熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』:障害の「発見」・「健康」という名の強迫観念・少子化の必然

2020-07-01 11:55:00 | 本関係

前回が珠玉のASMRという予定にないテーマだったので、しばらくアドホックな記事を上げてってもいいかなあと思っていたが、前々回の入試現代文の話でノイズ排除に触れたのも踏まえると、それらを貫く話題にした方がおもしろいかな、ということで『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を取り上げることにしましたよと。

 

本書のテーマは、過去と現在を対比させながら、要するに私たちの健康やメンタルヘルス、清潔の観念が(都市設計なども含めて)どのように形作られており、またその結果として少子化などがどう必然的に生じているのか、といった考現学的なものである(ちなみに宮台真司の「損得マシーン」や「言葉の自動機械」、「法の奴隷」といった言葉を耳にしたことがある人は、まさにこういった思考様式・行動様式のことか、と膝を打つだろうし、またそれらが単に個人の資質ではなく社会環境の構築の仕方=教育や世論に強く影響を受けたものであることも理解することだろう)。

 

わかりやすく言えば、「発見・命名される障害」、「昔もあったいじめ・虐待の問題化」、「タバコの排除」、「長生き『させられる』社会」などだが、注意したいのは、本書で述べられているのは「昔はよかったのに」では断じてない、ということだ(ちなみにすぐそういった発想になる人は、『「昔はよかった」というけれど』『戦前の少年犯罪』などできちんと実態を知ってから思考を始めた方がよい。なお余談だが、すぐに「昔はよかった」という思考に実態を踏まえずなってしまうのは、現在への違和感を即「昔はそう感じなかったから昔は違ったはずだ」と誤った接続の仕方をしてしまうからではないかと思う。すなわち、今の物差しで昔も見てから評価するのではなく、印象論で「違和感のある今 ⇔ 違和感のなかった昔」という二項対立図式で理想的な過去を捏造してしまうのである)。

 

あくまで、「今の私たちの価値判断や行動様式がどのように形作られているのかを、過去と対比させることでより鮮明に浮かび上がらせる」というアプローチを採っているのである。

 

こう聞くと、賢明なる読者は先の「発見・命名される障害」などからミッシェル=フーコーの『狂気の歴史』『知の考古学』のようなアプローチを連想し、手垢がついた手法だと感じるかもしれないが、意外や意外に自分たち自身のことはなかなか相対化できていないものであるため、一読の価値はあると考える。

 

またこのブログで書いてきた内容からすると、この本を勧める理由の一つは、『ニック・ランドと新反動主義』などで語られた新反動主義や加速主義による未来像を、より具体的な姿として描き出すとどうなるかのまったき実例として読めるからでもある。

 

新反動主義や加速主義の発想を聞くと、それをSFに毛が生えた妄想に近いもの、と捉える人は一定数いるだろう。なるほど二つの主義に基づく主張を読むとき、半ば意図的に「中二病」的なワードを入れてもくるから、これに飛びつかないのはむしろ賢明な姿勢であると私も思う。

 

しかしながら、それらの主張を根も葉もない全きの夢想であると考えるならば、それはあまりに現実を知らなすぎると言わざるをえない。私は未来においての鍵は、AIの発達と並行して進む人間への不信と分断だと何度も述べているが、今回紹介したこの考現学的な本を読めば、ノイズ排除がしっかりと進みどんどん清潔で健康になっているこの日本社会が(中国もそれに近づいていると述べられている)、実は新反動主義や加速主義の描き出す未来、あるいは私が半分冗談めかして書いている「VRテンガ=そして誰もいらなくなった」的な社会に随分近いところまで来ていることに気付かされるのではないだろうか(こういう話と同時に、「生身の人間との性愛を『常識』とする限り、インセル的なものは加速する」的な側面もあるのには注意を要する)。

 

前回のASMRに引き付けて言えば、ノイズ交じりの他人と会話するより、ひたすら心地よいASMRに耳を傾けたり、高度なbotと「会話」するのを望む人間が増えていくことは十分想定できる事態だ。そしてそれが進めば、映画「her」で描かれた世界や「マトリックス」の世界へ進むのは単に技術の問題でしかないことも理解されるだろう。ちなみに、これも繰り返し言っているが、こういった世界は別にユートピアでも何でもない。例えば、本書でも扱われている環境管理型権力、あるいはドゥルーズ的な「生ー権力」で言えば、そういった強制力を伴わず心地よささえ感じさせながら人を思うようにコントロールすることがシステム側には可能だからである(だから昨日の記事では、心地よいASMRをネタ的に取り上げつつ、同時にそれがgovernanceにも用いられ得るという両義性をパフォーマティブに書いてみた、という次第)。

 

今述べたパースペクティブの獲得だけでも本書を読む価値はあると思うのだが、もう一つ特に興味深いのは、少子化の必然性について述べている部分である。ポイントは「リスクヘッジとその合理性」というあたりになろうが、今回は結構な量をすでに書いたので、この話は別の機会へ譲ることにしたい。ちなみに、その時への問題提起として、次のような問い(これに賛成か否か)を残しておきたい。

1.
ペットが好きなのであれば、所得や自分の生活スタイルは考慮せずに飼うべきである

2.
「今すでにペットを一匹飼っているが、もっと沢山数がいた方が楽しいので、あれこれ考えずに多頭飼いしたい」と言う人がいれば、それも本人の自由だと思う


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