ドイツ戦後補償の歴史性と戦略性

2017-09-22 12:39:31 | 歴史系

 

 

 

 

前回は比較宗教学などの話をしたので、ここでは戦後補償に関する日独比較を取り上げたい。なぜか?前の記事で私は大要以下のように述べた。すなわち、日本の無宗教について考える時、日本という狭いパースペクティブの中だけで考えると、とんでもない思いつきによる暴走が生じたり、おかしな日本特殊論(それがオリエンタリズム的なものであれ、浅薄な「日本スゴイ」的なものであれ)が生まれるだけで終わる、と。また、「日本人の特性」であったり「日本の宗教の特性」が連綿と続くものであるかのように語られるが、それは歴史性という観点から再検証されるべきものであるとも書いた(このような歴史性は、「正しい日本語」の危うさやそれへの拘泥が無意味であることを認識するのにもつながるであろう。たとえば、今私が「貴様」という言葉を用いた時に、原義で解釈する人も、そうすることが正しいと思う人も皆無であろう[「役不足」とかはよく誤用として取り上げられるのにね]。また、たとえば、私の故郷である熊本弁には「おるが店」=「俺の店」、「おるがつ」=「俺のもの」というように、古代日本の連体修飾格の「が」が残存しているが、これをもって熊本弁の方が共通語よりも歴史に根差した正しい日本語に近い、などと主張する人もおるまい。要するに、その程度の多分に恣意的な枠組みにすぎない、ということだ。)。

 

今回のテーマも同様である。日本の戦後補償のみにスポットを当てたところで、それがどのように評価されているのか、もしくは評価されうるのかを立体的に考えることはできないし、またありがちな「心からの謝罪をしているドイツ」と「そうしない日本」のごとき実に下らない精神主義的二項対立図式で考えるのも不毛である。この点に関して、冒頭の動画の中で、戦後補償を主張する側、すなわちユダヤ人のみならず中国や韓国などの戦略性にたびたび言及されていることも注意を喚起したい。これを正しく理解すればこそ、ユダヤ人が最初の頃はそもそも交渉自体を拒絶していたということが持つ重み、あるいは発言力を増したアフリカ諸国・東南アジア諸国が将来欧米諸国に賠償を訴えることがありえるということ(私はそれに対して欧米がどう応えるのかが実に「愉しみ」だ)etc...が理解されるだろう。 ちなみに、このような視点については、「1%でも戦略的思考がなければ、99%の努力はムダである」「なーんか色々言われてっけど」などでも触れている。

 

ドイツの戦後補償というものがどのようにして立ち現れ、またどのように変化していったのか、そしてそれはどのような理由によってか?これをつぶさに見ていくことで、単に日独比較だけでなく、戦後補償とは(どうあるべきか以前に)そもそも何か?を考えるきっかけになるだろう。

 

詳しくは動画をご覧いただきたいが、以下のような要素を抽出することができるだろう。

1.ドイツの戦後補償といっても問題として取り上げたのは西ドイツであったこと
(「ドイツ」という一枚岩で物事を考えるのは、「アメリカ」を一枚岩だと考えるのと同じくらい誤った姿勢である)

 

2.東ドイツ側はむしろナチ政権に抵抗した勢力として補償の責任があると考えなかったこと
(これはいわゆる「国会議事堂放火事件」などにより共産党がナチによって激しく弾圧されたことなどを背景としているのだろう)

 

3.西ドイツは初期にナチス関係者が多数政権に参画していたこともあり、戦後補償について消極的であったこと
(日本人は公職追放の件や、後の岸信介の首相就任などを当然連想することだろう。日本とドイツはある意味で逆の流れを辿ったということができそうだ)

 

4.50年代に生じたユダヤ人の墓荒らしなどが大々的に国際問題となったこと。それが戦後補償に対して政府が取り組む要因となったこと。関連する事項としては以下の通り。

(a)東ドイツと西ドイツのどちらが本当のドイツか?という国際政治闘争の道具として利用された
(中共と民国の国連代表権争いなどを想起されたい)

 

