
金色堂へ向かうと、入場料[800厭]がいるとのこと。しかも展示館(讃衡蔵)入場料と込みだそうで…って抱き合わせかよ!!ちゃっかりしてるなあ(^^;)仕方ないので購入して展示館の方へ。今は「平泉と義経」展をやってるとのこと。「あーそうすか、どうでもいいわ」という気持ちで入ったが、螺鈿や刀剣、衣服などなかなか見栄えのする展示物が多く、予想外に面白かった。
頼朝と奥州藤原氏の説明に関して、『吾妻鏡』における、後三年役などに絡んだ宿願という記述が征討の理由として挙げられていたが、東方の覇権を握る上で鎮守府将軍職という存在が名目的・実質的に邪魔だったというのも理由にあるんじゃないかと思った。鎮守府将軍は、征夷大将軍の位に就く者がいなくなった後、それに代わる職として存在し続けたのであり、征夷大将軍を復活させて東方支配の正当性を打ち立てた頼朝としては鎮守府将軍たる奥州藤原氏は非常に邪魔な存在であっただろうと推測されるからだ[『征夷大将軍』(中公新書)を参照]。
まあそういったことはともかく、展示を見終えて金色堂へ。外観はいい雰囲気だったが、正直中の方は大したことなかった。最近張り替えた金色堂の金箔は、むしろ毒々しいという印象さえ受けた。また、堂を収めた建物の中で坊さんが線香などを売っていたのも興ざめ。まあ写真禁止だったから、それを監視・注意する役割もあるのだろうけど。そんなわけで、さくっと見て前に金色堂を収納していた建物へ移動。こちらは素朴な雰囲気で、芭蕉はここにて「五月雨の 降残してや 光堂」の句を詠んだそうな。
頼朝と奥州藤原氏の説明に関して、『吾妻鏡』における、後三年役などに絡んだ宿願という記述が征討の理由として挙げられていたが、東方の覇権を握る上で鎮守府将軍職という存在が名目的・実質的に邪魔だったというのも理由にあるんじゃないかと思った。鎮守府将軍は、征夷大将軍の位に就く者がいなくなった後、それに代わる職として存在し続けたのであり、征夷大将軍を復活させて東方支配の正当性を打ち立てた頼朝としては鎮守府将軍たる奥州藤原氏は非常に邪魔な存在であっただろうと推測されるからだ[『征夷大将軍』(中公新書)を参照]。
まあそういったことはともかく、展示を見終えて金色堂へ。外観はいい雰囲気だったが、正直中の方は大したことなかった。最近張り替えた金色堂の金箔は、むしろ毒々しいという印象さえ受けた。また、堂を収めた建物の中で坊さんが線香などを売っていたのも興ざめ。まあ写真禁止だったから、それを監視・注意する役割もあるのだろうけど。そんなわけで、さくっと見て前に金色堂を収納していた建物へ移動。こちらは素朴な雰囲気で、芭蕉はここにて「五月雨の 降残してや 光堂」の句を詠んだそうな。