ひぐらし:推理・物語としての破綻~誤読と批判の必然性~

2008-06-28 12:49:32 | ひぐらし
前回の「メガロマニアは国家陰謀の夢を見るか?」では、ひぐらしの真相が推理で到れないような内容であること、そして仮にたどり着いたとしても証明不可能であることを指摘しました。そこからさらに、証明不可能であるにもかかわらず国家陰謀説を主張する場合、それはまさに症候群的であり、そのような形でなければ到れない真相というのは、疑いを避けて症候群を免れるという本編のテーマと矛盾するのではないか、と述べました。


さて、この記事を見て提示される反論(もしくは疑問)は二つあると思います。

1.そもそも作者はそのような推理を望んでいない
2.話の内容は納得できるが、それなら筆者(ポヘ)の奇跡を肯定的に評価するような記事と矛盾していないか?

答えは簡単で、1の反論にも含まれますが、国家レベルの集団の暗躍を推理しなければならない[とあえて書きますが]、という考えは明らかな(しかもフェータルな)誤読だ、ということです。「症候群的な発想で真相に到ってください。しかし症候群そのものは避けるべきです」という(前回も指摘した)自己矛盾的な要求は、作者の本意ではありません。ではなぜ、そのような誤読(=作者の意図に反する読み)を取り上げて批判を展開する必要があるのかと言えば、その誤読に強い必然性があるからです。掲示板の性質(説明・証明を必要とする場)、「人為VSオカルト」にもあるように推理の枠組みから考察する必要があった…などの話は「メガロマニア~」で既述の通りなので繰り返しませんが、そういった誤読の必然性を残したまま、誤読が出てくれば「実はルールを推理してほしかった」と言うのがおかしい、と批判しているのです。


誤読などいかなる作品にも生まれてしまう、それはもちろんその通りです。しかしながら、作者の側が誤読の可能性を埋め込み、それを煽った上で、「実は~と読んでほしかった」と言うのはわけが違います(誤読をあざ笑うなら話は別ですが)。しかも、それが誤読であること[真相の推理]を一体誰が証明できたと言うのでしょうか?あるいは作者の要求する読み[ルールの推理]が正しいことを明確な根拠をもって証明できたのでしょうか?


そのような作者の表現方法への憤りを、「推理としての破綻」「物語としての破綻」として表明しているわけです。なお、推理・物語的破綻という見方が誤読であると明示されたからこそ、今では作者の要求する視点を意識しているため、肯定的な評価もできている、という構造になっています。


では最後に、「物語としての破綻」の記事を載せて終わりにしましょう。


(以下原文)
物語として破綻してるとはどういうことか? それは「惨劇に挑め。」という文句にある。罪編から変化しているとはいえ、この文句は祟編以降ひぐらしのキーワードであったと言っていい。だが、皆編のような性格の真相に挑めるのだろうか?プレイヤーが観客ではなく出演者たることを期待されているのを重々承知の上で、私は「無理だろ」と答えよう(ちなみに、プレイヤーへどんな役割が期待されているかは、プレイヤーに最も近い梨花が、皆編で「私だけが観客だったから奇跡が起きなかった」というセリフを言っていることから明らかだ)。


皆編の真相のように推理するのがどういうことか、本編に当てはめて考えてみるといい。グループの存在を疑った作中人物たちは「病気」扱いされ、そして実際に病気だった(もちろんプレイヤーと彼らは立場が全く違うのではあるが)。またプレイヤーに最も近い梨花は、「犯人と動機さえわかれば富竹や鷹野を説得できるのに」と言っているが、仮にわかっていたとしても説得が無理だったという目測に異論はないだろう。一応説明しておけば、片方が犯人であることと、独特な信仰や狂気による犯罪は、説得力のある説明や理由付けが非常に困難であるのがその理由だ。


そしてさらに、彼らの犯行は(ほとんど)「何でもあり」なのである。まとめると、「奴ら」を犯人と考える人間は病気であり、「奴ら」の動機は鷹野の狂信に裏打ちされたもののため説明が非常に困難であり、またその手口は(ほとんど)「何でもあり」なのであった。つまり、犯人、動機、手口という犯行の根幹を成す部分全てが、(病人ではないw)普通人には辿り着けない内容になっていると言えよう。ゆえにそれを推理するのは不可能であるし、そこから「惨劇に挑め」というのも無茶である。それゆえ、ひぐらしのスローガン(?)「惨劇に挑め。」からしてすでに破綻していたと言える。


国家がどうとか検出不可能な薬とかは私にとってほとんど問題ではない。「何でもあり」なところ、そしてそれを推理させようとしたことに憤慨しているのである(例えば選択式の試験問題があったとして、どれも正解なら問題として成立しないのと同じだ)。しかもその問題点を皆編梨花の発言などにより作品自体が(知らないうちに?)暴露してしまっているのが悲しい…ひぐらしが破綻している理由及び推理の「質」については以上。批判部分に的を絞ったため厳しい内容になったが、最終編の慣らしには丁度いい。最後は「奇跡」の記事で一気に上げることだしね♪

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