それって「受け入れられてる」んじゃなくて、単に「面倒だから触れられない」だけやで

2024-04-03 11:16:25 | 生活
エイプリルフールにVtuberのラプラス・ダークネス(女性)と風間いろは(女性)が結婚した、という話があり、「女性自身」によると、それが「炎上」したんだそうな。何でも、「認識が甘い」とか「反吐が出る」とか何とか。
 
 
これを見て自分が思ったのは、
1.そもそもこういう反発が定量的にどれくらいなのか
2.同性愛者=当事者がどれくらい反発しているのか
ということだ。
 
1については、基本的に「炎上」って少数派が引き起こすものであり、まあ声がデカイ人たちって目立つものだ、という認識からきている。そして2については、災害などの時のいわゆる「自粛厨」や「不謹慎厨」的なるもの、すなわち当事者でもないのにやたら杞憂して自粛・自粛を訴えて何か良いコトをした「気になってる」連中てのが世の中にはそれなりの数いる、という傾向を踏まえている。
 
 
で、この二つを留意点としつつ、主語をムダにデカくして不毛な話にならんように、「今回の件で反発している一部の人々」を対象に記事を書いていくなら、私が不思議に思っているのは以下のようなことだ。すなわち、「一体何を問題視しているのか」と。
 
 
これだけだと、「そんぐらい許せよ」といった放言に見えてしまいそうなので補足をすると、そもそも今回の件は同性婚の負の面を強調したり、嘲笑したりするような、つまり差別を助長するようなものではない(逆にそういう側面があると問題提起するなら、どの点にそういう要素があるのか、他の事例も引きながらちゃんと説明・注意喚起をした方が目的が達成されるのではと思う)。
 
 
次に私が不思議なのは、エイプリルフールを含め、「彼氏ができた」や「家族ができた」という話について(以下の二つの動画などを参照)、「異性愛をネタにしてる!」とか「結婚をネタにしてる!」と「炎上」したなんて話はついぞ聞いたことがない、という点だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
まあもちろん、全Xのデータを集めることなんてできないので。あくまで目立った現象になっていないだけ、という可能性を完全否定はしない。とはいえ、なぜ同性婚の場合には「炎上」するのか?と問うてみることはそれなりに有益だろう。そしてそれはごく単純な話で、「異性同士の結婚は極めてありふれていてネタにもならず、一方同性婚はそうではないから」というものになるだろう。
 
 
いや、より正確に言えば、同性婚について噛みついていくその行為自体が、「その現象が極めて特殊なものだから」という自らの認識を暴露し、かつその認識を社会へ広めることに貢献してはないだろうか。もちろん、繰り返し言うが、それが差別を煽るようなものであるなら、あるいはアウティングのような実害を伴うものなら、どんどん抗議・非難すればよろしい。だが、今回の件のどこに、そういった差別的な要素・攻撃的な要素があるのだろうか?それが私には理解できないし、ゆえに批判する戦略的意義も得心できないのである。
 
 
もちろん、「自分は、個人的に、こういう同性婚の取り上げ方は嫌だ」と思うのは自由だし、表現する自由もある。しかしそれなら、そのように極めて個人的なものとして注意深く表現すべきであって、過去に炎上しただたの、もしくはそれに便乗して口汚く罵るような表現をするのは、むしろ同性婚が受け入れられていく上でかえって逆効果であると思う。
 
 
すなわち、そのようにして同性婚が取り上げられなくなるのは、「受け入れられたから」ではなくて、単に「触れると面倒だから放っておかれてるだけ」だからである。仮にこのような反応を「社会でノーマルなものとして容認された状態」と考えているのだとしたら、それこそ死ぬまで「マイノリティ」のままであると思うのだが。その意味で言えば、むしろ望む状態からかえって遠ざかってないか?という意味で、戦略的にはむしろ悪手だと私は思うがどうだろうか(この辺りの話は『ヒヤマケンタロウの妊娠』の書評で書いたこととも繋がるが、詳細は割愛する)。
 
