カンボジア旅行 二日目:宗教利用・宗教統制の諸相

2024-09-15 11:23:44 | カンボジア旅行

 

 

さて、アンコール・ワットのレリーフ「こいつらずっと戦争やってんな」シリーズ(笑)も最終章。

 

 

 

 

DEVAは「神」を表す単語で、ASURAというのは「神に敵対する者」ぐらいの意味なので、要するに神々とそれの敵対者たちの戦争を描いたレリーフである(イメージ的にはゾロアスター教のアフラマズダVSアンリマユあたりか。あるいはロマサガの「エロールなどの神々VSサルーインら邪神」と言った方が通じるかもw)。

 

 

 

 

弓はいらん、ソードを寄越せ(サルーイン並感)!乗り物も色々違うんすなあ。ちなみにワイは絶影を所望いたします(聞いてない)。

 

 

 

 

色々描いてるのもわかるけど、この辺になると、なんかごちゃついててあんまし構成が上手くない印象を受けるなあ。

 

 

 

 

神々のくんずほぐれつ(表現がおかしい)を見ながら、改めてこの壁画が16世紀のアンコール衰退期に作成されたことを思い起こした。

 

 

 

 

「宗教を使った権威付けで衰退を糊塗しようとした」みたいな話を書いたが、同じ頃の日本は16世紀だから戦国時代か。この頃は中世から近世への移行期として捉えられることが多いが、宗教としても転換期となっていて興味深い。

 

具体的には、それまで仏教における辺境=お辺土として日本は悪い場所のように語られ、ゆえに本地垂迹説で仏陀や菩薩が主、神は従のように語られてきたが、この頃には神国思想の広がりから神道>仏教という見方が提唱され、それなりに影響力を持つようになったんよな。とはいえ、それが即ち政治などの各分野でも神道>仏教になった訳ではないのは、一向一揆とその影響力を思い起こすだけでも十分だろう。

 

ただ、17世紀の江戸時代になると、キリスト教排撃の目的もあり、「宗門人別改帳」という形で人々は仏教の各宗派に登録を強制されることになった(そこから免れたのは無宿人のような存在であり、要するに「宗門~」は役所の戸籍のような役割を果たしたとも言える。またこのような一種の「自動登録システム」が、いわゆる「葬式仏教」と合わせて宗教的帰属意識の形式化・形骸化を招いたのではないか、というのは何度か述べている通りだ)。

 

これだけ見ると、一向一揆での権力闘争にも関わらず、仏教が政治との結びつきを強めたように感じられるかもしれないが(実際「国教化」とも呼びうるので)、前述の宗門人別改帳は日蓮宗不受布施派のような異端と見なした仏教の宗門を排除・弾圧する狙いもあり、そこから考えると、これは政府が一種のお墨付きを与える形で仏教をそのコントロール化へ置くことに成功した、という見方ができるのではないだろうか(これは例えば、三好氏が室町幕府においてそれなりの役職を得たことに関し、三好氏の勢力伸長という側面だけでなく、幕府による三好氏の取り込みとしても評価できる、といったことと類似する)。実際、江戸時代においては1637年の島原の乱を除き、大規模な宗教一揆や宗教戦争は一度も起こっていないのだから。

 

この点に関しては、まさに同時代の17世紀ヨーロッパにおいて、カトリックVSプロテスタントの三十年戦争の結果ウェストファリア体制が成立したことを想起したい。この内容は最終的に両派どちらを信じてもよいという信教の自由を保障し、宗教戦争の終結へと繋がったのだが(ただし三十年戦争終盤には宗教戦争より国際政治紛争の様相が強くなっていた)、これはローマ・カトリック教皇および神聖ローマ皇帝の権威低下とともに、主権国家(体制)による自国内の宗教のコントロール強化という意味合いを持っていたとみなすこともできる。

 

こうして考えてみると、宗教勢力の抑制による中世的要素の縮小・脱却が近世を用意したのであり、それが19世紀の近代国民国家を準備したと考えると、日本がいち早く近代化を成功させた要因というのは、やはりその前に様々な土台が(結果としてではあるが)できあがっていた要素が大きいんだろうな。

 

・・・というわけで、レリーフ部分の見学完了と。

 

それじゃあさらに奥の回廊部分に進んでいこうかね。


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