隠岐西南部の舟小屋群から少し内陸に向かうと、すぐ山(大峯山・横尾山)に入るのだが、こちらへ来たのは壇鏡神社と滝を見るためだ。
こんな感じでごっつり山の中にあります。駐車場こそあるものの、こちらに来るまでの道は荒れ気味&狭いので、訪れる際は要注意(フラグ)。
階を登りて先に進まんとす。
なんかここまで自然が残っているところに身を置くと、修験にでもなった感じがするねえ(・∀・)
こちらが滝と社殿。落差が50メートル近くある滝は見ごたえ十分でありんす(写真だとわかりづらいが)。
なお、この水は「勝利」や「長寿」と結びつけられ重宝されており、特に牛突きの出場者などが水を汲みに訪れるのだとか。
社殿自体は非常にシンプルなもの。まあ周辺の地形を考えたらでっかいのは作れんわな。
なお、この神社の由緒は、夢のお告げで滝を見つけ、滝のそばで神鏡を発見したことに始まるそうだが、前に別の山中で見た大山神社や岩倉神社が巨木を祀っていて社殿を持たない古神道の形態を維持していることを踏まえると、神鏡云々は後付けで、もともとあった滝が信仰の対象となり、そこに巨木の伝承も付随するようになった、というのが実態なのではないだろうか。
ちなみにこちらは滝の裏にある虚空蔵菩薩(遠くてわかりづらいが、わずかに火焔光が見えるかと)。あれ?廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた隠岐においては、寺社が一度徹底的に破壊されたはずで、まして神仏習合的な形態がまだ残っていたりするのか・・・?と疑問に思う向きもあるかもしれないが、元は少し離れた光山寺という寺にあった仏像である。
その寺が前述の廃仏毀釈で焼失した結果、これらの仏像が野ざらしになっていたため、大正時代にこちらへ移して祀ったという経緯がある(格子がはめられているのは仏像保護の目的か)。なお、その光山寺は昭和時代に檀家たちの手で再建されているが、外観は小型の蔵のような造りをしており、本当に少ないお金を出し合ったのだろうと予測される。
こういった経緯を踏まえると、この虚空蔵菩薩の来歴は、近代化以降に隠岐の宗教が被った変化の縮図とも言える。具体的には、天皇との結びつきや離島という地理的環境がもたらした尊王攘夷の機運と、そこから生じた隠岐騒動、さらにその挫折の後で起きた神仏分離令に乗じた苛烈な仏教弾圧(廃仏毀釈)、そしてしばらくの時を経ての(かなり規模を縮小してではあるが)仏教再建という流れである。それを目の当たりにできたという意味で、この場所を見学できたのは(以前書いた「神仏習合の実態と神仏分離の影響度合い」などとも絡めて)大変有意義だった。
と、あれこれ感慨にふけったところで帰り際に一枚。
いかにここが山深き場所かよくわかるというものだ。
階段を下りて・・・
鳥居をくぐって・・・
参道を歩く・・・
いや~てかこの景色めっちゃいいな。前に中尊寺を訪れた時にも思ったことだけど、境内に入る(正確には山門や鳥居を抜ける)前に、そもそもこの雄大な自然に足を踏み入れた時点で、自分が(山中)異界に身を置いていることを体感して、不思議な解放感に包まれるんだよなあ。
ここはいい・・・
そして駐車場へ。
さて、それじゃあ次なる目的地は岬=また海だなと車を発進させたところ、ほぼ離合が不可能な場所で対向車が来てしまい、後退の憂き目に。
相手がやや大型の車のため寄せてもなかなか離合できない中、右後輪からガガッ!と嫌な音がした(一応心電図みたいな警告音には気を付けていたんだが)。もしかして、だ・つ・り・ん(ロマサガオマージュ)?
いよいよ進退窮まったかと思ったところ、自分の車が小型車であるのも幸いしてか、先方が通り抜けることができ、首の皮一枚繫がった(・∀・)
にしても、脱☆輪しなければ離合できないとか、恐ろしい子!
まあ終わりよければ全て良しってことで、次は海辺に向かいマスかね(・∀・)
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