山下某のジャニーズ問題に関する発言は、戦略的な効果を考えずただ己の主張したいことを言い放つだけに終始した(それがなぜ反発を生むものでしかなかったのかについては、この記事などが参考になる。逆にこういう側面はどうでも良かったというのであれば、まさに戦略的思考の欠落と言えるだろう)。
それはこれまでの恩義といった感情的紐帯に基づいた言動であり、その有様は松谷創一郎の分析をそのまま証明するとともに、今回の問題をなるだけ早く穏便に収束させたいジャニーズ側としては完全に利敵行為だったと言えるだろう(まさに「有能な敵より恐ろしいのは・・・」という格言の通りである)。
このような言動は「国粋主義は国益ならず」という性質を思い起こさせる。つまり、戦略的思考より感情の表出を優先させる言行は、それが極めて閉鎖的な環境、つまりローカルな空気感の中では有効に機能するかもしれないが、もはや事態が明るみに出始めた今となっては、却って問題に注目する人間を増やし、かつその注目を持続させる意味で逆効果である。
このような見地に基づけば、(そのような選択の評価はさておくとしても)非難されている側の最も合理的な選択は「批判をかわす張りぼてを立てつつ沈黙する」である。国連人権理すら動き出した事態(まあ12歳の少年に自浄作用は期待できないんでしゃあないw)においてはまあそれも困難になりつつあるところだが、こういう事態の変化を理解できないまま、相も変わらず第四夫人のような人間がそのハレーションも考えず独善的な主張を情緒的に叫んでいるのを見ると、なるほど病膏肓に入るとはこういう状態なのだなと感心させられる(戦前において、蓑田胸喜らを中心とした原理日本社が知識人たちを非難し社会から排斥していく際の言説も類似のものだったことを思い出し、それが80年経った今も繰り返されているグロテスクさについ笑ってしまった)。
その言説は全く道理が通らないだけでなく、さらにそれが逆効果であるという戦略性の欠落からすれば、評価できる箇所が一片もない主張と評価できそうである。いや、それは正確ではないか。問題の構造を白日の下にさらそうとする側にとって、こういう利敵行為は大変に素晴らしいものである点だけは評価できるので、今後ともどんどんやっていっていただきたいところである😀
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます