「一切皆苦」について

2023-06-22 11:48:11 | 宗教分析

自分が大切に思う存在が、この世から失われてしまうことは苦しい。

死や消失の平等性は個々人の愛着と全く関係がない、という事実を受け入れるのは難しいものだ。

 

あるいは他人が自分の望まない行動ばかりすることに苛立ちを覚える。

他者が自分の制御不可能な存在だと理解していても、そのことを受け入れるのは難しいものだ。

 

あるいは自分の努力が報われないことが悲しい。

かけた労力の報いが同じだけ返ってくるわけではないと理解していても、その事実を受け入れるのは難しいものだ。

 

「一切皆苦」とはどういうことなのだろうか?と考えてみた時に、それは単に「生きること即ち苦である」という単純なものではなく、何の根拠もない思い込みや期待との落差こそが、苦の源泉であるということに気付かされる。

 

即ち、死とは平等なものであるはずなのに、自分の愛着がないものはそれに近く、自分の愛着があるものはそれから遠いと勝手に思い込む。あるいは、他者を自己の延長であるかのように錯覚したり、自己の思いや行動はその熱量に比例して報われるのが当然だと決めつけてしまったりする(ここで司馬遷が『史記』の中で「天道是か非か」と喝破したことを想起することも有益だろう)。

 

それらは先入見であるがゆえに、当然その通りにならない。ゆえに苦しみ、怒り、苛立ち、悲しみといった感情が生まれてきて、ただ己の思い込みが生んだにもかかわらず、それらに振り回されるのだ。

 

ひとまず、このような状態が一つの「苦」とみなすことができる。では、前述のような発想を僻見だと理解すれば、そのような「苦」は収まるのだろうか?それは誤った考えである。

 

例えば己の愛した人が、平等な死によっていずれこの世から消えることを理解していたとしても、その苦しむ様や死に至る様を全くの平静な感情で受け止めることは極めて難しい。それは喩えて言うなら、腕を切り落とされることが激痛を伴うと頭では理解していたとしても、そのことによって痛みを感じないでいられるわけではない、というのと同じである。

 

つまり、己の勝手な思い込みとそれによる落差が苦の源泉であること。しかしそれにもかかわらず、その理解や先入見の解消への努力が、苦の消失を意味しないということ。そしてそれにもかかわらず、生きるという行為自体は止めないということ。この3つの前提に立つならば、「一切皆苦」というのは、この世界を生きる前提とさえ言えるのではないだろうか。

 

というわけで、自分の理解する「一切皆苦」について述べてみたが、このような発想を根幹とする仏教は「東洋的」として欧米に紹介されてきた。しかしこれを「東洋的」とするのは全く当たらないと私は考える。

 

より正確に言えば、それは紹介された当時の欧米、即ち理性信仰の肥大化が進み、そこから人間の力(自力)により世界の変革こそ是とされた発想との対置として限定的に有効なのであって、欧米にも「一切皆苦」の根幹にあるエートスを共有するものは様々見られる。

 

その典型は、人間が自己の善悪の基準で勝手に神の恩寵を測ることを戒めた『ヨブ記』であり、あるいは人間理性への懐疑に基づき社会運営の理念として永遠の微調整(による漸進主義)を土台に置いたバーク的な保守主義であり、あるいはロシアの文豪トルストイの『人生論』にみられる世界理解などが挙げられる(もしくは英語で「なすがまま」を意味するat the mercy of~のmercyが「神の慈悲」から来ていること、すなわち人間にとってこの世のままならなさを表象していることなどを想起するのも有益だろう)。

 

それらに共通するのは、世界の見通し難さの理解に基づいた人間の先見への戒めや、あるいは世界の単純化(主知主義)への戒めであろう(あるいは「自力」と「他力」の話を思い出すのもよい→灰羽連盟に関して述べた絆・共同性のことも参照。これは短絡的な自己責任論から距離を取ることにもつながる)。

 

そして今のような世界理解に基づけば、これから人間関係をコスパやタイパで測り、ノイズを排除したAI的なるもので代替することを是とする社会傾向が強まってきたとしても、自分の勝手な期待とそれに基づいた落差という苦が無くならない限り、いやむしろそこに気付くことが(様々な快楽提供装置の普及によって)より困難になるという意味で、決して人間社会は幸福になることはないだろう、とも思うのである。


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