19世紀末のフランス絵画:印象派、ボヘミアン、アンチセミズム

2024-07-27 19:25:23 | 感想など
 
 
 
日本橋三井ホールでやっている「モネ&フレンズ・アライブ」の映像部分に関する紹介記事は書いたので、その前の展示部分について述べたいと思う。
 
 
 
 


 
 
絵画の実物は展示されていないが、その代わりに、モネと愉快な仲間たち(笑)の説明が個人ごとにパネルで説明される形式である。まあこれで知識を得た上で、その後の映像演出を見てはいよ(謎に熊本弁)ってことなんだろう。
 
 
 
 



 
この名前を聞くと、福本伸行の『銀と金』を思い出す呪いにかかったワイがいますよとw思えば、あれを読んだのは高校で印象派について学ぶ前だったので、俺にとって印象派との邂逅はセザンヌギャンブルが初めてだった、ということになるかもしれない(・∀・)
 
 
まああれを見て土門会長が購入した絵画の値段に森田がぶつくさ言うシーンでは、小学校の頃にドラえもんで見た評論家ロボットを思い出してニヤニヤしたものだ。ちなみにそのロボットが「いー(良い)!いー(良い)!」と言うと、他の人間たちが対象物を崇め奉るという効果(?)があり、明らかに「評論家が高く評価している=良いものと判断する」という権威主義を揶揄した内容となっている(ロボットが良さを具体的に説明するのではなく、ただ同じセリフをイクラちゃんのように繰り返すだけ、というのもまた風刺が効いてて良かったw)。
 
 
 
 



 
 
こちらはモリゾの解説。キッコロかな?というボケはさておき、ここでは女性画家というだけで色眼鏡で見られたり否定的な眼差しを向けられることへの反発が描かれている。思えば19世紀後半というのは、18世紀における啓蒙思想と市民革命、そしてナポレオン戦争を経て19世紀前半には「諸国民の春」と言われるようにヨーロッパへそれらの思想が広がることとなったが、人権意識や国民意識という思想的枠組みが提示される中で、男女の権利の不均衡が問題として認識されるようになった時代だった。
 
 
つまり、社会進出を望む女性と、「天賦の権利」や「法の下の平等」の理念を謳いながら、実際には女性を家庭に縛り付けんとする社会規範との衝突が強まっていたのが19世紀後半という時期であり(ちなみに戯曲である「人形の家」の初公演は1879年)、モリゾの活躍とそれに対する社会の風当たりは、その一幕だったと言えるだろう(ちなみにヨーロッパにおける女性参政権の獲得は、第一次大戦後=20世紀初頭のこと。なお、前に扱った『ベディ・クロッカーのお料理ブック』も、時代こそ下るが類似の話である)。
 
 
ところで、ある種の芸術における革命集団であった印象派の人々が、女性の社会進出についても同様に革命的であったかと言えば、必ずしもそうではない。これについては、「ある点においては懐疑の眼差しと革新の情熱をもった人間が、また別の点では驚くほどに保守的で頑迷であるのはよくある話だ」とだけ言っておこう。
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
これは先の映像部分の話でも触れた通りだが、(いささか極端な言い方をすると)神話などの世界を黄金比を元に描くこと、すなわち理想的世界を絵画で表現することを追求した新古典主義と、それが芸術界において持った支配力を念頭に置く必要がある。そこからの脱却の中で、ロマン主義も写実主義も印象派も、その独自の表現方法を精錬させていったのである(もちろんここで、写真の誕生という要素も無視するわけにはいかない)。
 
 
そして「この私が見た刻々と移り変わるこの世界」をカンバスに映し出さんとする印象派の場合、絵の具の発明による戸外制作は極めて重要な意味を持った。
 
 
というのも、それが多様な日常風景を描くことを可能にしただけでなく、あたかも鮮魚をその場で調理・提供する板前のように、我々が日々目にする世界を、写真とはまた違った形で表現してみせたのだから。
 
 






 
ここでは、色彩に関する科学的分析について説明されている。以前スーラの絵画を紹介した際に、それが同時代のヘルムホルツなど自然科学の知見を活かした表現技法により成り立っていると書いたが、ここで改めてもう少し踏み込んだ話をするなら、こういった歴史を考える時ほど、私は「文系」・「理系」という区分のバカバカしさを感じることはない。
 
 
例えば音楽と数学と聞けば、何か全く別物のように思われるかもしれないが、歴史的に見れば、「万物の根源は数」だと述べたピタゴラス教団の取り組みの中から、音階(言わば音の数値化)というものは誕生してきたのである。また音自体についても、高校物理で習うドップラー効果などに関連するし、あるいは三角関数のフーリエ変換とも深く関係している。
 
 
このように考えてみると、文系・理系はもちろん、「芸術」と「科学」を截然と分け、全く別物のように考えるような発想も、全くのところ不適切と言えるだろう(というか、そういう人はハーバード大に音楽学科があることをどう理解しているのだろうか)。
 
