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Insularism

2013-01-29 18:03:43 | 宗教分析

さて、こないだは「なぜ日本にキリスト教は普及しなかったのか?」という記事を書き、キリスト教が広まらなかった理由を文化的要因に求めるのは問題が多く、むしろ江戸幕府などによる大々的な弾圧をクローズアップすべきじゃねーの?て話をしましたよと。これについて、今回は補足をしておきたい。

 

Supplement:てゆうか多神教って日本独自なの?

んなわけねーじゃん、ととりあえず突っ込みつつw前掲の「なぜ日本に~」では、元来多神教的とは言えない仏教が日本に広まったこと、そしてキリスト教すら多神教的に受容していたことに触れた。ただ、そもそもの疑問として、キリスト教やイスラームが広まった社会って一神教が基盤にあったんか?そう考えてみると、キリスト教が広まっていったローマ帝国は、皇帝のディオちゃんが神格化に利用したユピテルとか(そこに痺れる憧れるぅ!)、サガ2にも出てきた(笑)美の女神ヴィーナス、英語Marchの語源ともなっている軍神マルスetc...という具合に多神教である。またイスラームも、そもそも色々な神を諸部族が勝手に祭っていたのであって、完全に多神教であった(「クルアーン」にはそれへの批判が随所に見られる)。この他中南米とかヒンドゥー文化圏のインド・東南アジア・・・とキリスト教やイスラームが広まった地域は枚挙に暇がないが、まあことごとく多神教なわけである。つーか賢明な読者諸兄はすでにご存知かと思うが、古代オリエントや中国の道教なども含めてむしろ多神教の方が基本なのだ(そもそも、「アトン一神教」なんてものがなんでわざわざ高校世界史で取り上げられるのかっちゅー話である)。そのような中で、多神教やら偶像崇拝やらを否定しつつ、それらを土台にした社会と摩擦を生み出しながら一神教は広がっていったわけである(ムハンマドたちが迫害を逃れてヒジュラを行ったのは典型例)。

つまり、「日本は多神教的な社会だからキリスト教は広まらなかった」というテーゼが正しいとすれば、これら他地域の歴史事象と真っ向対立するわけ。一神教が多神教をパージしてったから今日だけを切り取って見ると多神教は特殊に感じられるかもしれんが(まあそれも視野が狭いけど)、それは大いなる勘違いですよと。

あるいは「侵略される大陸・されない島国」てな図式に固執してそのメンタリティの違いがあるとかいう意見が出るかもしれんけど、だいたいキリスト教がローマ帝国で公認・国教化されたのも政治戦略だしね。それに中南米へキリスト教が広がったのってそういう内面の問題か?って話だ。あ、もちろん日本が欧米の植民地にならなかった、という(表現の意図とは違った)意味では大事だけどね。

以上何を言いたいかというと、内面の問題を持ち出すのは今日の状況を正当化する「結果からの逆算」でしかなく、権力・体制側との結びつきがやはり極めて重要なんじゃなイカという話であり(「成ル談義」でも書いたが、たとえばカトリックVSプロテスタントも非常に政治闘争的な側面を持っていた)、これは日本人の「無宗教」の考察とも大きく関わってくるんだわ。

 

ところで、ここから「弾圧する=消える」なんて簡単な図式では考えられないだろうという疑問、そして「他の地域と違って一神教が残らなかったのは結局なんでなん?」という疑問が出てくるのではないかと勝手に妄想するが(笑)、それについては次回扱うことにします。

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