終身雇用制の歴史と構造:あるいは日本の高度経済成長の構造について

2024-06-17 16:55:20 | 歴史系

 

 

こないだ1967年の「帰って来たヨッパライ」という歌を紹介し、そこに高度経済成長期の底抜けなオプティミズム(とある種の宗教意識)が見て取れる、と述べた。

 

かかる日本の経済復興については、終身雇用や日本的経営が背景にあるとしばしば言われてきたが、実際あれこれ分析してみると、そもそも終身雇用は雇用全体の30%に過ぎず、例えば企業の中で多くを占める中小・零細企業はそもそも終身雇用ではないし、今も同様である。これは1960年代の学生運動と似ていて、大学に行く人間の割合がそもそも25%しかいなかったにもかかわらず、大学進学者すなわち経済力や発言力をもった人たちの言説が目立つため、それがあたかも世代の全てを代表しているかのように思われていることを想起させる(まあこれはSNS全盛の今も似たようなところがあって、とにかく「極端なもの」はどうしても人目につきやすく、印象にも残りやすい)。

 

またあるいは、大正時代などは全く終身雇用の仕組みが浸透しておらず、むしろ現代では対比的に語られる欧米のように簡単にレイオフできるような仕組みが一般的だったという点から、終身雇用が日本の伝統でも何でもないとも言えるだろう(なお、この時期からサラリーマン・ホワイトカラーが少しづつ増えていき、それとパラレルに今日の受験戦争の元になるような動向も観察されるのが興味深い)。

 

まあそもそも日本って一次産業に従事する人の割合が多かったし、それが戦後のにおける集団就職、すなわち地方の中卒・高卒者が都市部の企業に集団で就職することが行われていく中で、構造が転換していくわけである。

 

ちなみにこうして伝統共同体から切り離されたことが、すでにかなりの程度形式化していた宗教的慣習へのコミットを失わせることに繋がり、それがさらに宗教的帰属意識に拍車をかけたのでは?というのが日本人の無宗教に関する自分の作業仮説である(というのも、1950年の迷信調査協議会、1952年の読売新聞社の調査を見る限り、自身の信仰する宗教と家が信仰している宗教の間には35~45%ものギャップがあり、つまりは「自分は信じてないけど周囲の人は信仰している」という認識を持った人の割合が1/3から半分弱の割合で存在したことがわかる。では、そういった人々が集団就職や大学進学などで「家」から切り離されたらどうなるか…という話である)。かつ、その「空隙」を埋めたのが見合いなどで結婚相手すら斡旋する会社共同体であったり(cf.『仲人の近代』)、そこには入れない雇用環境のより厳しい人々は、創価学会のような新宗教に吸収されていくこととなる。

 

このように、日本の企業や経済のみならず、日本社会の構造とその変化を考える上でも、終身雇用やそれを巡る言説は非常に示唆的で興味深いものと言えるだろう(まさに小熊英二が著した『日本社会のしくみ』だ)。

 

ところで、こういった構造解析は極めて重要なものであることは間違いない。例えば先にも述べた「日本はなぜ高度経済成長という形で急速に復興できたのか?」という問いを立てた時、構造解析よりも前に、「日本人が頑張ったから」という精神論・精神主義に頼ろうとする言説が少なくない。

 

もちろん、その要素を完全に否定するつもりもないが、それが真っ先に出てくるあたり、発想が戦中のままで全く改善・発展がなく、まさに軍隊が会社になり、銃がカバンや工具に変わっただけの様相である(そしてその発現が、今日で言えば過労死やブラック企業の横行となる)。そしてその思考形態は、先の戦争の失敗を何ら反省も克服もできていないことを物語っていて興味深いのだが、ではそこから抜け出すために見るべきものは何かと言えば、周辺環境も含めた定量的分析だろう(例えば産業革命という現象を分析する際に、必ずと言っていいほど「植民地拡大による資本の蓄積」、「市民革命を経たことによる自由な経済活動」、あるいは「第二次囲い込みによる豊富な労働力の存在」、といったことに触れられるものだ。一方でその要因としてイギリス人のメンタリティだけを取り上げる言説は見たことがないし、あるとすれば愚昧の極みというものだろう)。

 

では、日本の経済復興において、「精神力」なる抽象的なもの以外にどういった背景が影響したかと言えば、それは「冷戦構造」と「平和(自身は戦争を放棄)」という要素を挙げないわけにはいかないだろう。

 

まず、外地からの引き上げ組による労働力過剰やベビーブームといった、いわゆる「人口ボーナス」がある。そして、戦争放棄により、戦前にあった技術力を、戦争や兵器ではなく産業にほぼ全振りすることができた。憲法上は「戦力を持たない」ことになったので、朝鮮半島という冷戦の最前線にも比較的近いにもかかわらず、人材や防衛費を経済に回すことができた、ということだ(もちろん、警察予備隊→保安隊→自衛隊の設置が行われたことは言うまでもないし、また朝鮮戦争についても、一部の日本人が協力して戦死者も出ているし、ヴェトナム戦争は当時まだアメリカに帰属していたとはいえ、沖縄から「死の鳥」が大量にインドシナ半島へ向かったことはよく知られている通りで、全く無関係と断言するのは逆に不正確となるのだが)。

 

そういったアドバンテージの中で、既述のように冷戦の最前線から微妙に離れているという地理的条件から、朝鮮戦争においては日本経済は戦争特需に沸いて急速な戦後復興へと繫がったし、またヴェトナム戦争においても同様の現象が起きた一方で、経済力第一位のアメリカは、ドル・ショックと変動相場制の導入で大いにその力を削がれたのであった。

 

この状況は第一次大戦時でお互いに削り合って没落した欧州と、そこへの武器輸出などで急速に経済成長したアメリカの構図を思い浮べればわかりやすいが、ともあれ、1970年代のヴェトナム戦争とアメリカの疲弊・日本の成長を経て、1973年のオイルショックなどの影響もあったものの、1980年代には「ジャパンアズナンバーワン」とまで呼ばれるようになった、というわけだ(念のため言っておくと、1980年代のアメリカはレーガン政権になってからいわゆる「スターウォーズ計画」を打ち出すなどソ連との軍拡競争を再び激化させ、その結果「双子の赤字」に陥ることとなった)。

 

こういった世界情勢や地政学的な面を考慮することなしに、ドメスティックな構造すら正確に理解せず、ただその精神力に注目するのは、まさしく愚の骨頂と言えるだろう(まあそこには経済でリベンジしたった!とでも表現すべき日本人側の経済ナショナリズムや、あるいは分析する欧米側も日本的経営に注目したといった要素も関係しているので、若干複雑な背景はある。とはいえ、結局その失敗=太平洋戦争はもちろん、成功=高度経済成長の要因も構造的に解析できなかった、という点では同じである)。

 

こういったことを考えるきっかけとなるという意味で、大変有益な動画だと言えるのではないだろうか。

 

以上。


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