前回の「英作文とセーラームーン」で書いた「普通」の感覚を基盤にした違和感の萌芽について扱っていこうと思う。なお、以下の対談は、「尿は汚い、気持ち悪いものである」という大前提に基づいている。逆に言えば、その認識を共有できない人(っているのか?)は読んでもあまり意味が無いかもしれない、ということをあらかじめ断っておく。また、食事中の人やシモ関連に生理的嫌悪感の強い人は読まないことをおすすめする。しかしまあ…違和感を突き詰めた結果とは言えこういうことを考えるあたり、自分は頭が飛んでいるなあと思う次第。
(登場人物)
R=竜崎 D=堂島
R
今回は、「最近二次元で失禁の描写が増えてきた理由」について論じたいわけだが…
D
カエッテイイデスカ?
R
まあ待てよ。普通みんなそういう拒絶反応するのに、何で描かれるのか不思議じゃね?描かれるからには…いやそれだけだと単なる作者の趣味の可能性もあるが、そういった描写が増えてるってことは、ニーズがあるわけでしょ?
D
「普通」に入らない特殊な趣味の方々のために描かれたからじゃねーの。あとは、二次元においてはケツが「穴の記号」にしかならんように、小便は「液体の記号」として描きうるって事情も関係していると思うがね(だから、それこそ「大」替物の存在しないあれを描くのはハードルが高くなるわけで)。現実のしょんべんほどには生理的嫌悪感を喚起しないから、たとえそれが好きじゃなくても、受け流すことも可能だから描ける、てゆうあたりかと。てゆうか、そもそも本当に増えてきたのか疑問なんだけど。月野定規とか見て何となくそんな印象を抱いているだけじゃね?
R
まあさすがに統計をとったわけじゃないんでその辺は微妙だけどさ、そこはおいおい説明するよ…てゆうかその発言だと多分誤解してるから確認しておくけど、俺が言ってるのは排尿じゃなくて失禁だぜ。
D
どう違うんね。
R
前者は尿を出すことそのものが目的だけど、後者は何かに付随して起こる、てこと。そして、どうも後者が描かれる場面に共通しているのが「イった時」あるいは「イくよりも感じた(らしい)時」なのよ。
D
そうすると失禁はエクスタシーと関連が深いってこと?
R
その通りや。で、ここで思い出してほしいのが「「ふたなり」に関する覚書」の「要するに「ふたなり」とは、超越者・中性化の記号ではなく、男性読者が女性の感じている姿を(共感という幻想によって)違和感なく受け入れるための有効な触媒になっていると結論できるだろう。」という部分。ふたなりの射精と失禁ってさ、「放出」って部分で共通してない?まあこれだけじゃあ納得しないだろうから、もっと一般的に愛液とか潮吹きの話で考えてもいい。
D
くけけけ…その表現聞くと何かレベルの低い姦脳小説みてーだな。しかしまあわかったよ。つまり液体の放出=「感じている証拠」ってことね。失禁もまた女性が感じていることを納得させるための記号だ、と。そう言えばさっき小便を「液体の記号」だって表現したけど、他のものにも応用できそうだな。
R
そうなんよ。これまたなぜか増えつつある母乳の描写とかも説明できるってわけで。
D
あーね。しかし、それはわかったけど、実写で失禁云々て聞いたことねえなあ。まあ二次元と違ってそういう状況を作り出すのがめんどくさいし、現実なんだから尿への嫌悪感がストレートに出ちまうからなんだろうけど。
R
そうだな。お前がさっき言ったのと繋がるけど、失禁とかの描写(へのニーズ)は現実との連続性ではなく、むしろ非連続性(=変換による記号化)ゆえに成立しているわけだし。
D
なるほどねえ。「排出・解放のカタルシスについての経験→何か出ているのは対象が気持ちいい証拠→対象の内的感覚との断絶による不安の解消」とまあこんな具合で感じていることを確認し、満足するわけか。しかし、そういう客観的(?)証拠に頼ってまで執拗に感じている姿を描こうとする理由は何なのかねえ。
R
そりゃ読者にとって感じている描写が重要な意味を持っているからでしょ。だから放出のカタルシスを利用した快楽の確認作業が必要になる。
D
いやだから、そういう描写が重要な意味を持つのは何でかっちゅう話よ。そう考えると、「波状言論F改」で永山薫が指摘していたことが浮かんでくるのよね。
R
男性向けエロ漫画で繰り返し描かれているのは、結局、男が女に奉仕している姿なんだ、てやつ?
