ジャニー喜多川による性暴力が報道され、かつそれに対する「ファン」の事なかれ主義や冷笑主義的反応が見られるようになった時、私が思い出したのは個人VtuberであるKsonが配信で語った言葉の数々である(ここでは、繰り返し言っている「普遍主義的思考」の重要性、すなわち問題構造の理解と一般化→対策・解毒化という視点から記事を書いている)。
切り抜きが端的によくまとまっているのでそれを見てもらえば十分ではあるが、いくつか抜粋すると
・「解釈違いだとブチ切れるユニコーン厄介過激派」
・「男の影が出た人は全力で叩く」→「これが日本の正しいアイドル文化だ(という誤解)」
・欧米の「本人が幸せならいいんじゃね?」というノリの重要さ
・「アイドルとしての像に合致するよう努力することを否定はしないが、それから少しでも外れると絶対に許さない」
・「自分の権利を主張するだけで、日本人はおしとやかで自分の権利なんか主張しない(だからそんなことやるヤツは)ダメダメ(と否定)」
・「権利を主張しない人を推すのが本物のweebみたいになっている」
・「ガイドラインに従って活動することと、奴隷になることは違う」
・「黙って従うのが本物の清楚じゃない」
・「本当の清楚っていうのは、嫌なことは嫌ってはっきり言って、どれだけ偉い大人に汚されそうになっても『ふざけるな、私はやらない』っていう人のことやぞ」
・「自分の中の芯一本絶対通している人が本物の清楚」
・「自分たちの首を絞める応援の仕方を今すごくしてる気がして」
これらを見てあまりピンとこないならば、類似の特徴を持つ存在である毒親を連想すれば、解像度は極めて上がるのではないだろうか。すなわち、(それが例え自身の血を分けた子供であっても)他者を自分の理想を体現するはずの存在と決めつけてそこから外れるのを許さないのは、愛情でも何でもなく、ただ「都合いい存在を作り出してコントロールしたいだけ」である(別の文脈ではあるが、私はそれを「心の底からIしてる」という記事で書いた)。
私がジャニーズの問題についてパワハラなどと絡めながら二度目の言及をした日に、「AIの進化」と並行して「人間の劣化」が進み、そのコミュニケーションがAIに置き換わるという記事も書いている。それは以上で述べたような「ノイズの排除された都合のよい他者を求める態度」でいるなら、多様化・複雑化の中でより難度の上がっている人間同士の対話より、bot的なるものでその欲望を満たそうとする傾向は強まっていくだろうし、またその方がはっきり言って(都合のよい欲望による他者を抑圧しないで済むという意味で)他者・社会の為ですらあるかもしれない、という意味合いに基づいている(ついでに言っておくと、この記事は毒親との絡みで「メンヘラ解体新書」という別の記事とセットにして同じ日にアップするつもりだったが、ジャニーズ関連の報道とそれへの「ファン」の反応を見てこちらを優先的に書くべきだと思ったので予定を変えた次第)。
他人がコントロール不可能な存在と認めた上で、お互いを尊重し合って共生を図ろうとする姿勢を持てないなら、そんな関係性に未来はないし、そんな葛藤に向き合う気がない方はbotとでもランデブーしてどうぞ。
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