水俣病博物館は間もなく閉まろうとしている。私がじっくりと見て回っていたからなのか、研究者か何かと勘違いされたようで所属的なものを聞かれた。私が別に研究者ではない旨を伝えると、残念であるような、何か言いたそうな、いわく言い難い顔をして立ち去った。まあ国家が賠償責任を認めたことも受けて展示のリフォームを最近したそうだから、何かアピールしておきたいという狙いがあったのかもしれない。
さて、私が去り際でやはり印象に残ったのはこの掲示である。
ここに述べられた言葉を見て、たとえば過重労働をさせる会社を訴えようとしている人間への言葉(たとえば「たかの友梨」の社長発言が録音・公開され問題になった)、あるいは原発問題で脱原発を訴える人たちへ向けた言葉を連想するのは私だけではないだろう。なるほどマイケル=ムーアの「ロジャー&ミー」やラストベルトの例が象徴的なように、産業の死=街の死であり、その危機感と鬱屈がトランプ現象を産んだのも事実であって、お題目のように「被害者=善」、「弱者救済=正義」と唱えるのはナイーブにも程があるというのものだ。
しかしながら、「昔はもっと大変だった」といった言葉に象徴される、「俺も我慢してきたんだからお前も我慢しろ」と言って憚らないエートス(改良されるなら何が悪いと言うのか、と私は言いたいが)、あるいは「とにかく波風を立てるな我慢しろ(ノイズが煩いorでないと俺も迷惑を被る)」といった負の斥力が、「清貧」といった社会設計を理解せぬ愚にもつかない精神論と結びついて社会を停滞させているように思うのは私だけではあるまい。
まあもっとも、アメリカの石油会社は地球温暖化がフィクションであることを実証すべくせっせと研究してると言うし、そもそも日本に限らずステイクホルダーは「客観的な視座」に立つことなどできないと見切ってはおくべきだろう。とはいえそれを考慮に入れても、ナイーブな物言いを承知で言えば、何とも「真理」というか「価値」に対する日本のコミットメントの低さよ!だからすぐ、その場の論理(=「空気」)に流されるのだ・・・ま、それが全世界的な現象となって近代を支えた土台の液状化が始まっているらしいと暗に示しているのが、alternative factの喧伝であり、それを世界第一の大国の元首がしゃあしゃあと言ってのける状況なわけだけどもね。
ちなみにここで、真理なんてどうでもいいじゃないか、人はどうせ見たいものしか見ないんだし・・・と思ったアナタ!我が同志よ!!私と一緒に人工知能委任党を作ろうぜ。そしてずっと人がキャンDを舐めながら祈りの海に浸る未来を作るべく邁進しようではなイカ(゚∀゚)アヒャいやまあ実際滑稽なのが、先に言った「見たいものしか見ない」連中が、何か人間の重要な価値を守る的なことを言ってたりするのが笑えるわけでして、どっちかにしろよと。まあそういうののfollowerとなる人間のアホさをわかっててどう操作するかを考えているnew reactionismの人たちは、彼らに「保守」「保全」という餌を撒けば飛びつくこともわかってやってんだろうけどね。
なんてことを思いながら、博物館を出た。さて、後は家に帰るだけだが、しかし色々と考えた挙句にここから二時間も車に乗るのかと思うとちょっと萎えたムッカーであった(;´∀`)
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