「ひぐらしのなく頃に業」の推理と入試現代文に関する小噺

2021-01-26 11:28:28 | 本関係

「ひぐらしのなく頃に業」からどうして入試現代文??と思われたかもしれないが、15話~16話つまり「猫騙し編」で「本編で描かれてねーんだから推理なんて無理だし、むしろ推理を求めてないってことじゃね?」という話を書いた時に、高校の頃に発売されていた、とある参考書を思い出したからである(まあ共通テストでは「思考力」なるものを問うことにしていたそうなので、そういう意味でもテーマ的には通時的なものだろう)。

 

それは『田村のやさしく語る現代文』という題名だったが、非常に印象的だったのは本の冒頭で次のような四択がいきなり提示されていたからだ。大よその記憶なので間違ってるかもしれないが、そこでは本文がない状態で

一.人間は悪である

二.人間は善である

三.人間は善でもあり、悪でもある

四.人間は善であるとも悪であるとも言えない

と書いてあり、この中のどれが正しいと思うか?という内容だった。

 

勘のいい方はすでにお気づきのことと思うが、この問いに「正解はない」。ここで著者の田村は騙すような質問をして申し訳ないと謝罪しつつ、具体的にその理由として「入試現代文の本質は、本文から読み取れることを答えるものだからだ」と述べ、話が進んでいく。すなわち、本文に一の根拠となるようなものがあれば一だし、逆に二の根拠となるものがあれば二になる。そこに、解答者の思想信条は全く関係ない、そしてそこをはき違えると問題が解けませんよ、ということなのである(余談だが、意見を書くのは「小論文」という入試科目であり、そのハイブリッドな形態として慶應の大抵の学部は小論文なら課題文≒評論文が与えられていて、それの要約+意見論述という構成になっていたりする)。

 

ここで前掲書が言っているのは、要するに「タスクが何なのかを正しく理解しないまま課題に取り組んだり、その質を向上させようとしても、良くて時間が大幅にかかるか、悪ければ迷走して終わる」という話である。

 

「ひぐらし 業」と入試評論文との関連では以上となるが、ここまで読んで「いやいや入試現代文の件は当たり前の話じゃん」と思われるかもしれないし、なるほどそれが「当然」であることを別に否定はしない。しかし、なぜ私が改めてこんな話を書いたのかと言うと、「ではそのようなマインドセットや読解法が、学生として、あるいは社会人としてできてる人はどれだけいると思う?」と考えると極めて疑問に思ったからだ。

 

ネットの反応が全てというつもりはないが、可視化されていて根拠として利用できるという意味でそれを参照項にするなら、そこでの誤解・曲解は当たり前で、何かしら意見が食い違った際に、「その言葉をどういう定義で使っているのか」・「それをいかなる根拠から論じているのか」という相手の主張を正しく理解するための基本的なステップを踏んでいないものがあまりに多すぎることに気付かされるのではないだろうか(もちろん、表現者自体に問題があるケースも少なくない、という点は言い添えておく)。

 

そのことを踏まえれば、先に述べた「お前さんの思想信条はいいから、本文から読めることをまず正確に捉えることが重要だぜ」という入試現代文の初歩的なステップはいい大人を含め実はかなりの程度の人間に必要だし、必要であり続けるのではないかと強く思う今日この頃である(この点においては、「基本的には他人に期待できないし、自分自身の理解力もたかが知れている(それだからこそ研鑽が必要である)」という意識を持った人が極めて少ないように思えるのは私だけだろうか?)。

 

ま、そんなことを書いてはいるが、実際の社会は複雑性・多様性が拡大する中で不安も同時に拡大し、結果としてそれを理解するために時間を割くよりも、レッテル貼りして言葉の自動機械のように殴り合ってる状況なわけであります(とはいえ、勧善懲悪的でない=複雑性や多様性、境界線の曖昧さをテーマにしている「ビースターズ」「鬼滅の刃」が人気を博しているように、全てがそういう方向に進んでいると考えるのも誤っているが)。んで、マスメディアの相対的な衰退と蛸壺化(フォード式からポストフォード式へ)という現象は止め難く、情報も人間の処理を圧倒的超えるスピードでオーバーフローしていて消費する情報の偏在を必然的に生み出し、ゆえに複雑性と多様性の拡大を止めるのは原理的に不可能となっている。

 

また日本に関して言えば、人口オーナスなどで経済衰退して余裕がない人が増える=不安が増大することも実質的に確定しているので(筒井康隆の小説みたいに「日本以外全部沈没」でもすりゃあ話は別ですがねw)、この傾向は基本的に歯止めがかからないと考えている(だからこそ、シンギュラリティなんて起こらなくても、いずれbotレベルのAIでも人間への期待値を上回る時代がくる、なんて話をしてるのだが。Vtuberの躍進に絡むアバターの普及は、その過渡期的な形態だ)。

 

ただそれにしたって、例えば日本から出るという選択をする(日本から出ることもできるようにしておく)場合には、より一層今述べたような力は必要となってくるはずなので、やはり危機の時代だからこそ前述のような基本的マインドセットは重要であると強調しつつ、この稿を終えたい。


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