日韓外交、民主主義の黄昏、自慰識の戯れ

2017-08-30 12:15:27 | 生活

 

なかなか扇情的な題名やのう、と思っていたが、なかなかどうして興味深い内容であった。 外交というのが相手と仲良くすることではないのは言うまでもない。マックス=ウェーバーは「善から悪が生まれることはしばしばあり、それが見抜けない人間は政治のイロハもわきまえぬ未熟児だ」という趣旨のことを喝破したが、外交についても同じで、先のようなナイーブな理解をしているのであれば、関わるのはせいぜい価値観の近似な町内会レベルにしておくべきで、端的に言って外交をする資格がない。言い換えると、外交とは相手の腹を探り合い、時にあえて極端なことを言い、最終的により有利な妥協点を探る交渉であるから、相手がどのような背景でものを考えているのか・発言しているのかを知っておくのは合理的である。その一例としておもしろい対談であった(ちなみに、国際的承認を元に韓国の主張の妥当性を問題にするのは当然必要な視点だとして、その場合は日中戦争を「支那事変」、太平洋戦争を「大東亜戦争」と表現してしまうような立場にも同じような態度でのぞむのが筋というものだろう)。

 

しかしなあ、こういう事実を冷静に分析しようとしないというのは世界的に増えてきている現象だと思うが(もう何度となく例に挙げているが、トランプ現象やブレグジットetcetc...)、これを見るとますます人工知能にガバナンスを譲り渡した方が得策だなと思う次第である。「現実」というやつがそんなに見たくないなら、極力中毒性の低い麻薬を作ることに注力し、トリップしたあとは人工知能に任せておけばいいのである。そしたら、満たされる自意識を源泉に騒ぎ立て、その結果他者を害することを欲望する人間も減るだろうにね(゚∀゚)アヒャまあその時には、なぜ私たちは肉体を持ち続ける必要があるのかという話になって、テクノライズあるいは順列都市的な世界の希求も出てくるだろうけど。

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