昨日は上京してきた小学時代の友人たちと飲んだのだが、その時に日本橋三井ホールでやってる「モネ&フレンズ・アライブ」の話が出たので、その記事を書きたい。
その日は7/19の暑い日じゃった・・・とかいう導入から入ると面倒なので割愛するとして(笑)、ちょうど岐阜の「モネの池」に関してモネの睡蓮の変遷や新印象主義のことを書いたので、こちらにも行ってみようと思った次第。
展示は大きく二つに分かれており、前半(?)はモネとそれを取り巻く人々のことが紹介されているのだが、そこで思ったことは別途述べる。後半部分はミニシアターのような形で絵画が映し出されるとともに、そこに様々な芸術家たちの印象的なコメントが付されるという演出になっている。
まずは新古典主義のダヴィド、ロマン主義のドラクロワ、写実主義のミレーの絵など著名な絵が並ぶ。よく知られているように、これらは印象派の前に一世を風靡した作品であり、とりわけ新古典主義はルネサンスの理念を引き継いでいたこともあり、芸術学校におけるスタンダート、いや半ば呪縛として芸術家たちを縛り付けていた。
ある意味では、それにどう乗っかって受賞作品を生み出すかというベクトルと、それをどう破壊するかというベクトルが混ざり合っていたのが(特にフランスを中心とする)当時の西欧絵画の世界だったと言えるだろう。
で、予想通りというか、今画像で出てきた名画たちが破砕される演出から始まり、印象派の紹介がなされていく、というわけだ。
あとはくだくだしく時系列順に書くのも面倒なので、いくつかの写真を載せておくにとどめておきたい(なお、展示内での撮影は自由となっている)
複数の巨大な画面に映し出される絵画を鑑賞する、というのはなかなかに良いものだな。
写真ではわかりにくいかもしれないが、これらは静止画ではなく、動画として次々に変化していく。
そこにモネやセザンヌ、ルノアールにスーラといった著名な画家たちの遺した言葉も出てきて、それらの絵がどのような背景をもって描かれたが象徴的にわかるようになっている。
また絵の具の開発がアトリエの外での制作のみならず、印象派にとって極めて重要な光の加減を忠実に再現することを可能にしたわけだが、絵画に動きをつけたり、それと並列して風景の動画を流すことで、描かれた絵画の「息吹」とでもいうようなものを、体感させるような演出は非常によかったと思う。
というのも、現実より理想を描くことを追い求めた新古典主義でもなく、現実世界に己の感情の表出を混在させたロマン主義でもなく、世界をあたかも写真のように精密に描こうとして写実主義でもなく、刻々と変化する目の前の世界を写し取ることに己の魂を捧げた印象派の絵画に触れる上で、むしろただ完成した状態のものよりもむしろ、動的に変化し続ける世界を重ね合わせた方がよりその世界観や特徴を体験・理解するのに適切だと感じたからだ(念のため言っておくと、こういう言葉でカテゴライズすると、「~時代」と同じであたかもその前後で全く違う流派に変わったかのような印象を受けるかもしれないが、それは大いなる誤解で、そのような反証の最たるものが、先日引用したコローによる「モントフォンテーヌの思い出」だろう)。
ま、一個だけ気になったのは、音楽が全く同時代のものじゃないってことだけねw
この場面とか「フィガロの結婚」の序曲が流れるのだが、いやそれって印象派の百年前だよ!と思わず突っ込みを入れてしまったw
まあその絵の明るさや解放感を表現するのには相応しいし、加えて日本人にとって有名な曲と言えばどうしてもモーツァルトやベートーヴェンあたりになりがちだ。
いくら時代的に近くなるとはいえ、まさかシューベルト(ロマン主義)の「魔王」とか流すわけにもいかんしね(・∀・)
明るい絵画を見ながら、あの不安になる連弾と「お~と~さんお~と~さん」の声が流れたら、その不均衡にゲシュタルト崩壊が起きそうであるw
あ、でもこれまでの絵画をぶっ壊すシーンは、ショスタコーヴィッチの「革命」にするのはありなんじゃないすかね?
まあその場合、革命の意味が違ってくるって話ではあるが(・∀・)むしろクールベ「石割人夫」からのドラクロワ「革命を導く自由の女神」といった文脈にこそ相応しい感じになるわな。
とか何とかアホなことを言っているうちに、モネの睡蓮が紹介される段に。
いや~、やはり素晴らしいな。
モネがそういう意識を持っていたのかは知らないが(多分持っていない)、自分なんぞはこの連作を見ていると、「行く川の流れは絶えずして・・・」という言葉を思い出すんよね。
視力を失い続けてもなお描くのを止めなかったモネの生涯とも重ね合わせて。
というわけで最後に一枚。
お値段は3000円となかなかにお高いが、通常の絵画展では得られない経験ができた、という意味では訪れた価値があったように思う。
この動画制作にかかる費用にもよるが、絵画をわざわざ取り寄せる必要がないという点で時間・空間に縛られる要素が少ないため、今後新しい絵画展の可能性として大いにありなのではないかと感じた次第。
個人的には、こういった形で例えば以前アメリカで行われた「Becoming Munch」=同時代の画家とムンクを比較することで彼の作風やその苦闘がビビッドに感じられるような試みを、ぜひこういう形でやってみたらどうだろうかと思った。
以上。
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