「70年以上経ち、戦争の記憶が風化している」と言われる。なるほど戦争を実際に知っている人の数がどんどん減っている以上、その言説は真実であろう。かつ、それをもって戦争の再発を危惧する人たちの心情は理解できるものではある。
しかし私がなお不思議に思うのは、ならばどうして、第一次世界大戦(1914)どころか日露戦争(1904)の記憶を持った人も大勢いた1941年に太平洋戦争を始めたのか?ということである。あるいはこのような問いが「陰謀論」の一言で片づけられるなら、そもそもその文脈を構成した満州事変(1931)や日中戦争(1937)はどうだろうか?それらは多くの犠牲を出した日露戦争や第一次世界大戦から、30年も経っていなかったにもかかわらず、多くの日本人はそれらを支持した(ところで、第一次世界大戦の要因を考える時にサライェヴォ事件から語り始める人はおらず、独占資本主義や植民地獲得競争、遅れてきた国民国家、三国同盟と三国協商といった10年、20年前のスパンから説明を始めるのが普通である[仏の対独復讐感情なども視野に入れれば40年スパン]。しかし、太平洋戦争を語る際に、ABCD包囲網やハルノートの話は持ち出されるのに、満州事変の影響や日中戦争、インドシナ進駐といったものから語り始められない言説をしばしば見かけるのはどういうわけだろうか。私にはそれが極めて恣意的なものに見えるし、まただからこそ大陸への加害者性についての意識が薄いのであろうと推測もするのである)。特に満州事変では関東軍の暴走を政府は止めようとしたにもかかわらず、国民の支持と、俗情との結託によって強硬論を後押ししたメディアのために、結局軍の所業を追認してしまったのである(ちなみにそのような失策を昭和天皇に非難された首相の田中義一は辞職した)。
この問いについて、こう答える人がいるかもしれない。その背景には、関東大震災復興のための外債増大や世界恐慌の影響がある、と。ならば、東日本大震災を始めとした多くの震災で打撃を受け、また2020年の東京オリンピックの後で景気が悪化するとも言われている今日においても(消費税増税があるなら、それを後押しするであろう)、対外強硬路線や軍事的拡大が正当化されるとあなたはお考えですか?と私は問いたい(ちなみに軍部の台頭の要因として五・一五事件や二・二六事件が取り沙汰されるが、そもそも五・一五事件では政治に批判的な民衆の助命嘆願運動もあり、これが二・二六事件を後押しする背景となったとも言われる。また、二・二六事件で暗殺された高橋是清のリフレ政策は日本を世界恐慌の影響によるどん底から救ったが、それはまた農村への事実上の無策ともパラレルであり、農本主義者たちの怒りを買ったことについて、どのように評価するのかを聞いてみたいところだ。そういった具体的な社会の動向に対する見識抜きで、当時は危機的状況だからしょうがなかったと言うのであれば、一体いかなる根拠で北朝鮮問題など含め今日的にありうる強硬路線を非難しようと言うのか?)。
この疑問(正確には皮肉)に対して、今は日本国憲法と憲法9条があると反論される方もいるだろうが、ならば1928年の時点で不戦条約に調印していた事実をどう受け止めるのであろうか?それらがあっても、1931年の満州事変は起こったし、1937年に日中戦争は始められたのである(もっと言えば、そのようにして日本は当時の世界の平和路線を打ち砕く先頭に立ったのである)。
私は祖父母の話を始めとして、様々な戦争体験者の話やその傷跡や「教訓」を聞いてり読んだりしてきたが、それでもなお強い疑問として残るのは、果たして彼・彼女らはあの戦争に勝っていたら今反戦を訴えているだろうか?ということ、そしてまたあの戦争の原因をどこまで「我が事」として受け止めているのか、ということである。もしそれがないのなら、まさしく「鬼畜米英」を「アメリカさんありがとう」と恥ずかしげもなく言ってのける、自己なきメンタリティであって、そんなものは環境次第で何とでもなるものにすぎない。よって、かかるバックボーンで今日的状況を批判したところでほとんど効果はないし、むしろ恥知らずのようにすら見えるほどである(ちなみに「戦争が起こったら若者が一番先に被害者になる」などと言う向きもあるが、それもドローン技術が進歩して遠隔操作・攻撃できるようなったら無効となる、条件付きの言説にすぎない)。
私は戦争に参加したる者たちの、それがゆえの戦争への慎重さについて敬意を払うものである。しかし同時に、あるいはであるからこそ、時として歴史的経緯や主体性・当事者意識を欠いたような言説は、嫌悪感こそあれ何らの説得力も感じられないのも事実。つまり、日露戦争や第一次世界大戦からほど近い時期に満州事変や日中戦争は起きたことを等閑視して、戦後70年経過の忘却をさかしらに語る態度については、「要するに勝って痛みより旨味が多い経験をしていたら戦争するし、負けて痛みの方が大きい経験をしたからもう戦争したくないと言ってるだけでしょ?」と思う次第である(このような不信感の要因の一つは、たとえば太平洋戦争が終わって間もなくの朝鮮戦争の特需で日本経済が上向いたことについては、一体どのようにとらえているのか?といったこともある)。
繰り返し言っていることだが、だからこそ感情的に「私たちは悪かった」と懺悔するのではなく、戦後の豹変も含めて「私たちはなぜダメだったのか」をevidenceにそって検証せねばならないのではないだろうか。
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