なるほど、だからパンダくんが出ているんですねわかります(違う)w
しかしまあ「やってないことの証明」が難しいってのはホンマにそうよなあ。こういう認識があると、「推定無罪」なんて原則がある理由もわかるってもんや(こういう側面もあるから、組織的隠蔽の告発はもっと制度的・社会的に保障していくべきだと感じる一方で、「言ったもの勝ち」な風潮の危険性はいくら注意してもしすぎることはないとも思う)。
こういう場合、最初の動画のコメントにあるように、不倫を疑ってきた相手に対して、「あなたも部下と不倫してますよね」と言って否定されたら「ま、そういう風に言いますよね」と返しておくのがエスプリある対応ってもんやねw要は、笑顔で首を絞めながら、自身の発言がどういうことなのか、身をもってわからせてやるってわけだ(・∀・)
ちなみに不倫してる人間の割合の話が出てるけど、ワイの知り合いにもモンスターみたいなヤツがおったなあ。五股とか聞いた時はホンマかいなって感じやったけど、オラオラ自分からいくタイプではないけれども、人当たりの良さがガードを解かせ、垣間見える弱さが母性本能をくすぐるんだろうか、と思った記憶があるワw
この件に関して、ワイは学生の頃からエロスマイスターとして名を馳せていたので、自分にそういう案件が全くないのに同級生から驚かれることがあるが、これはワイがイケメソでも何でもないのはもちろんのこと、合わせて「めんどくさいのが死ぬほどキラい」てのがあるんやろうと思う(二つ目の動画で言われてることやね)。
自分の中に「人からコントロールされたくない」という強烈な軸がまずあって、またそうである以上、「他人をコントロールしたくもないし、すべきでもない(それに時間をかけたくもない)」という行動原理が導出されますよと(これは「ダウー先生に見る有能さと冷厳さの話」にも通じるものだ)。で、それをより一般化すると、「わざわざ敵は作りたくはないが、仲良くなる気もない」って行動パターンになりますよと。
で、この行動原理を性行為や性的関係にも適用すると、「自分は望まない性的行為を強制されたくないので、他人にも同様に振舞う」ということにもつながってきて、さっきの話に戻る訳だ(ゆえにその関係性は常に離脱可能な状態を求めることになるし、最適解は例えば風俗のような一種の契約的なるものとなるわけだ)。
まあ俺みたいな人間が増殖すると社会が終わるので(笑)、パートナーを作って関係性を維持している人たちの営為には尊敬の念しかないし感謝もしているが、一方でそういうベクトルへの情熱が行き過ぎると、不倫という行為に結びついてしまったりする訳なんでしょうなあ。
まあこの辺は、そもそも一夫一妻制というシステム自体がもう成熟社会の実態に合わなくなってきている、という点もあるように思うけどね。そもそもとして、キリスト教が今よりずっと篤く信仰されていた中世ヨーロッパにおいてすら、特に上流階級は政略結婚もあって不倫しまくっていたわけでね。しかも、これは単純な性的頽落ってだけじゃなくて、「家を残すための目的合理的でない関係性」としてむしろ純愛により近いとすらみなされることがあったというのは、日本の武家社会においてイエを存続させるための婚姻に対し、むしろ衆道はそのようなしがらみのない純粋な恋慕だと認識されたりしていた、というのと相似形をなすようで興味深い。
まあもちろん、単なる口実じゃね?って突っ込みはあるにしても、わざわざそういう正当化の理由を作ってまで大々的にそれらの行為が行われてきた事実は、いかに歴史的に根深い話かがわかるってもんではないだろうか(・∀・)
というか、いっそパートナーシップは自由恋愛至上主義にして、一方で子どもは国家が管理するというプラトンシステムにしては如何?そしたら托卵とかもどうでもよくなるやんwで、別に一人の人間と永遠につがいでいたい人はそうすればいいし、そうじゃないがいい人たちは、永遠のバーリトゥードを続けたまえ、て訳だ( 。∀ ゜)
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