吉水神社を出てから蔵王権現を離れる方向に行くと、以前勝手神社なる施設があった場所に「復興寄付のお願い」の立て札が置かれていた。なるほど、修験や密教の聖地だけあって案内板を見るだけでも数多くの寺社仏閣があることが伺えたが、中にはこういうのもあるのだな。まあコロナも明けたことだし、今後は少しづつ再建も進んでいくのだろうか?
さらに進んでいくと、
建物も無い場所に祠がぽつんと存在。
そしてこの情景!
方角的には熊野古道などに向かう道だと思うが、この先に何があるのか探究したくなっちまうぜ・・・が、この後もあれこれ予定が詰まってるので、後ろ髪引かれる思いで引き返すことにした😭
まあ再訪して今度は吉野に泊まって周辺を堪能しよう、とすでに思っているほどには魅力的な場所だったので、それがわかっただけでも今回は儲けものであるよと(*´ω`*)
てなわけで、下山した後に信号待ちのところで撮影した吉野川の図。
いや~それにしても、今回の奈良の旅は大正解やったな。奈良時代の質実剛健な建築や、吉野の神さびた雰囲気など、想定外にあれこれ感銘を受けている自分に驚いている。
てか神道・仏教だけでなく、他にも色々なものが複雑に入り混じっているのがおもしろい。やはり日本宗教の混淆的状況は独特である・・・と思っていたのか!(・∀・)
前にもちょっと書いたことではあるけど、アジア世界を見渡した場合に、実はこういう宗教的混淆って一杯あんだよね。例えばタイなら(上座部)仏教とサイヤサート信仰、中国なら儒教と道教、といった具合に(韓国についても、新羅時代の仏国寺や李氏朝鮮時代の海東龍宮寺などに習合的要素が見て取れる)。ちなみに「サイヤサート信仰はどっちかってーと呪術とかの世界じゃね?」とか、「儒教は宗教なのか?」みたいな突っ込みはもちろんできるんだけど、それなら、時にいわれる「神道≠宗教」説も同時に取り上げなきゃフェアじゃないよねって話だ(都合のよい時だけ定義変えに利用するのはやめてもろて)。
だからアジア世界に目を向ければ、間違っても日本のようなシンクレティズム(神仏習合)を独特なものとする発想は出てこないはずなんだけど、にもかかわらず何でそんな言説が無批判に巷に溢れているかと言うと、結局は近代化以降に強く影響を受けた欧米という鏡でしか自分を見ていないからだろう。
つまり、キリスト教で強固に確立された一神教的世界に対し、仏教と神道がゴチャゴチャに混ざってる日本、という具合に自己を定義したわけだけど、それまで影響を受けてきた中国やその他アジア世界を等閑視するという、その非常に歪んだ鏡で構築された自己像は、まさに「脱亜入欧的オリエンタリズム」と評するに相応しいものだ(あれ、当時は「亜細亜主義」なるものが流行っていたはずだが、これは一体どうしたことか・・・)。
まあ「神国思想とその変遷」で述べたように、「辺境」に位置する島国としての意識が、ある時は強い自己否定(辺土・極東)、またある時は強烈な自己肯定として立ち現れてきて、それが振り子のように揺れ動くのが日本人の自己像と言えるのではないだろうか(念のため言っておくが、こういった自己規定に大なり小なりバイアスがかかっているものであり、例えばキリスト教圏で言えば、ユダヤ人のイエスを非セム系として描写するなどはその典型である。その意味で、こういった色眼鏡は日本だけの専売特許ではないのだが、日本はその傾向が割と著しいと言える)。まあこの辺は、日本論や日本人論の歴史を見ていく必要がありそうだがね。
なんてことを思いつつ、次の目的地へ行きますよと。
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