う推薦入試がメインであり、そこでは課外活動のウェイトが大きいため、将来のためにも習い事を沢山やらせないわけにはいかない、という一種の「チキンレース」状態となっているのである(ペーパーテストへの批判から推薦入試への移行が称揚されることはままあるが、その際にこういう性質やそれゆえの経済力=「親ガチャ」的側面は理解しておく必要がある)。日本においては、高校の無償化などはよく知られていると思うが、大学の進学率が上がっている上に大学の学費が上がっている(のに実質賃金は上がってない)ことで奨学金を取得する学生は増えており、その返済に苦しんでいる話もそれなりに知られているだろうし、またそれゆえに大学無償化やその範囲が議論になっていると聞いたことがあるかもしれない。
 
 
というわけで、やや詳しめに前回の補足をしたわけだが、その理由は、こういった育児にかかる莫大な費用を踏まえた上だと、男尊女卑的傾向、言い換えれば「男性を柱とするような発想」が強く残っている場合、男性に高い経済力を求めることが結婚する上で合理的な戦略となることがよく理解できるからだ(『1982年生まれ、キム・ジヨン』的な女性を包摂する視点ももちろん必要だが、実は韓国は日中と違う様相を呈しているように思えるので、後に別途触れる)。
 
 
これが具体的に表れている事例が、中国における彩礼(結婚持参金・結納金)で、20万元(400万弱)から200万元(4000万弱)を準備する必要があり、さらには車や家も持っていて然るべき、とまでされているという(ただ、韓国や日本と同じ、あるいはそれ以上に都市部と地方の差異が激しい点は留意が必要)。ちなみに最も平均年収の高い北京は科学技術振興機構の発表している2018年のデータによると67989元だそうなので、都市部の結婚で彩礼が仮に100万元程度だとすると、実に「平均年収の約15年分」ということになり、しかもこれに車や家も必要とあれば、いかに途方もない費用が要求されているのかは容易に理解されるところだろう(ちなみに2021年からは彩礼を「強制することを禁ずる」法律は施行されたが、彩礼自体を禁止してはおらず、ゆえに実効性がどの程度あるのかはかなり疑問である。というのは、本当の理由が彩礼の拒否や不足への不満だとしても、何だかんだと別の理由をつけて断ることなどいくらでもできるからだ。ちなみにこの彩礼の要求という風習は改革開放以降の政権下から一般的になったものらしく、このあたりは戦後日本の奢侈化した結婚式や多額の費用を求める戒名を想起するとわかりやすいかもしれない)。
 
 
言ってしまえば、急速に経済が成長する中で年収も上がっているものの、結婚が家と家を含めた問題で面子も関わる以上(=旧来の価値観が残存している以上)、面子のためにもっといい彩礼が払える夫を要求することとなり、それが明らかに年収という実態を急速に追い越して理想だけライジングしてしまっている状況だ、と評することができるのではないだろうか。
 
 
さて、ここまで書けば、我が日本は・・・と話し始める前にもう結論はある程度見えているのではないだろうか。そう、今述べたような齟齬を念頭に置くと、「年収800万の『普通の人』でいい」というメンタリティがある程度理解しやすくなる、ということだ(正当性がある、という意味では全くないので悪しからず)。
 
 
この指摘が不毛にならないようにするために、あらかじめ補足をしておく必要がある。というのも、2009年以降の明治安田生命などの意識調査に基づいた内閣府の出しているデータ(調査を担当しているのは山田昌弘など)を見ると、女性が男性に希望する年収は概ね400万~600万がボリュームゾーンであり、前述の800万を普通とみなす女性はそれこそ「普通」ではない。おそらくこれは、800万云々の話が結婚相談所などに登録した女性の希望年収であるため、婚活をそれほどやっていない女性も含んだ統計データであるのにに対し、アグレッシブに活動している女性はそれだけ「意識が高い」ためより急カーブの上昇婚を求める人が割合的に多く、実態からかけ離れた願望を抱く者がそれなりの数いる、と考えることができそうだ(ここで先の彩礼の件を想起したい)。
 
 
ただ、400~600万のレンジを希望する女性が多いという実態に即した場合でも、仮にその中間の500万以上を要件に設定すると、それを満たす年収の未婚男性は令和3年のデータだと全体の1/4弱程度しかいないことになる(20代で7%、30代で17%、40代で18.9%、50代で20.4%。「わからない・答えたくない」が各カテゴリーに15%程度いるので若干増える可能性もあるが、まあ小数点一桁レベルの違いではないか)。この1/4という割合は「4人に1人はいる」という見方もできなくはないが、「3/4は基本眼中に入らない」=未婚になる可能性が高いと考えると、(いささか極端な言い方をすれば男性は)75%が未婚で生涯を終える可能性が高いとなるわけで、いかに厳しい状況かが理解されるだろう(ちなみに日本における出産は、96%が婚姻関係のある状態におけるものとなっており、非婚はすなわち子供を産まないこととほぼイコールとみなすことができる)。
 
