昨日は世界の複雑性・多様性の話で「ビースターズ」と「鬼滅の刃」について触れたから(そういやアニメ二期はまだ見れてないわ)、今チャンピオンで連載中の「ビーストコンプレックス」最新話(1/22発売号)のことを少し書いておきたい。
最新話のビーストコンプレックスが描くのは、言わば「ノイズ排除の病理」である。読んでもらった方が早いと思うので詳しくは書かないが、ある町では全てが「白」で埋め尽くされ、その町の外に出ることは危険だと教えられている。主人公たちはそこに疑問を持つけれども、町の外に出るまでには到っていない。そんな状況下、あるキャラクターと交流する中で「純白を保つためになされる病的な掟」の一端を目の当たりにし、いよいよ主人公は外の世界に出ようとする、という話である。
おそらく、読者諸氏は比較的ありふれた話と感じるだろうし、私もそれ自体には同意するが、やはりここでも動物を主人公にしていることで寓話性が強調され、その病理や教訓がストレートに読者に届きやすくなっているように思える(こういうテーマは、どうしても説教臭くなってしまうものなんでね)。
そして、ありふれたテーマではありながら、いやむしろそれだからこそ、私たちの世界には純血主義や移民排斥(次の毒書会で扱う『全体主義の起源』ともつながる題材だ)、レッテル貼りと熟議の否定、あるいはコロナ禍における犯人捜しと私刑行為といった実例が、そこかしこに見られることに改めて気づかされるのではないだろうか(誤解を恐れずに言えば、いわゆるポリコレに反発が生まれるのは、それが断念と合意形成ではなくただのディシプリンとして半ば強制される時、むしろ不満や不安、ルサンチマンの抑圧装置=ノイズ排除の原理として機能するからである、という点には注意を要する[それが無視できないほど大きいものだということは、トランプ大統領の登場や最新の大統領選でのトランプの得票数からも十分わかるはずだ]。そしてビースターズが描く「裏市」とは、まさにそういったものの噴出を象徴しているのである)。
なお、今回の話は「ビースターズ」におけるハルの見られ方や、(それへの反発も含めた)彼女の他者との関係の結び方をよりよく理解することにもつながる内容と思えた(それは「かわいい=無垢」というレッテル貼りであり、自分のブログで言えばそういったものへの批判的記事として「子供は天使じゃない」を書いたし、あるいは処女崇拝的なものへの批判として「心の底からIしてる」なども書いたことがある)。
といったあたりで今回は短めに終了。ビーストコンプレックスはビースターズのテーマや精神性を受け継ぎつつ、それを様々な角度から深めたりリフレーンしたりしている話なので、まだ読んだことがない方にはぜひお勧めしたい。
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