<サブカルへの眼差し>
これは別にアニメ(サブカル)なぞくだらないという意味ではない。そのような正確さや厳密さをそこに求める、もっと言えば、あるはずだとする思考様式自体が問題だと思うのだ(ex.ひぐらしへの評価)。そんなに厳密さを追求するなら専門書を読むとよい。各分野がますます細分化・複雑化していく今日、時間はいくらあっても足りないだろう。もちろん専門書=正しいなどという等式が成り立たないのは言うまでもないし、また原典資料や専門家が必ず正しいと考えるのは愚かだ。しかし前にも言ったように、歴史が物語なら歴史小説は二次創作(劣化コピー)にすぎないのだ。修史編纂学、作品論
<無知>
核の傘に守られながら、平気で平和主義者を標榜する人たちがいる。それはあたかも、家臣による民衆への暴力や収奪で生活を成り立たせている貴族が、そのことを知らずに(あるいは知りながら)自ら手を下していないがゆえに平和主義者を名乗るようなものだ。なるほど彼は「いい人」なのかもしれない。しかしまた、無知で恥知らずである。あるところに貴族がいた。彼は特に罪を犯すことも無く裕福な生活をしていたが、それは家臣による人民からの収奪や弾圧の上に成り立っていた。そして彼はその構造がよくわかっていない。さて、この貴族に罪はあるか否か。
<偶然性に憑かれて>
旅の記事で自然が好き…ほほえましい解釈。気紛れ…偶然性の病的な希求。飽き飽きしている→愚にもつかぬ驕慢を叩きつぶせ。自分が何がしかの凶行に到ることがあるとしたら、ケーキの話よりむしろ「気ままな旅」の記事群こそがその精神性を記したものとして記憶されるべきだろう。
<「君」のいわゆる個人的感想>
P91.ただしこのようなキャラに焦点を当てた評価を論じても、単なる価値観の違いにしかならない(ある意味、死刑に関してどちらの人権を優先するのかと同じ。説得と機能主義)。確かポコスケから。最初は一章で断念。96式ヘボパソだったから。先輩ので第二章見てびっくり。大学三年だか四年でコンプリート→似たような経験をしていればずっと評価は高かっただろうと感じた。孝之の遥とサブキャラに対する態度への苛立ち。後者はありえなさ。前者は何でまた繰り返す?という感じ。遥に対する愛情・情念が今一つ理解できない。ずっと水月でしょ。
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