 
このように書いてくると、「現実を見ない女性に対しもっと現実を直視して実態に見合った選択をしろ(女性よ妥協せよ)」という批判に見えるかもしれないが、ここには①女性の社会進出(だから男性への要求は以前より高くなる)、②上昇婚の意識残存(だから結婚前より苦しくなる状況は受け入れ難い)、③②にも関連するが男性を稼ぎの柱とする意識の残存、といった要素が関わっており、さらには④結婚にはキャリア形成における不利益などもついて回る以上、⑤そのリスクに見合ったリターンのあるものを求めるのは必然となり、前述のような実態より上ブレした希望が形成されるのであろう(実はこういう意識が典型的に表れているのが、「男性は女性に奢るのが当たり前」という「慣行」の背景にある「養ってもらうものだ」という意識と言える。これほど儒教的価値観の残存あるいは上昇婚的意識が観察されるものもない。もちろんこういうのはあくまで傾向の問題なので、該当しない人もそれなりの割合いる、という点は注意を喚起しておきたい)。そしてそのような要件を満たせる男性の割合は少なく、いたとしてもだいたい早々と成婚しているため少ないパイの奪い合いとなり、結婚できないまま選ばれづらくなる年齢(出産という観点では35歳以上)を迎える、という寸法である(そして多浪と同じく、「ここまでやったのに今さら下げられない」とばかりに妥協が難しくなるので、長々やったとしても大抵は婚活が成功はしない)。
 
 
というわけで、以上が中国と日本における儒教社会=男尊女卑的傾向の残存が少子化(ここでは正確に言えば婚姻の減少)につながっていると考える理由である。
 
 
さて、そうしたら韓国もまた同じ状況なのかと言うと、どうも少し違うように見える。正確に言えば、同国はすでに中国や日本の状況をジャンプして、さらにその先に行っているようなのだ。前述の『韓国社会の現在』によると、韓国における結婚はやはり儒教社会の名残が強く、家同士の格が重視されたり、対面のための盛大な結婚式が行われる上、特にソウルなどでは高騰する住宅費用を賄うことも必要なため、相当な額の資金を準備する必要がある(さらに子ども一人を4年制大学まで卒業させるのに3億ウォン=3000万弱程度かかるとされる)。ゆえに男性には当然高い年収が求められるわけだが、2017年の韓国保険社会研究院の調査では72.4%の女性が男性に300万ウォン程度(30万弱)の月収を求めているとなっており、2020年の平均年収が420万なので、そこまでギャップはないように見える。しかしながら、2019年の調査では20代女性の57%がそもそも結婚する意思がなく、子どもを産むつもりはないという回答は71%に上った。
 
 
これは奇異に見えるかもしれないが、話題を呼んだ前述の『1982年生まれ~』を元に考えてみると、要するにそれだけ結婚・出産が重荷であり、ゆえにそもそもコミットすることを拒否する人が過半を占めるようになっている、ということである(その表れが2019年0.92→2020年0.84→2021年0.81という世界最下位を記録する出生率。光州事件が1980年であることを思い出せば、韓国は特に20世紀末からの欧米的価値観に基づく急速な近代化と儒教的価値観の残存が深刻な齟齬を来たし、結婚や出産を忌避する人が多くなっている、とも言えそうだ)。
 
 
これに対して、今の日本ではまだ「いい人がいれば結婚したい」という認識の人もそれなりには残っているが、おそらく韓国のような状況に追随するものと思われる。というのも、①経済成長していない(というか衰退する可能性が極めて高い)、②将来の負担増が見込まれる、③今の若い世代はリスクヘッジマインドが極めて強い、④強いコスパ志向・・・といった理由により、「そもそも不確定要素の強い恋愛や結婚にわざわざコミットしない層」がさらに増えていくと考えられるからだ(収入が低い者同士だからこそパートナーシップを結んで支え合う、という欧州の一部で見られるような行動様式は今のところ薄い)。
 
 
パートナーと合わなくなるリスク、家族と合わないリスク、出産のコストとリスク、育児のコストとリスク、子どもの行動の責任を取らされるリスク(という話は回転寿司の件でだいぶタイムリーだ)etcetc...考えれば考えるほど、コストとベネフィットが釣り合わないように見えるわけだ(しかも、先の「年収800万」やらの話にも関係するが、結婚は自他とも入試偏差値のようにはわかりやすく数値化できない部分が多いため、どうしても意識と実態のズレは生じてしまうものである)。
 
 
一方考えない人間であれば、すでに映画を早送りで観る人々が結構な数出てきているように、ソロの生活を満たしてくれる材料は消費しきれないほど世に溢れており、それに耽溺しながら生きることを選択しやすくなっている(そこには、わざわざ本や映画に資本を投下する余裕がないから、解説動画やサブスク制の映画配信サービスを利用する=経済的ひっ迫という金銭的な事情などが関係していることも見逃すことはできない)。
 
 
というわけで、少なくとも今の日本社会の状況を見るに、韓国型へと向かっていくことは避けられないと思われる。もちろん何も手を打たなければ状況は悪化する一方なので様々な支援策など手当てはするにしても、むしろ不可避の少子高齢化社会に向けてその歪みのダメージをどう軽減するか(例えば労働力の代替など)に重きを置いて社会設計をしていくことが重要だと思われる。
 
 
・・・と提言はしたが、日本社会の構造上その達成は(少なくとも短期的には)極めて困難であるのだが、その話はまた別の機会にしたい。
 
 
以上。

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