蛇の神ナーガに守護されながら瞑想する仏陀像からは、ヒンドゥー教と仏教の混淆が見てとれる。
何度か書いてきたように、日本人が日本の宗教についてあたかも専売特許のように述べる神仏集合や宗教的混淆は、実のところアジア世界に目を向ければ様々な地域に様々な事例が見られる。
具体的にはタイの仏教+サイヤサートしかり、韓国の仏像と狐などが同時に配置された伽藍しかり、中国の儒教・道教などなわけだが、にもかかわらずシンクレティズムを独自のものとみなしがちなのは、今だにその自己像が「一神教の欧米と違う我々」という偏った認識で止まっているからではないかと思う。
逆に言えば、比較宗教学や比較言語学などで広い世界を知れば、自己像の多くが思い込みに過ぎないと簡単に気づけもするのである。
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