 
とここまで書いてきて、「同性婚は今も法的に認められず苦しんでいる人がいるんだ!」という引用元記事の話が気になる方もいるかもしれない。そしてその点を気にしているのであれば、むしろ今回の批判が悪手である理由を補強するものとなろう。
 
 
例えば同性婚を認めるべきと思うか否かの2023年にNHKが行った世論調査を見ると、「認めるべきだと思う」が44%、「認めるべきではない」が15%、「どちらとも言えない」が37%となっており、過半数ではないものの、明らかに認めるべきとする方向に世論が傾いていることは見て取れるだろう。
 
 
しかしながら、日本においては同性婚が認められていないことは周知の通りである。この点において、欧米と比較した場合の変化の遅さとともに、上昇婚志向など含め、日本が韓国や中国など家族形成の点で東アジアと同じグループに属していることを認識させるが(注:台湾は同性婚を認めている)、その大きな要因の一つが、夫婦別姓の反対も含め、政権与党の傾向と、そこに影響を与えている日本会議など宗教保守団体のロビーイングである点に注意を喚起したい。
 
 
ちなみにこの件は以前、「『保守』の立脚点とその欺瞞:『同性愛=悪』とみなす歴史について」でも取り上げたことがある。すなわち、宗教団体が近代化以降の欧米の価値観を内面化し、それを「伝統」として妄想・捏造してそれに立ち返るべきだと訴えるという欺瞞的状況を批判したわけだが、これは武家社会における衆道や仏教界における稚児灌頂といった日本の歴史的事実を踏まえれば、噴飯物の主張をしていることは明らかだろう(吉水神社の旅行記事を書いた時に、神社本庁の腐敗などと絡めてこの件にまた触れようか迷ったが、かなり長い記事となって内容がブレそうだったので、止めたという経緯がある)。
 
 
さて、そういったグループは、「夫婦別姓や同性婚を認めていたら日本の伝統が破壊される!」として政治の世界に食い込みつつ主張し、政治家の側は資金力的にも影響力を持つ彼らの意見を受け入れつつ、それを政策に反映させている訳である(この話に触れている本として、例えば古谷経衡『シニア右翼』などを参照されたい)。
 
 
今述べたような現状認識を踏まえるならば、取るべき戦略は
 
(1)
世間には同性婚の話をどんどん流通させて免疫化を図る
 
(2)
政策決定に影響力を持つ部分にはロビーイングを行うか、もしくは落選運動などで夫婦別姓や同性婚に反対の政治家は大きな不利益を被るような選挙行動を行う
 
 
というものになるだろう。そしてかかる前提を踏まえるなら、差別的でも攻撃的でもない同性婚の話にいちいち噛みつくような「不謹慎厨」的振る舞いは、世間をむしろ敵に回すか無関心を助長することで、かえって「同性婚の法的承認」という目的達成を遠ざける結果を招くのではないか、と私は思うのである。
 
 
国によって言論空間の特性は違うが、少なくとも日本の場合、議論を積み重ねることよりもむしろ、どんどんそれを世間に溢れさせ、「もはやそれに違和感を持つ方がおかしい」という状況を作り出した者が勝ち(=そうやって免疫化するのが有効)、という傾向があるように見受けられる。先の世論の動静と政治決定の問題点も含め、真に同性婚の法的不承認で苦しんでいる人がいることを問題視するなら、やるべきことはエイプリルフールネタに噛みつくことでは全くない、と述べつつこの稿を終えたい。
 
 
 
 
【補足】 
 
 
「共生の知恵」という点では参考になるかもしれないので、一応こういう動画も掲載しておこう。重要なのはお互い生きやすい社会を作るために調整し合うことであって、単に自己の主張を何でも通そうとすることではない。
 
 
 

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