
近所の美味しいベーカリーを教えていただたお礼をしつつ碧風館を後にしたが、外に出てみてもまだこの天候かよ・・・って思うじゃん?
実はこれでも、相当マシになった方なんよ。風はまだそこそこ強いものの、雨はもう上がっていて、空気感(湿気とか)からするとまたすぐにドバドバ降り出す感じではない。おそらく、これで雨の危機は去って、雲が強風によって急速に移動していく中、空が晴れ上がっていくものと思われる。
とはいえ、この状況で即摩天蓋に突撃しても勇み足の可能性があるので(そもそも風雨のせいで足場が大丈夫か問題もあるが)、もうしばらく時間が経ってから移動しようと決めた次第。
こちらが件のお店。なるほど、コンテナハウスで中にオーブンとかも設置する形で、極力経費を抑える仕組みなんだろう。良い物を作りつつ、来訪人数を計算した上で、ある程度売れる値段設定にして・・・とかやっていると、固定費をどこまで切り詰められるかはかなり死活問題だよなあと思った(cf.「定年後開業、声優志望、不動産投資」)。
ちなみに13:00時開店のため、あと15分くらい時間がありますよと(7:30頃から動いている上、風雨の中あちこち行ってるから、もう一日中活動した錯覚すらあるがw)。ほいじゃあ先に周囲の史跡でも見て回ろうかの。
というわけで、せまーい道を上ります。ちなみに隠岐判官というのは『太平記』における佐々木清高(後醍醐の黒木御所を建造したともされる人物)のこと。
ほぼ、何もねえ( 。∀ ゜)!!石碑と石囲いを作っただけやないかい!何か尼子氏の新宮党館跡を思い出したわ。まあ史跡として打ち出しはしたいんだけど、さりとてそこを大々的に開発して人が来る見通しと予算が・・・て話なんだろうかね。
というわけで、サクっと下に戻ってきました。なんかこの景色を見ると、福井の大島半島を思い出すなあ。かつて能登に行った時もそうだっけど、離島や半島というのはやはり本土ほどには人も交通量も少ない分、開発が遅れがちになる傾向は似ているんだろうか?と思ってみたり。
ほう、太平記通り、とな・・・太平記、難太平記、陰徳太平記・・・これかーーー(何がだ)!!!
後醍醐が出てきた文脈やその政策については、皇国史観でも「異形の王権」でもなく、あくまで当時の文脈を踏まえたアクチュアルなものとしてどう評価できるのかを考えるべきだし、また近世的な武士理解を払拭して中世武士の行動原理で見ていくことが必要だと書いた。例えば楠木正成を礼賛する向きを含め、個人の好き・嫌いは勝手にすればよろしいが、同時代から見てそれがどのように評価されていたのかは(特に一次)史料から冷静に考えていく必要がある、という話だ(もちろん、後世の徳川光圀や本居宣長含め、彼を礼賛する思想・言説がどのように醸成されていったのか?というイデオロギー形成の軌跡を分析することは有益だが)。
で、そういった視点で考えようとする際に、事態の分析を難しくしている厄介なファクターの一つが、足利尊氏という男である。まあ尊氏と言われてた肖像画が今や高師直じゃね?とかなってるレベルだから多少はねって話だが、前に呉座勇一の解説動画を紹介したように、「いずれは室町幕府を開く」という後世の視点で見ていると、本当に意味不明な言行が多過ぎて、これ精神病んでたんじゃね?とでも考えたくなる人物ではある。しかし、彼が将軍となって幕府を開くという結果を一旦横に置き、同時代の情勢判断に差し戻して考えると、実は揺らぎが生まれる必然性もある程度理解できるようになる。
非常にざっくり言うと、後醍醐大スキーだし、軍事的才能はあって勝ってしまうから、秩序が流動的な状況では周囲の人間(武士)が頼りにして祭り上げてしまう。で、祭り上げられるから、当然朝廷からは警戒されると(この辺に弟の直義とかが絡んでくるのがまた面倒くさい)。その結果、板挟みになって「もう出家する!」「腹を切る!」とヘラってしまう訳ですな(・∀・)
このあたり、「思想」や「構想」なんかが明確にはない人だったんじゃね?という気はする(対照的なのは弟の直義)。これに関しては、例えば「逃げ上手の若君」という作品で冒頭劇的に描かれる尊氏の裏切りと鎌倉略奪シーンだが、そこに到る彼の動機付けは一種神がかっていて、その特異なパーソナリティ(それはカリスマ性にも変異しうる)を強調するようなものとなっている。
ただ、実態はもっとシンプルなものだったのではないか?例えば、彼が叛乱追討軍として六波羅へと向かった時、同伴した名越高家(名越流北条氏)が討ち取られる事態を見て、北条家に近しい自分の立場を振り返りつつ、後醍醐側の綸旨による潮目の変化、あるいは後醍醐へのロイヤリティの中で、むしろ「このまま鎌倉側にいても死ぬだけなんじゃね?」とシンプルに思ったから後醍醐側に寝返った・・・というある種極めて単純というか原初的な理由なんではないかと。ここでは、同時期に蓮華寺で約400人が集団自決した北条軍のことを思い起こしてもよいかもしれない(まあこの惨劇は尊氏が裏切ったのが原因なんですがね)。
