保身と忖度の権化による組織崩壊の様子がこちらDEATH

2024-04-02 11:30:48 | 歴史系

 

 

うーん、見事におもねってるねえ。まあこういうイエスマンを侍らせて失策を招き続けたのは、間違いなく上司(こ・う・て・い)の責任でもあるんだけどね(・∀・)

 

どうも、ゴルゴンです。今回は南朝と言っても後醍醐天皇が作った日本のそれではなく、中国の南北朝時代であります。

 

ともあれ、老境の二人の姿は縁側で茶飲み話をしてるんなら牧歌的なんだろうが、残念ながら国家の行く末という重要事を決めるにあたってはクレイ爺以外の何物でもないと😇

 

ちなみに趙高や王莽、安禄山と決定的に違うのは、彼が事態の中心ではなかった点だろう。別に善人では全くないが、耄碌した皇帝の判断に諫言せず、むしろそれを積極的に肯定・実行していく様は老人をおだてて物件や証券などあれこれ買わせたり、詐欺にハメていく悪辣な手口を連想させはするものの、自らが積極的に悪をなそうとした訳ではない。

 

また、動画中でも触れられているが、「上品に寒門なく下品に勢族なし」とまで言われたように、当時は九品中正を背景として成立した門閥貴族社会で、成り上がりの朱异が生き残るためには、ひたすら皇帝の寵愛を得ようと立ち振る舞わざるをえなかったという背景はある(ちなみにこうして形成された門閥貴族は隋唐王朝でも権勢を誇ったが、安史の乱や黄巣の乱などで標的として放逐された結果、宋の頃には士大夫層に取って代わられることになる)。まあ正直、若干滅亡の責任をあれこれ負わせるスケープゴートにされてる感もないではないしね😅

 

しかし一方で、その保身と忖度が、粱滅亡どころか帝都荒廃&南朝衰退という悲劇を招いてしまったという点に、むしろ「凡庸なる悪」に近い恐ろしさを見出すべきなのかもしれない(まあその結果として、後の隋による陳占領→天下統一を容易にしたという点では、ある意味「歴史に貢献した」という見方もできなくはないが)。

 

てかこの話自体はもう1500年も前の話だけど、2023年にJやらTやらDやらで閉鎖的組織の腐敗と隠蔽構造(まさに保身と忖度のラプソディw)があちこちで明らかになったどっかの島国が、これを遠い昔に別の国で起こった事に過ぎないって笑えんのかって話だよなあ(゚∀゚)アヒャ

 

なんてことを述べつつ、この稿を終えたい。


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