話題を呼んでいるアメリカ大統領選もいよいよ明日に迫った。トランプとヒラリーという代表の属性はともに新しく、また両者のディベートのあり方も今までにない類のものであった。その背景には近代の終焉、あるいは民主主義の変容という現象が隠れている・・・というのはヨーロッパの移民排斥の動きなども含めてしばしば言われており、特に新しさはない。しかしそこに、ネイティブアメリカンへの仕打ちをアメリカのメディア自身が大々的に取り上げアメリカ社会(≒近代市民社会)の欺瞞を暴露したことを重ね合わせた点は、さすがだと思わされた(歴史をちゃんと勉強していれば、西欧市民社会というものが行ってきた吐き気を催すほどの所業と欺瞞は明らかである。英独仏といった大国は言うまでもないが、スペインが新大陸に行ったこと、ベルギーがコンゴに対して行ったこと、オランダがインドネシアに対して行ったこと・・・枚挙に暇がない。それらをつぶさに見るとナチスドイツのやった所業ばかりが取りざたされるのが実に白々しく、わざとであれば恥知らずそのもので、無知であれば畜群にも劣る知性であると言えよう。とはいえ問題は、そのような欺瞞に彩られた近代を準拠枠にして今の「アノミー」を批判する正当性・効果がどの程度あるのか、ということなのである)。
この点について、古い言説でもアドルノ&ホルクハイマーやフロムなどがナチスドイツの成立した背景分析・内省を行っているが、未来に向けた視点という意味では、先日紹介した人工知能の発達とその影響についての予測とつなげることができるだろう(この動画で報告されたマスメディアの跋扈と組み合わせると、働く時間が短縮・消滅したことにより暇になった人間は、パンさえ手元にあるなら映画「傷だらけのアイドル」よろしくサーカスにうつつを抜かすか、あるいは小説「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」のように拡張現実の中でまどろむのが関の山で、仮にそこに掉さして現実・他者・異物に向き合ったとしても、「マトリックス」よろしくそれすら計算されたノイズないしは「趣味」の一貫として処理されるのがオチだろう)。
正直私はこれから世界が崩壊に向かっていって滅びることに何の痛痒も感じておらず、ゆえにどう変化するかに興味があるだけなので、これが「終わりの始まり」になるのか、それとも新時代の幕開けなのか、とくと観察させていただくことにしよう。
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