要するに、「鎌倉幕府も後醍醐も裏切って室町幕府を建てたほどの男だから、そこに極めてエゴイスティックで一種誇大妄想家的な動機づけがあったのではないか?」みたいに考えると納得はしやすいのだが(これは本能寺の変に黒幕がいると考えねば納得できないのと同じ真理)、もっとシンプルに、あっちに好きな人もいるし、こっち側にいると死にそうだからあっち行くわ(゚∀゚)ぐらいの感じだったのではないかと(まあこれはこれである意味クレイジーではあるが)。
と言っても、こういう心情部分の揺れ動きって史料から跡付けることは極めて難しいので、表面化した行動だけ追っていくと尊氏=あたおか論(笑)になりやすいし、またそれを埋めようとあれこれ語っても、結局想像の域を出ない。
という訳で、上記の動画を掲載してみた次第。
そこで検証されているのは、中先代の乱(「逃げ上手の若君」の主人公である北条高時を首班とした反乱)における尊氏の出陣が、朝廷の許可を得ていたか否かを『太平記』・『梅松論』・『神皇正統記』の記述の相違と、その背景から考察するというものだ。通説では、『太平記』も『神皇正統記』も将軍位を得て(許可をもらって)から出陣したことになっているが、足利家寄りの『梅松論』において尊氏は将軍位を得るのを待たずに出立したよう表記されているため、尊氏の独断専行であっただろうとみなされてきたが、『梅松論』の史料の特性上、尊氏を「生まれながらの将軍」として記すという描写法を取っているため、ここで初めて将軍位を得るという記述にするのは、そのような描き方と矛盾する。ゆえにそもそも、将軍職を得るという描写自体を意図的にオミットしてしまったのではないか、ということである。
もちろんこれは新説であり、ここから検証を行っていく必要があるが、しかし以上のように考えると、南朝=後醍醐側に同情的な史料では批判対象のはずの尊氏が将軍職を得てから出陣している(彼に不利ではない)表記なのに対し、梅松論では擁護対象である尊氏が位をもらうことなく、つまり正式な許可なく出陣しているという彼にとって不利な描写をしている、という不整合の説明はできそうである。
・・・とか何とか書いていると、何をちまちましたことを議論しているんだと思われるかもしれないが、実はこの時の尊氏の行動は、「朝廷から警戒されていて将軍職もらえない→じゃあ勝手に出陣するわ→中先代の乱鎮圧したわ→新しい幕府開くわ」という行動として解釈すると、実にスッキリするため、「始めからそのつもりでやった」という風にみなすとわかりやすいが、そうすると今度は、彼の後の行動の数々が二重人格かと思えるほど分裂したものに見えてくる。
しかし、「そもそもは朝廷の許可を得て直義を救出するために鎌倉へ上り中先代の乱を鎮圧→すでに謀反を起こしかねないと朝廷から警戒されていると直義らから帰京を止められる→そのまま鎌倉に論功行賞を行う→朝廷ますます警戒し尊氏と後醍醐の間は決裂に向かっていく」と、いわばズルズルと後醍醐と尊氏の関係が破綻に向かっていったと考えると、後者の葛藤や極めて矛盾したように見える行動も、むしろ状況に流され思わぬ方向へ来てしまったことの苦悩と考えることができる。
とまあこのように、尊氏の行動の背景を、同時代の文脈に差し戻して分析・評価する上で、中先代の乱における鎌倉出兵の前提は一つ大きなファクターとなるため、議論の対象とする価値がある、という話やね。
・・・そんなことを考えて折、店が開いたので突撃。俺以外は親子連れが一組という状況。天気が悪く開店直後ということを踏まえれば、俺と同じくタイミングを見計らっていたのだろう。
中は秘密工場みたいになっていてワクワクしたが、とりあえずこの後の行程が読めないので、
多めに購入して社内で実食・・・おお、しっかり作られていることがわかる味や。
何というか、よくある系のものって、「それっぽい味」はするし、それなりの満足感は得られるんだけど、そこから先はないんだよね。まあ普段食べる分には別にそれでも構わないけど、美味しいパンを食べたい!と思ったら、こういうこだわりが味に出るものをやはり食したいと思うわけで。
これで値段も300円いかないくらいだから、それは確かに人気も出そうやなと思った。今の売り上げ状況はよくわからんけど、個人的には島外の客をゲットすることも兼ねて、別府港と交渉してパンを一定数置いてもらうとかできないのかな?と思ったりした。特に別府港周りの飲食店の営業時間を考えると、14:00~17:00くらいのタイミングでおいしいパンを港で買って、そのまま名所に移動しつつ食事ができるようになれば、利便性は大きく改善しそうな気がする。
美味しい店だけど、別府港からの導線(基本西側に向かう)を考えると真逆なので、ここまで来る人の数って限られてくると思うんよね。だとすると、小規模な出張所みたいにして飲食店と競合しない(利益損失を生んで反感を買わない)時間帯だけ設置するのは、ありな気がするんだけどなあ・・・まあ外野の勝手な妄想ですがw
とまあそんな感じでエネルギー充填も完了したところで、いよいよ最後の地、摩天蓋に向かうとしようか。
空模様の回復は、天命我にありと伝えているので(妄想)、そこを攻略せざるべからずという次第である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます