さて、引用した動画が二郎系のマシマシみたいな濃厚さだから、ここにあれこれ要素を追加しようもんなら、胸やけどころかリバース不可避なことになりそうなんで、最小限のトッピングにしておきますのすし。
・ノイズ排除を徹底すると、他者性(人間)は邪魔になる
(一昔前に巷間に流布した「キャラ的人間関係」はもはや当たり前に)
・AIの「進化」と人間の「劣化」は並行して進む
(ホストならぬbotでええですやん、てねw)
・「関係性の履歴」がわかりにくい人は、「沙耶の唄」という傑作をプレイすべし
(なぜあれが「純愛」ゲームだと受け取られたのか?)
まあこんなとこですかね。もうちょっと補足するなら、他者と向き合って複雑性を受け入れるスタンを保てている人でも、社会で自動機械の割合が急速に増えていけば、自然とそちらに引きずられていかざるをえなくなるので、今の社会の趨勢を止めることは極めて困難だ、てことぐらいですかね。
なお、これを見た反応の一つって、「世界では同時多発的に大変なことが起こりまくっているのに、現実の対人関係の実り無さとかしょーもない理由で享楽にふけってんちゃうぞ」というものだろうと思うが、そういうマインドで社会を運営してきた結果が今の日本社会なんですがね。そういう問題構造が発露したのが、宝塚の事件とその対応なわけで。まああれは極端な形すぎてさすがに異常だろと思うかもしれないが、「集団のために個人は奉仕すべきであり、ゆえに死ぬなら退団してから死ね。組織に迷惑をかけるな」という趣旨のツイートを見て、「こういうマインドって最近色々なところで目にしてないか?」と気付かないのであれば、その発想力の貧困の方が問題だと思われる(まあこういうマインドで日本という社会は回ってきたのであり、昨今はそれが大きな組織で色々と暴露され問題になっているだけの話なんだが)。
で、じゃあそれがどう社会問題への認知や解決のモチベートに結びつくのかって疑問はやはりあると思うので、最後に全然毛色は違うがまあまあ近い話をしているこちらの動画を掲載して終わりとしたい(動画主の主張には賛同しない点も多いが、最終的に冒頭の動画群リンクする話になっているのが興味深い、てことで)。
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