ポプテピピック:「新種の文化人」はこう言った vol.2

2018-01-14 12:45:16 | ポプテピピック

 

ズレが「笑い」を生み出すのである、と前に述べた。例えば、王の発言を別の人間が(特に語調も含めて)そのまま話すと、しばしば揶揄・風刺を意味するのは中世ヨーロッパのjokerを見ても明らかである。ポプテピピックは、このような要素を組み合わせることによって成り立っている。すなわち、ポプ子の前に三月ウサギが現れてお茶会に行くかと思えば、それは突然アメリカ中西部の66号線へと繋がっていくし、勉強をしようとするピピ美をポプ子が太鼓を叩いて応援する話でピピ美が止めるのかと思いきや、いきなり「別寅」という謎の掛け声をポプ子が出してそれに「ローカルCMネタはやめろ」とズレた突っ込みがなされるのである。そして、このような旧かったり、マイナーだったりするネタ、あるいはバイオレンスな行動・発言をデフォルメされた女子キャラクターが掛け合うというズレもまた、ポプテピピックを成り立たせているelementであると言ってよい。そう考えると、様々な声優が入れ替わりで声を担当するというのは、そのような原作のズレをアニメーションという表現方式で見事に写し取ったものとして非常に高く評価できるように思われる。

 

しかしこのような理解だけで終わるのであれば、それは物事の片側しか見ていないと言わざるをえない。というのも、ポプテピピックを支えてきたもう一つのelement、すなわち「関係性」を見落としているからである。たとえどのように無茶なネタや暴言・行動があっても、否むしろそれあるからこそ、変わらないポプ子とピピ美のバディ感が我々には印象付けられてきた(これは2nd Seasonで作者にかなり意識されるようになり、3rd Seasonではいささかそちらに寄り過ぎている嫌いがあることも付言しておきたい)。では、その「関係性」はどうアニメとして生かされているのか?そう考えてみると、たとえば第一話の前半は原作の発言を反映したもの(そして予告と違う=視聴者の掴み)だが、後半はタッチのコンビであり、また第二話はDB・うる星やつら・パトレイバーのコンビである。つまりはそれぞれに「バディ感」が連想できる二人がきちんと選ばれているのである。このことは、第二話冒頭の手抜き画像塗り残しパートで予想通りの実写映像だけでなく、声優二人の姿が映し出されている点を見ても意識的であることが理解されるだろう(何せ夫婦まで出てくるほどだ!)。

 

つまり、単に女性キャラを男性キャラに演じさせるとか、大御所に珍妙なセリフを言わせるとかいった面白さだけでなく、これまでに存在した著名なバディが二人を演じるという面白さが同時に存在している(もちろん大雑把な配役ではなく、「日高のり子がサ〇キではなくト〇ロに扮している」というズレ、「ラディッツを羽交い絞めにするのが悟空ではなくピッコロである」というズレといった心憎い演出が含まれていることにも注意を喚起しておきたい)。それだけでなく、ここが最も重要なのだが、たとえ誰が演じたとしても、ポプ子とピピ美がバディであることは不変・普遍であるという「関係性」の刻印がなされているのである(「おそ松さん」の例が典型的だが、女性の消費行動・視点において関係性というものがしばしば重視されているということも付言しておく)。

 

このような演出の妙を踏まえて、次回以降の話がどうなるかを考えればより楽しみが増すのではなかろうか、と付言しつつ稿を終えることにしたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポプテピピック式エール | トップ | ピピピピピッピ:AC部の怪・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ポプテピピック」カテゴリの最新記事