D
そう。「悦ばせることが甲斐性だ」とでも言わんばかりにそういう描写が量産されてきたわけだけど、さすがに読者も慣れて(飽きて)きたし、また感覚の断絶は相変わらずなので、新たな快楽の確認方法が導入された、ってところなんじゃないかと。
R
なるほど。つまりそういった意識が連綿と続いており、場合によっては強化さえされている可能性を失禁や母乳、つまり放出のカタルシスへのニーズは伝えている、というわけか。
D
そういうこと。
(登場人物)
R=竜崎 D=堂島
R
今回は、「最近二次元で失禁の描写が増えてきた理由」について論じたいわけだが…
D
カエッテイイデスカ?
R
まあ待てよ。普通みんなそういう拒絶反応するのに、何で描かれるのか不思議じゃね?描かれるからには…いやそれだけだと単なる作者の趣味の可能性もあるが、そういった描写が増えてるってことは、ニーズがあるわけでしょ?
D
「普通」に入らない特殊な趣味の方々のために描かれたからじゃねーの。あとは、二次元においてはケツが「穴の記号」にしかならんように、小便は「液体の記号」として描きうるって事情も関係していると思うがね(だから、それこそ「大」替物の存在しないあれを描くのはハードルが高くなるわけで)。現実のしょんべんほどには生理的嫌悪感を喚起しないから、たとえそれが好きじゃなくても、受け流すことも可能だから描ける、てゆうあたりかと。てゆうか、そもそも本当に増えてきたのか疑問なんだけど。月野定規とか見て何となくそんな印象を抱いているだけじゃね?
R
まあさすがに統計をとったわけじゃないんでその辺は微妙だけどさ、そこはおいおい説明するよ…てゆうかその発言だと多分誤解してるから確認しておくけど、俺が言ってるのは排尿じゃなくて失禁だぜ。
D
どう違うんね。
R
前者は尿を出すことそのものが目的だけど、後者は何かに付随して起こる、てこと。そして、どうも後者が描かれる場面に共通しているのが「イった時」あるいは「イくよりも感じた(らしい)時」なのよ。
D
そうすると失禁はエクスタシーと関連が深いってこと?
R
その通りや。で、ここで思い出してほしいのが「「ふたなり」に関する覚書」の「要するに「ふたなり」とは、超越者・中性化の記号ではなく、男性読者が女性の感じている姿を(共感という幻想によって)違和感なく受け入れるための有効な触媒になっていると結論できるだろう。」という部分。ふたなりの射精と失禁ってさ、「放出」って部分で共通してない?まあこれだけじゃあ納得しないだろうから、もっと一般的に愛液とか潮吹きの話で考えてもいい。
D
くけけけ…その表現聞くと何かレベルの低い姦脳小説みてーだな。しかしまあわかったよ。つまり液体の放出=「感じている証拠」ってことね。失禁もまた女性が感じていることを納得させるための記号だ、と。そう言えばさっき小便を「液体の記号」だって表現したけど、他のものにも応用できそうだな。
R
そうなんよ。これまたなぜか増えつつある母乳の描写とかも説明できるってわけで。
D
あーね。しかし、それはわかったけど、実写で失禁云々て聞いたことねえなあ。まあ二次元と違ってそういう状況を作り出すのがめんどくさいし、現実なんだから尿への嫌悪感がストレートに出ちまうからなんだろうけど。
R
そうだな。お前がさっき言ったのと繋がるけど、失禁とかの描写(へのニーズ)は現実との連続性ではなく、むしろ非連続性(=変換による記号化)ゆえに成立しているわけだし。
D
なるほどねえ。「排出・解放のカタルシスについての経験→何か出ているのは対象が気持ちいい証拠→対象の内的感覚との断絶による不安の解消」とまあこんな具合で感じていることを確認し、満足するわけか。しかし、そういう客観的(?)証拠に頼ってまで執拗に感じている姿を描こうとする理由は何なのかねえ。
R
そりゃ読者にとって感じている描写が重要な意味を持っているからでしょ。だから放出のカタルシスを利用した快楽の確認作業が必要になる。
D
いやだから、そういう描写が重要な意味を持つのは何でかっちゅう話よ。そう考えると、「波状言論F改」で永山薫が指摘していたことが浮かんでくるのよね。
R
男性向けエロ漫画で繰り返し描かれているのは、結局、男が女に奉仕している姿なんだ、てやつ?
D
そう。「悦ばせることが甲斐性だ」とでも言わんばかりにそういう描写が量産されてきたわけだけど、さすがに読者も慣れて(飽きて)きたし、また感覚の断絶は相変わらずなので、新たな快楽の確認方法が導入された、ってところなんじゃないかと。
R
なるほど。つまりそういった意識が連綿と続いており、場合によっては強化さえされている可能性を失禁や母乳、つまり放出のカタルシスへのニーズは伝えている、というわけか。
D
そういうこと。
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