 
世界は人間の体系的理解を満足させるために存在しているのではない以上、あらゆる山の上り方からそのあり様を解析する必要があり、区分の恣意性は、むしろしばしば阻害要因にすらなりうる(もちろん、学問の研究が進展したことにより、その手法の深化なども相まって細分化・専門化したという事情は考慮に入れる必要はあるが、それはあくまで便宜的なものであり、自明の前提では全くない、ということだ)。
 
 
このように考えてみると、そもそも日本の学校(に限らないが)の科目や、それによる「縦割り教育」のようなものが、もはや大きな限界を迎えつつあるのかもしれない。
 
 
つまり、音楽は音楽として、数学は数学としてしか習わないがゆえに、その関連性など夢にも思わないし、また科学と芸術の結節など想像だにしないわけである(まあ今日では情報へのアクセスは容易になっているので、そもそも「教わらないものは知らなくて当然」という発想がどこまで通用するのか、という問題はあるけれども)。
 
 
しかし、AIによる画像や音楽生成技術が芸術の世界にも影響を与えずにはおかないように、越境的な知を貪欲に取り込むことを可能にする仕組みでなければ、あるいはそれを摂取しようとする人間とならなければ、今後の人間の存在価値とは何ぞや?という問いは日を追うごとに強まっていくだろう(もちろん、2049年に人類社会が全く新しいステージに移行する、といった類の言説はさすがに眉唾なので現状採用するに値しないと考えるが)。
 
 
その意味においては、教育の現場で教師個人のパフォーマンスを頼りに集団形式で生徒に教えるという仕組み自体、もはや限界を迎えつつあるのかもしれない、と思う今日この頃である(まあ仮に動画による授業提供とかになってもモチベーターや管理者は確実に必要なので、雇用が完全に無くなるわけではもちろんない)。
 
 
 
 



 
 
そういや大学1年の時(2001年)に初めて行った美術展はシスレーのものだった気がするな。確か上野美術館だったか・・・その時思ったのは、シスレーの作品は確かに繊細な味わいがあるが、一方でインパクトには欠けるところがあり、それが彼の生涯の中で絵画がなかなか売れなかった原因かもしれない、ということだった。
 
 
 
 



 
 
稀代の芸術家の一人スーラ。その短い生涯の中で、極めて精緻な技法を編み出して作品に残していき、その作風は別の者たちによって理論化された。
 
 
しかしその後の歴史では、現実を科学的で精妙に描写するよりも、ポスト印象主義、すなわちドイツ表現主義などが勃興し、後にはシャガールやピカソが登場するなど、むしろ「見えないものをいかに表現するか」に軸足が置かれるようになっていった。
 
 
まあベンヤミンの『複製技術時代の芸術』ではないが、そもそも見える世界の記録・記述が量産されるようになった状況においては、「見えているものを人の手でいかに描くか」を大事にしても、すぐに量産されたコンテンツという大海の中へ沈んでいく憂き目に遭った、と表現するのが正しいのかもしれない(正確に言うと、アールヌーヴォーアールデコのようなものも流行したから、不可知の世界の表現ばかりが探究されたというより、見える世界の表現は量産的でカジュアルなものに取って代わられていった、と言うべきか)。
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 

 
 
 











ちなみに展示の最後はこのような年表形式で印象派の前後も含めた歴史が紹介されている。私はこのように背景を説明するのは大変良いことだし、また重要であるとも思った(例えばだが、プラトンのイデア論を考える時に、イデア論とは何かという視点・分析と同じくらい、なぜ彼はそういった当時のギリシアとして特殊な考えを精錬するに到ったのか、という背景の理解もまた必要不可欠である)。
 
 
印象派で言うなら、ボヘミアンなどを含めた一種退廃的な世紀末のパリの様相を考慮に入れない訳にはいかない(もちろん、ムーラン・ルージュや芸術サロンなどもこの今回の展示では紹介されている)。そしてこのような様相は、1920年代のドイツと類比的に論じることもできる。すなわち、ドイツ帝国に対する敗北と屈辱的な和約の後に生まれた第三共和政下のフランスと、同様な状況下にあったヴァイマル共和国という構造である。そこでは、退廃芸術が持て囃されながら、同時に強烈なルサンチマンに駆動されたアンチセミズム(ドレフュス事件)や反ユダヤ主義(「背後の一突き」・ナチズムの台頭)といった排外主義が見られたのであった。もちろん、あらゆる人間がその両方を同程度の割合で持っていたなどという暴論を吐くつもりもないが、一方でこういった二面性を社会が包含していたことを無視してどちらか片方のみについて語るのは、極めて大きなミスリードを招くものと思われる(なお、こういった一見矛盾するような社会情勢を読み解く枠組みとして、デュルケームのアノミー理論などが有効だろう)。
 
 
以上が、モネ&フレンズ・アライブの展示部分を見て思ったことである。実は近いうちに新印象派のことは書きたいと思っていたが、準備が整う前にこちらを見学したので、先に書いてしまった次第。
 
 
それではまた近いうちに。

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