(b)戦前の教育の効果がそうそう無くなるわけではない
(「鬼畜米英」・「一億総火の玉」から「アメリカさんありがとう」・「一億総懺悔」と大転換した日本と比較すると非常に興味深い。私の知る限り、公教育は言うまでもなく、私的な領域でもアメリカへの面従腹背あるいは怨念の残滓を日本人にはあまり見ることができないように思われるが、その認識が正しいとすればこの違いは何なのだろうか?ここでいわゆる倫理感の違いが言及されたりするわけだが、私はそんな「深層」よりはもっと卑近な話で、「お上」に政治を任せる[江戸時代に構築された?]メンタリティ、憲法にも根差した無責任体制が深く関係しているのではないだろうか?と思う。太平洋戦争の途中からは大本営発表の件もあるのでともかくとして、たとえば満州事変の際の強硬世論の盛り上がり=public diplomacyを思えば「日本国民に責任がない」など口が裂けても言えないはずだが、A級戦犯などに押し付け「彼らがファシズム政権を作って勝手にやった」という虚構が創出され、その他は免責されるという戦略的な「手打ち」がどういうわけか「真実」となってしまったようである。とはいえ、「この世界の片隅に」で描写されるような、どうしようもない空襲はもはや「天災」と同一視されるといった銃後の人々の理解、それに絡むであろう「終戦」という一見不可解な言葉の成立と影響といった点にも目を向けていく必要はあるだろう)

 

(c)歴史的変化と戦略性
「歴史的変化」については、冒頭で述べた日本の宗教や国民性を超歴史的に措定することの問題、あるいは(a)で述べた「ドイツ」なるものに勝手な統一性と不変性を付与して考えることの問題とつながる。「戦略性」については、戦後補償というのは、しばしば被害者に対する謝罪の意思だとか心の問題だとかナイーブな言説がしばしば見られるが(それで通用する狭い共同体の中でならそれでよろしくやってればいいとしても)、実際はリアルポリティクスに基づいた戦略的な選択であるという点に注意する必要がある。つまりは国際社会への復帰、経済・軍事的な利益etc...それらの合理的理由に基づいて戦後補償に取り組む傾向が生み出されたということだ(日韓基本協約と日本の韓国への資金援助などを想起されたい)。

 

5.戦後補償が始まっても、反対する人たちが大勢(半数)いた

(a)重要なので繰り返し述べると「ドイツは一枚岩ではない」
ただ、ここで若い世代のナチ世代批判が大きなうねりとなったというのは極めて興味深い。たとえば「誰のおかげで今の日本があると思っているのか」といった言説を見る時、私はそこに簑田胸喜的なメンタリティを見ながら「それってつまり先行世代を批判するなってことでしょ?そういう思考停止って国益に叶うわけ?」と皮肉混じりの感想を持つわけだが、この先行世代の批判を日本の学生運動やその結果と比較してみるのはおもしろいかもしれない。

 

(b)「帰ってきたヒトラー」の必然性
映画でヒトラーを演じたオリファー・マスッチはヒトラーの格好をしているとどんどん批判されるかと思ったら意外にあっさり受け入れる人が多くて驚くとともに危機感を覚えた、とDVDに収録されたインタビューで語っている。これはいわゆるポピュリストの喜劇的側面というものを考える上でも重要なエピソードだが、もっと深いところでは、そもそも「ドイツ国民全体」が今の統一ドイツの方向性に納得しているわけでは全くないということを示しているのだろう(また、武井発表にもあるようにイスラーム系の移民という新しい要素が加わっていることも注意をする必要がある)。これがリベラルな人間(つまりマスッチ)からはリベラルな傾向のみが強調されて見えるという選考性バイアスによる勘違いなのか、それとも情報共有などの問題なのか(まあネット社会の特性という意味ではこれも前者に近いが)は、今の私にとっては情報がないため語りようがない。

 

(c)ブラントやヴァイツゼッカーの重要性
ドイツが戦後補償の方向に必ずしも全体が向かっていなかったからこそ、なおのことそちらへ舵をきった(選択した)彼らの行動は評価されるべきである。

 

とあれこれ述べてきたが、最終的には前に書いた「1%でも~」の話へとつながる。ドイツの戦後補償というものが、あくまで戦略的思考・合理的思考を踏まえた上での価値判断である、ということを忘れてはならない。たとえば補償の範囲が問題として言及される中で、ドレスデンの空襲についての話が出てくるが、だとするとロンドンの民間人爆撃も同時に問題とならなければおかしい。また日本で言うなら、長崎や広島の原爆は補償の対象になっているのに、東京大空襲の被害者に関する補償はなされていないという訴えがある。しかしそれを求めるなら、当然重慶などへの民間人戦略爆撃も補償の対象になって然るべきだろう(お気づきのように、私はここで「誰が」あるいは「何が」という賠償の主語を問題にしていない)。

 

このようなことを考える契機になるという意味で、ドイツの戦後補償の歴史性と戦略性を見ていくことは非常に示唆に富むと思う次第である。

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