こないだは「成ル談義」の中で宗教戦争と「信教の自由」の成り立ちを扱った。またそこでは、「近代」というカテゴリーの微妙さ(=きれいに断絶しているわけではない)、宗教戦争の政治性といったものに言及もした(そのリンク先では、「国民国家」という枠組みの歴史性を徒然に書いている)。まあ端的に言えば、そう単純に図式化できるわけではないという話なのだが、今回はそれに関連して、日本にキリスト教が定着しなかった理由とその疑問について少し書いてみたい。
このような問題を考える時、文化論・文明論的な枠組みに頼ると、ぶっちゃけわかりやすい。つまり、日本人は「八百万の神」と言われるように多神教的・ガラパゴス的だから、一神教的なキリスト教は合わなかった、というわけだ。もっとわかりやすく極端な話をすると、東洋と西洋という二項対立で考える、とかね(ユダヤ教もイスラームも「オリエント」から出てきて「セム的一神教」とも呼ばれることを知っていれば、お間抜けな話だというのはすぐにわかるはず)。でもそれって説明として粗雑にすぎやしませんかね?てのが俺の意見である。まあそれに関する疑問は「basic questions about Japanese irreligion」で一部触れたが、今回はちょいと別の角度でいきますぜ。
Question1:仏教って多神教なの?
キリスト教と違って仏教は普及したわけだけど、じゃあ後者は多神教なのかと。まあこの問題は意見が分かれるので厄介な部分もあるが、仏陀の教えを信じるという意味では一神教的であるし、また特定の具体的な対象を拝む(=仏陀自身に救いを求める)のではなく修行の果てに解脱をしようとするという意味では「無神論」的とも言える。
もちろんここで、そのような特徴は原始仏教的・上座部仏教的であるとし、また日本では「神仏習合」、「本地垂迹説」と言われるように元々あった神々への信仰を取り込んだから普及した(できた)のだ、という反論が可能である。
しかしながら、これまたよく知られているように、日本が仏教を受容する際に物部氏を始め反発する勢力があったと『日本書紀』にはある。もちろんこれは「国家レベルで受容するのか?」という「公認」の問題であり(キリスト教で言えば「ミラノ勅令」に近い)、またこないだ言及した宗教戦争と同じで権力闘争の側面もあっただろう。とはいえ、仏教の受容が最初からすんなりいったわけではない、という点は意識しておくべきではないか。また前述の事情から、仏教は鎮護国家としての、つまり国家お抱えの宗教としての側面が最初は強かった。それが民間へも広く普及していくのは、厳しい戒律を必要とせず出家しなくても救われることが可能であるとする鎌倉仏教の出現を待たなくてはならない。
以上要するに、仏教の受容や普及もまた歴史性のあるもので、その(変容の)過程を問題にせず受容されえた要素のみ取り出していくのは結果からの逆算(後付け)にすぎない、と言える。
Question2:キリスト教って日本に広まったことはないの?
戦国時代から江戸初期にかけて日本にもキリスト教が布教され、ある程度広がりを見せたことを知っている人は多いだろう。では、それはどのように捉えるべきか?
前述の「basic~」でも取り上げたが、これに対していくつかの反論が予想できる。一つ目。戦国大名の帰依は貿易のための戦略的な理由にすぎない=信仰心は関係ない、というもの。これ自体は妥当な意見だろう(これは東南アジアの商人たちがイスラームに帰依していったことを連想させる)。二つ目。広まったとは言っても、マリア観音とかを拝んでいたから、そのキリスト教は日本風に改変されていて多神教的になっている=元の姿ではない、というもの。なるほどこれも理解できる。またそこから、やはり「一神教的なキリスト教は多神教的な土壌を持つ日本では受け入れられなかった」というテーゼが正しいようにも思える。
しかし、一つ大きな疑問が残る。というのは、キリスト教の受容と普及という観点で言えば、この話はむしろ、たとえキリスト教のような厳密な一神教でさえも多神教的に受容できてしまう(しまった)ということをこそ示しているのではないか(まさに融通無碍!)?この見方が正しいとすれば、「一神教だからキリスト教は広まらなかった」というのは全く説明にならないと思うのだがどうだろうか?大きな変容を遂げたものをキリスト教と呼べるのか、といった意見が出るかもしれない。しかしそれなら、、前述の仏教だって日本のそれはインドで始まった形態とは全く異質なものになっているわけで、仏教にも同じ考え方を適用しないといかんだろう(ついでに言えば、同じイスラームが盛んな地域であっても、トルコ、イラン、サウジアラビアでは全く状況は異なるわけで、むしろ変容こそが常態なのだ)。
以上を踏まえると、キリスト教が普及しなかった理由を文化論的に解釈することは問題が多いと言わざるをえない。これは日本宗教史の書籍でしばしば感じることでもあるんだけど、思想史的というか内面ばかりに注目しているからそういう錯覚をしてしまうのではないだろうか。たとえば仏教とキリスト教で言うのなら、仏教が鎮護国家に始まり国家的な保護を得ていたのに対し、キリスト教は(最初こそ保護されたが後に)弾圧され、マイノリティ化していった、といった点にあまりスポットが当たっていないように見える(もちろん、仏教も弾圧された時期や宗派が数多くあったことは念頭に置かねばならない。ただ、同時期で言うなら一向宗とキリスト教では、後者が伝わって間もないこともあり、地盤の確立度合いが全く違ったといった事情を考慮する必要があるだろう)。ヨーロッパで言えば、アルビジョワ派が弾圧され消えていった、とかね。他の地域でもいくらでもそういう事は起こっているのだ。
今回は、そのような権力との結びつき・保護といった「散文的」なものが宗教の受容・普及にかなりの程度関係しており、それに注目する必要があると指摘して筆を置きたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます