電脳コイルの断片 続:身体性、アニミズムなど

2008-10-01 00:42:27 | 不毛
着メロDLサイトの攻略も終わり、あとは連休を待つばかり。しかし外は雨…しかし今回は問題ない。何せ件のうみねこが終わっておらず、しかもその後はひぐらし祭編をやろうというところまでゲーム熱が高まっており、遠出しなくても全く問題なさそうな勢いなのだ。YU-NOのエンディングに関する記事もほとんど最後の詰めの段階に入っているし、ついでに他の傑作どもについても何か書いてやろうか…とまあ家でやることが山積みなのである。まあそれはともかく、昨日の続きで電脳コイルに関するフラグメントの後半部分。もっと突っ込んで考えられそうなところはいくらでもある。


<幼い日の幻、心霊写真>
ハラケンイリーガルの残したメタタグは何ぞや[これは作中で解明されている]?ハラケンとヤサコの関係、ハラケンにもヤサコにもかつての思い人がいる。イリーガルと霊、思い人。原初的なものと言えば、暗闇への怖れ、死の先にあるもの、無意識などなど…この作品におけるノスタルジーは単なる懐かしさではなく原初的な感覚への回帰という意味合いを持っているのだ[恐ろしさ、哲学性]。この見解は、夢が何度も登場すること、ここから精神分析、さらには集合的無意識を連想する人は少なくないだろう。やはり作品は切り取り方次第なのだと改めて思う。


<崇殺し覚書→沙耶の唄→電脳>
ペット→イリーガルを見せることで、「イリーガル→ペット」の流れを自然にする。さらには人間と類似の文明を築く=人間の従属物ではない。イリーガルって何ぞや?ノスタルジーは過去。未来のことを懐かしいとは人は思わない。未来的な電脳空間と懐かしさ(過去)が結び付いてるからこの作品は不思議な感じがする。だが実は、電脳による身体性の喪失により、ゴーストというものが強く意識される(モードの迷宮も参照)。根源への回帰。


「身体性の喪失」と言ってはいるが、作品を通して動きが豊かであったり、コミカルに描かれたりしているため、あまり深刻な印象は受けない(逆に言えば、電脳メガネを通した世界がそれくらい自然になっている、ということだ)。上記の話と電脳ペット(実在しない)のデンスケの「死」に関するヤサコの反応などは繋がっていると思われる。この部分は、以下のイリーガルに対するアニミズム的視点も含め、しっかり見直す必要がありそう。


<イリーガル>
ハラケン(?)のペットがイリーガルに。すると、後のイリーガル→ペットいう流れもそれほど不思議でなくなる(電脳ペットの存在)。文明を築く…人間に従属する存在ではない。最初は、イリーガルという名称にもあるよう人間が悪意を持って作り出した存在というイメージあり(攻殻の電脳ハックやウイルスと近い)。しかしペットの変化したもの、さらにはペットのように扱われているのを見るにつけ、悪い存在という認識がゆらぐ。最終的には、霊のような存在として扱われている(あるいは蟲師を想起)。[例えば]害虫というのは人間本位の見方で、彼らはその生を全うしてるだけ(絶滅動物と似た扱い)。


<ヤサコ>
肩車してお持ち帰りしたい。娘属性が発動しないのはなぜか(ヤサコ、フミエ、イサコ、京子)。むしろアキラ(フミエ弟)がかぁいすぎるので息子にしたい。[ヤサコは]眼鏡ないと特徴がない。幼い頃は娘にしたい(肩車)、何で電脳グッズを外したのに打たれる?

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